2008年4月 9日 (水)

幕末維新史 3月刊行の個人的注目書籍

3月に刊行された幕末維新史関連書籍の中で、私がすぐに購入したのは2冊。青山忠正『明治維新史という冒険』(思文閣出版)と、原口泉『龍馬を超えた男 小松帯刀』(グラフ社)

まず青山氏の新著『明治維新史という冒険』ですが、佛教大学鷹陵文化叢書というシリーズの第18冊目。同シリーズには他に、青山氏も執筆者の1人として参加されている、原田敬一編『幕末・維新を考える』などがあります。

『明治維新史という冒険』は青山氏が過去に雑誌・新聞・図録など、様々な媒体に発表してきた文章を1冊の書物としてまとめ直したものです。それらは幕末維新史の多様なテーマに及んでいます。比較的、一般向けの媒体(例えば『歴史読本』や『歴史群像』など)に掲載された文章の再録が多いように見受けられます。NHK学園の機関紙『れきし』第92号に掲載されていた「龍馬は『暗殺』されたのか」など、入手しにくい媒体からの再録が嬉しいです。

ともあれ、その目次は以下の通りです(青文字部分)。

明治維新史という冒険

Ⅰ 維新の足跡―フィールドノートより―
維新史を歩こう
京都の町並みのなかに
  桂小五郎と木屋町
  近藤勇と壬生の屯所
  徳川慶喜-京都の将軍-
  岩倉具視と幽棲旧宅
大阪のビルの陰に息づく
  橋本左内と適塾
  大久保利通と中之島
  五代友厚と商都大阪
  堺事件と妙国寺
関西近郊に足を伸ばして
  井伊直弼と埋木舎-彦根-
  勝海舟と海軍操練所-神戸-
  吉村寅太郎と天誅組-大和-
江華島の砲台―韓国―

Ⅱ 兵士と戦い
戊辰戦争と諸隊
馬関攘夷戦争
奇兵隊と四境戦争
ある奇兵隊士の処刑

Ⅲ 人と生きざま
吉田松陰―やさしい教え魔―
岩瀬忠震―辣腕外交官の憤死―
伴林光平と「南山踏雲録」
坂本龍馬と文久・元治年間の政局
龍馬は「暗殺」されたのか

Ⅳ 変動する政局
岩国と薩摩―水面下の薩長交渉―
薩長武力挙兵の勇断
長州の密使
政権奉還と王政復古
御一新と明治太政官制
草莽のゆくえ

あとがき

続いて、原口泉氏の『龍馬を超えた男 小松帯刀』。今年、同じグラフ社から『篤姫 わたくしこと一命にかけ』を刊行され、大河ドラマ『篤姫』の時代考証を担当されている原口氏による新著です。小松帯刀は一般的な知名度は低いですが、西郷隆盛や大久保利通と並ぶ、あるいはそれ以上かもしれない幕末薩摩藩の逸材です。大河ドラマ『篤姫』でも重要な役割を演じるであろう小松の生涯を、原口泉氏が1冊にまとめました。

原口氏が新著の冒頭において、「小松帯刀は、坂本龍馬をはじめ西郷隆盛や大久保利通といった、巷間広く知られている幕末の英雄たち以上に、幕末史に影響を与えた人物、『龍馬を超えた男』だったのではないか」と述べています。原口氏がそれほどまでに高く評価する小松帯刀の事績を、多くの人に知ってもらいたいという願いが込められた書物です。

そのほか、まだ購入はしておりませんが、3月刊行で気になった書籍をいくつか。順不同です。

●村上泰賢編『小栗忠順のすべて』(新人物往来社)
●猪飼隆明『西南戦争‐戦争の大義と動員される民衆‐』(吉川弘文館)
●一坂太郎『幕末・英傑たちのヒーロー‐靖国神社前史‐』(朝日新書)
●安藤優一郎『幕臣たちの明治維新』(講談社現代新書)


新人物往来社の『○○のすべて』シリーズは、『伊庭八郎のすべて』などのマイナーどころも出されているので、むしろ小栗忠順(上野介)は出ていなかったのかと意外な感じがしたぐらいです。

そのほか、朝日文庫版の萩原延壽『遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄』の、第11巻と第12巻が出ました。11巻は『北京交渉』、12巻は『賜暇』です。

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2008年3月31日 (月)

京都守護職会津藩の京都防衛構想と楠葉台場

以前、タイトルと著者名だけご紹介したことがありますが、雑誌『ヒストリア』第206号(2007年9月)に、馬部隆弘氏の「京都守護職会津藩の京都防衛構想と楠葉台場」という論文が掲載されています。幕末期の京都防衛の重要拠点と言うべき楠葉台場について考察したものです。以下、馬部氏の論文の内容を、あくまで部分的になってしまいますが、紹介していきましょう。

馬部氏の論文は、軍事史的観点からの事例紹介にとどまっていた台場研究と、あるいはそれと切り結ぶことのなかった考古学的成果をも踏まえた上で、台場遺構を幕末政治史の素材として検討しています。その観点で分析の対象となったのが楠葉台場。

楠葉台場は、淀川沿いで山城国との国境にあたる河内国交野郡楠葉村(現在の大阪府枚方市)に設置されていたものです。完成は慶応元年で、設計者は勝海舟。

その楠葉台場について、会津藩との密接な関わりを指摘しているのが、馬部氏の論文でもあります。もともと、淀川に台場を築く計画は朝廷内の、国事御用掛の設置を推進した人物あたり(特に馬部氏が指摘しているのは正親町三条実愛)から出たものだと、馬部氏は分析しています。文久2年末のことです。もちろん攘夷の目的で、淀川に外国船が入ってくることを危惧したことによります。

ただ、その構想について意見を尋ねられた諸藩の間では、台場の築造不要との意見が大勢を占めていました。そのとき京都にいた会津藩重臣も、調査の結果として台場の築造については積極的に必要性を主張しなかったようです。結局、文久3年2月、淀川台場構想は沙汰やみとなりました。

ところが、それから約1ヶ月後の文久3年3月、会津藩主にして京都守護職の松平容保が、八幡・山崎に関門を築くべきとの建白を、幕府要路に宛てて提出したというのです。八幡・山崎というのは淀川沿いですから、2月に沙汰やみとなって、しかも会津藩自身も消極的だった淀川防衛の構想を、会津藩自らが再燃させたらしいのです。ただ、朝廷が提案した台場の構想ではなく、陸上の関門だという点が、会津藩の独自性のようです。

いずれにしても、最初は淀川沿いの防衛に消極的だった会津藩が方針を転換させた理由は、馬部氏によれば尊攘派への対応方針の転換が理由だったようです。つまり、最初は尊攘派に対して温和な態度で臨もうとしていた会津藩が、全面対決も辞さない構えになったことが要因と馬部氏は見るのです。

つまり、会津藩が設置を望む関門というのは、攘夷の目的ではなく、西国から来る尊王攘夷派浪士の入京を制限する目的だったようなのです。やがて、8月18日の政変が起きたことで、その関門には浪士だけでなく、長州藩士の入京をも制限する目的が付加されるようになります。

ともあれ、その関門は実際に作られることになり、それが楠葉台場ということになります。「関門」なのに「台場」の形態を採用しているのは、攘夷対策のための台場を作りたかった朝廷の意を汲み取ってのことだと、馬部氏は推測されています。また、現実に攘夷に役立つかどうかはともかく、ともかく攘夷対策の台場を作ったという政治的アピールを、朝廷に対してする目的もあったと馬部氏は推測しています。

さらに馬部氏によれば、アピールは朝廷に対してだけではなく、広く一般にもされていただろうとのこと。つまり、京都・朝廷を守るのは京都守護職・会津藩および幕府なのだということを、世間に知らしめる目的があった、そのため最新の築城技術を取り込んで作られたのだと、馬部氏は述べています。

そのような目的のため、楠葉台場は台場を関門として利用するという形態になったのだそうです。それが仇となって、現在では「楠葉台場」と「楠葉関門」が別の施設であるかのように誤解される場合もあって、研究史上の混乱を招いていたとか。

ともあれ、楠葉台場の設置に京都守護職・会津藩が密接に関わっていて、尊攘派・長州藩対策の目的があったとなると、その重要性は言うまでもないことでしょう。それゆえに、楠葉台場跡は現在、大阪歴史学会(『ヒストリア』を発行している学会です)などが保存を求めています。

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2008年3月30日 (日)

HP「幕末維新史を読む」 更新情報

私が作成している別HP「幕末維新史を読む」を、少しだけ更新して、以下の文献を追加しました。

「幕末維新史の中で新選組を考えるための研究文献」に以下の文献を追加

★青山忠正『明治維新史という冒険』思文閣出版、2008年
★田中洋史「長岡出身の新選組隊士―再興長岡藩東京藩邸の風景」
『長岡郷土史』第44号、2007年
★松尾正人編『日本の時代史21 明治維新と文明開化』吉川弘文館、2004年

「中岡慎太郎についての主な研究文献」に以下の文献を追加

★高知県立歴史民俗資料館・高知県立坂本龍馬記念館・北川村立中岡慎太郎館編
『特別展三館合同企画 坂本龍馬・中岡慎太郎展‐暗殺一四〇年!-時代が求めた"命"か?‐』高知県立歴史民俗資料館、2007年

今年は戊辰戦争が勃発した年から140年、日米修好通商条約の年から150年です。それだけではなく、平成20年という節目の年ということもありまして、今年も幕末維新史について、色々と興味深い研究が出てくるのではないかと楽しみにしています。

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2008年3月19日 (水)

下野の幕末維新

國學院大學栃木短期大学史学会が発行している『栃木史学』第20号(2006年3月)に、宮地正人氏の「下野の幕末維新」という論文が掲載されています。

その論文の概要としては、宮地氏自身が論文冒頭で述べている言葉を引用すれば、「私がこれまで当該時期の下野に関し、折にふれ史料を見、そこで興味を引かれてきたいくつかの事件・人物に筋をつけ論理を組みたててみると、どのような歴史像を構成できるのか、という一つの試論」ということになります。

宮地氏が「下野の幕末維新」というテーマに関心を持った最初のきっかけは、栃木県都賀郡の『壬生町史』編纂に協力したことだったそうです。その際に、幕末維新期の政治的変動が壬生藩という三万石の譜代小藩にもしっかり刻印されていることを感じ取り、また壬生藩尊攘派のリーダーが百姓身分出身の松本誠庵という独眼流の医者だったことが、強く印象に残ったのだそうです。

その後、島崎藤村の『夜明け前』の歴史的背景を探るため、中津川での史料調査をしていたところ、予想外に松本誠庵の書簡を発見することができ、幕末維新期の下野を一地方史にとどまるものとしてではなく、全国的政治動向の中に組み入れて論じることが可能なのではないかとの手応えを感じられたとのこと。

さらには、『歴史のなかの新選組』(岩波書店、2004年)の執筆過程において、下野から浪士組に参加した人物が案外多いことに改めて驚き、佐野市で行われた田中正造に関する講演会の準備過程で、下野(特に西南地域)の歴史的動きの特質・面白さに確信を抱かれたようです。

宮地氏の論文は、以上のような興味・関心に沿って叙述されています。最初の章が「ペリー来航と下野の諸藩、旗本領」と題され、続いて、「在村漢学塾の族生」、「平田国学の浸透」、「坂下門外の変と下野政情の変化」、「浪士組徴募と下野」、「筑波挙兵と下野」、「亀山・横田と中津川宿」、「水戸学から平田国学へ」、「出流山事件と下野」、「御一新と下野の志士達」といった章が設けられています。まさに下野の事情や、下野出身者の政治活動が、全国的政治動向の中に位置付けて考察されています。

ちなみに、宮地氏が最初に注目した松本誠庵は新政府の中でしっかりとした政治的地歩を築いていたようです。松本は脱藩して上京後、尾張藩を頼って活動し、さらには刑部省・司法省で働くこととなり、佐々木高行の厚い信頼を勝ち取ったらしいです。色々と知らなかったことが記されていて、興味深く読むことができました。

宮地氏は論文の最後において、次のように述べています。

明治維新というと、すぐに薩摩の西郷、長州の高杉、土佐の坂本といった話となる。しかし、なにも西をむく必要はさらさら無い。この下野の地にもまた、幕末維新期の変革を考えさせる上での大切な材料がごろごろころがっているのである。地元の史料に関心をよせず、はるか離れた遠方の史料を見たところで、それほどの発見があるとは思われない。下野をふくめ、各地域からの視座と各地域からの史料によってこそ、地域にねざした幕末維新の物語りがつむぎ出されるのだ、と私は考えているのである。

上に引用した宮地氏の言葉は、従来の幕末維新史研究が西南雄藩の研究に偏りすぎていたことの批判ともなっていて、重く受け止める必要があるだろうと私は感じています。幕末維新の変動・変革・激動は、何も薩長をはじめとする西南雄藩だけで起きていたものではなく、全国各地で起きていたことだということです。

今回ご紹介した論文で、宮地氏は、下野の政治状況や下野出身者の政治活動が、全国的な政治動向や中央政局の動向と密接に関係していたことを論述しています。薩摩には薩摩の、長州には長州の幕末維新史があるように、下野には下野の幕末維新史があるということです。もちろん、その他の地域も同様でしょう。それら様々な地域に根ざした研究が促進されることで、幕末維新史全体の認識を変化させるような発見が出てくるかもしれません。個人的には、そんな発見が意外なところから出てくるのに期待したいものです。

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2008年3月12日 (水)

HP「幕末維新史を読む」 最近の更新情報

HP「幕末維新史を読む」の、今年に入ってからの更新情報。以下に記載した通りの文献を、HPに追加掲載しました。

2008年3月4日更新内容
「幕末維新史の中で新選組を考えるための研究文献」に以下の文献を追加

★遠藤潤『平田国学と近世社会』ぺりかん社、2008年
★小河扶希子『平野國臣』西日本新聞社、2004年
★久住真也「幕末政治史研究発展のために‐奈良勝司氏による拙著書評について‐」『日本史研究』第545号、2008年
★奈良勝司「書評 久住真也著『長州戦争と徳川将軍‐幕末期畿内の政治空間‐』」『日本史研究』第536号、2007年
★八王子市郷土資料館編『八王子の天然理心流‐受け継がれた剣術・槍術・棒術‐』八王子市教育委員会、2008年
★宮地正人「下野の幕末維新」『栃木史学』第20号、2006年
★山口宗之『真木保臣』西日本新聞社、1995年

「中岡慎太郎についての主な研究文献」に以下の文献を追加

★豊田満広「中岡慎太郎から岩倉具視への書状が見つかった!」『歴史読本』第825号、2008年

2008年1月16日更新内容
「川村恵十郎研究文献」に以下の文献を追加

★川村文吾「旧幕臣川村正平(惠十郎)の生涯 補遺」『大日光』第74号、2004年

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2008年3月 1日 (土)

池田屋事件の基礎的考察

講談社現代新書で『池田屋事件』を刊行されるご予定の中村武生氏には、「池田屋事件の基礎的考察―『御所向放火』をめぐって」という論文があります。奈良歴史研究会が発行している『奈良歴史研究』第65号(2006年3月)に掲載されている論文です。

文久3年の8月18日の政変から、翌元治元年の禁門の変に至る政治過程の解明を期したもので、原口清氏の先行研究と密接な関連を持つテーマで、原口説を批判しながら論述が展開されています。

原口清氏の先行研究とは、私も過去に「池田屋事件についての原口清氏の問題提起」という記事で部分的に紹介したことがある、「禁門の変の一考察」という論文。名城大学が発行している『名城商学』第46巻第2号と第46巻第3号(どちらも1996年)に、2回にわたって掲載された論文で、昨年刊行された『原口清著作集2 王政復古への道』(岩田書院)に再録されています。

池田屋事件の発端は、よく知られているように古高俊太郎が新選組に捕縛されたことによります。従来、古高は「御所辺放火」の計画を供述したとされていましたが、原口清氏はその計画の存在を否定的に捉えていたのです。中村武生氏はその点を再検討されています。

中村氏は、原口氏の論文が発表された数年前に、著名な新選組研究家の菊地明氏が紹介した史料を、古高俊太郎の供述書(の、良質な写本)だと判断しました。その供述書には、中川宮朝彦親王の屋敷を放火する計画について記されていました。中村氏は供述書という性格上、古高がすべての事実を正直に供述していない可能性も想定して注意しつつ、どうも中川宮の屋敷を放火するという計画に関しては事実を供述しているらしいと判定されました。

中川宮の屋敷は御所のすぐ近くにあったため、中川宮の屋敷に火をつけるということは、すなわち「御所辺放火」と同じ意味を持つ…と中村氏は判断されました。つまり、原口清氏が存在を否定した「御所辺放火」計画を、中村氏は確かに存在した計画だと論じたのです。

しかし中村氏は、「御所辺放火」計画が事実だったとしても、それが新選組の池田屋襲撃に結び付いたとは見なしません。何故なら、池田屋事件直後に書かれた会津松平家家臣の公的な書簡には、古高の供述内容を知っているとは思えないようなことしか記されていないからです。

つまり、古高の供述は池田屋事件の前になされたものではなく、事件の後になっての供述であって、池田屋事件の前には新選組も会津藩も、「御所辺放火」計画のことを知らなかったのではないかということです。新選組が池田屋に踏み込んだのは古高の供述によるものではなく、古高とその周辺の連中がどうも怪しいという、そういう曖昧な理由によるものだったのかもしれないということです。

中村氏の考察・論点はほかにも色々ありますし、今回取り扱った話題についても、かなり要約してしまっている部分も多いので、興味のある方はぜひご自分でお読みになってください。個人的な印象として、中村氏の述べていることには説得力があって、納得できるものでした。『池田屋事件』の刊行も心待ちにしたいところです。

ついでながら、最後に余談を述べておきます。新人物往来社から最近発売された『図説 新選組クロニクル』(『別冊歴史読本』98)には、藤堂利寿氏の「『池田屋事件』論争」という文章が掲載されていて、池田屋事件に関する研究史を紹介していますが、今回紹介した中村武生氏の論文や、同じく中村氏の別の論考(例えば、「古高俊太郎考」『明治維新史研究』創刊号)については言及されていませんでした。非常に残念です。

また、町田明広氏の「池田屋事変における吉田稔麿について」(『霊山歴史館紀要』第16号)も、池田屋事件の研究史を語る上では重要だと思うのですが、言及されていませんでした。こちらも残念でした。

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2008年1月31日 (木)

幕末維新史 2007年の主要記事40

昨年書いた幕末維新史関連の記事のうち、特に力を入れたものや個人的にオススメしたい記事などを以下に40個ピックアップしてみました。興味のある方はぜひお読みください。

新選組にも関連のある、多摩地域・多摩出身者の近代史(1/13)

中間層論からみる浪士組と新選組(1/17)

幕末の武士は、みんな佐幕的で勤王精神あり?(1/30)

維新の変革と幕臣の系譜(2/3)

幕末英雄史観(2/9)

文久期の相楽総三(2/25)

情報戦としての将軍進発問題(3/1)

歴史家・高橋秀直氏の論文をネットで(3/8)

服部之総「新撰組」(3/25)

イギリス軍艦「イカルス」号水夫暗殺一件(4/11)

幕末の老中・阿部正外と中根雪江の会話(4/14)

長州再征と福沢諭吉(4/18)

暗殺-明治維新の思想と行動-(4/23)

龍馬暗殺事件をめぐって(5/3)

志士たちの詩<うた>(5/12)

「兵農未分離」の八王子千人同心(5/28)

公家討幕派の独自性(6/7)

幕長戦争までの伊予諸藩の動向(6/10)

『史学雑誌』回顧と展望 2006年の歴史学界(6/20)

新選組隊士 武田観柳斎について(6/30)

「龍馬暗殺」議論において軽視されていること(7/7)

孝明天皇の死因について(7/12)

王臣と陪臣と(7/21)

新選組に対する申し訳ない気持ち(7/30)

文久3年8月18日政変についての最新の研究(8/4)

草莽の志士・城多董(8/10)

山内容堂の「風流」(8/14)

天領における草莽の志士の行動と思想(8/25)

幕末維新期の山科郷士と「勤王思想」(9/7)

長州藩・小倉藩の確執と、朝陽丸事件(9/12)

幕末維新期の農民日記と新選組(9/21)

幕末中央政局における朔平門外の変(10/9)

『長州戦争と徳川将軍』の書評いろいろ(10/15)

定本 坂本龍馬伝―青い航跡(11/1)

元治元年一橋徳川家関東領知における有志徴募(11/8)

孝明天皇と岩倉具視(11/10)

幕末政治史研究の現状と課題(11/16)

津山藩と幕末政局(12/2)

中津川国学者と薩長同盟(12/15)

湯浅五郎兵衛と幕末維新(12/21)

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2008年1月 6日 (日)

京都守護職に対する幕府の財政援助

『お茶の水史学』第45号(2001年)に、新田美香氏の「京都守護職に対する幕府の財政援助」という論文が掲載されています。幕末の、「京都守護職中の会津藩の財政収入、就中幕府の財政援助の実態を明らかにしよう」と試みた論文です。…と言っても、私はまだ、パラパラ拾い読みしただけで全部に目を通していない段階なので、その内容を断片的に紹介します。

大口勇次郎氏や飯島千秋氏の幕府財政に関する研究、あるいは庄司吉之助氏の会津藩財政に関する研究を踏まえた上での論文です。具体的には例えば、以下のような文献が挙げられるでしょう。

・大口勇次郎「文久期の幕府財政」(家近良樹編『幕政改革』吉川弘文館、2001年)
・飯島千秋『江戸幕府財政の研究』(吉川弘文館、2004年)
・庄司吉之助『京都守護職と会津藩財政』(歴史春秋社、1981年)

ただし、上記の飯島氏の著書などは新田氏の論文が公にされた後での出版となるため、新田氏の論文には出てきません。しかし、新田氏が紹介している飯島氏の論文を収録しています。新田氏はほかにも、色々な研究成果をご自身の研究に取り入れているようです。

冒頭で述べたとおり、私はまだ新田氏の論文をすべて読んだわけではなく、パラパラ拾い読みしただけの状態です。ただ、その中でいくつか目に付いた記述もありまして、例えば京都守護職が「譜代・旗本を中心とした従来の幕府政治機構の改変を意図して、一橋慶喜・松平慶永の指導下において設置されたという性格上、財政の決定権をもつ在江戸の老中・勘定所とは対立することもしばしばであった」ことを指摘しています。

また、「元治元年に稲葉正邦の『御英断』により、会津藩に一万両の拝借が認められていることを考えれば、在京の老中にも財政に関するある程度の裁量権があったと考えられるが、手当支給など重要事項についての最終判断は江戸においてなされていたようである」といった事実も指摘しています。

新田美香氏の論文「京都守護職に対する幕府の財政援助」は、例によって国立情報学研究所のCiNii(論文検索サービス)から、PDFで閲覧できます。コチラのページが、閲覧直前のページです。興味のある方は、ぜひご自身でお読みください。

ちなみに、「お茶の水女子大学 教育・研究成果コレクション Tea Pot」からも、閲覧することができます。

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2008年1月 4日 (金)

京都守護職に関する昨年の論文ほか

昨年、タイトルに「京都守護職」を含む論文がいくつか公にされました。私が知っているものだけでも、以下の3つがあります。…と言っても、杉谷昭氏のものは京都守護職を分析したものではなく、山川浩『京都守護職始末』において幕末政局がどのように描かれているのかを考察したものですが。

・杉谷昭「『京都守護職始末』にみる文久年間」(『諫早史談』第39号)
・杉谷昭「『京都守護職始末』にみる元治・慶応」(『純心人文研究』第13号、長崎純心大学)
・馬部隆弘「京都守護職会津藩の京都防衛構想と楠葉台場」(『ヒストリア』第206号)

上記のうち、杉谷昭氏の「『京都守護職始末』にみる元治・慶応」は、国立情報学研究所の「CiNii 論文情報ナビゲータ」からPDFで閲覧することができます。下記のリンクをクリックしていただければ、杉谷氏の論文がすぐに開きます。

『京都守護職始末』にみる元治・慶応

上記の論文は、HP「幕末維新史を読む」を最近更新した際にも、追加で掲載しました。また、HP「幕末維新史を読む」には下記の文献も追加掲載しています。

・辻ミチ子『女たちの幕末京都』(中公新書、2003年)
・芳賀登・右島亜希子「和歌を通路にしてみた戊辰戦争‐会津藩を中心にして‐」(『東京家政学院大学紀要』第36号、1996年)

それから以前、HPの更新作業中に何らかのトラブルで、一部のデータが消えてしまっていたようなので、できる範囲で修正しました。

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2007年12月29日 (土)

年末なので

2007年も残すところ、あとわずか。小休止ということで、過去記事をご覧ください。

ディズニー関係オススメ過去記事30

思い入れがある歴史記事10個

2005年に書いた歴史系記事、厳選20

2005年に書いたディズニー系記事、厳選20

2006年 オススメ記事50

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2007年12月21日 (金)

湯浅五郎兵衛と幕末維新

青山忠正監修『湯浅五郎兵と幕末維新』(日吉町郷土資料館、2005年)という図録があります。京都府にある日吉町郷土資料館が、2004年に開催した企画展「湯浅五郎兵衛と幕末維新」の、展示解説図録です。池田屋事件で死んだ北添佶麿や、天誅組を結成した吉村寅太郎、あるいは佐久間象山を暗殺したことで知られる河上彦斎、神風連の乱の中心的人物だった加屋栄太らが湯浅五郎兵衛に宛てて書いた書簡などが掲載されています。

もっとも、湯浅五郎兵衛という人を、よく知らない人は少なくないはず。私も、この図録を読むまで、湯浅五郎兵衛の事績について、ほとんど知りませんでした。五郎兵衛は丹波国船井郡に生まれた郷士で、五郎兵衛が政治活動を始める事になるきっかけは、湯浅家が肥後細川家と血縁関係があったことにあるようです。肥後出身の志士・松田重助(後、池田屋事件で新選組に斬殺される)の訪問を受けたことによって、五郎兵衛は肥後藩の勤王党のメンバーと交流を持ちながら政治活動を始めたらしいです。

新選組による池田屋事件襲撃の前、古高俊太郎という志士が新選組に捕縛され、それが池田屋事件につながっていったことはよく知られていますが、古高が養子として継いだ枡屋という商家は、湯浅五郎兵衛家の分家でした。新選組に捕縛された頃の古高俊太郎は湯浅喜衛門と名乗っていて、もちろん五郎兵衛とも交流があります。枡屋には池田屋事件の災難に遭う志士たちが多数出入していて、五郎兵衛もそれによって交友関係を広げて政治活動の幅を広げていたようです。

五郎兵衛は当初、天誅組にも参加する予定だったらしく、また、公家の鷲尾隆聚邸に潜伏して政治活動を行っていたこともあるようです。もちろん、新選組に狙われたこともあります。最初は肥後藩勤王党の意に沿うような形で政治活動を始めた湯浅も、段々と活動の幅を広げて、特に長州藩との関係も深めたようです。一説によると、薩長同盟の周旋に向けて尽力し、木戸孝允が西郷隆盛ら薩摩藩代表との会談のため上京した際には同行したとか。

明治元年には河上彦斎と共に、肥後藩の「外向御用懸京地詰」に就任し、明治2年には岩倉具視の附属として、京坂地域での情報収集を行っていたとか。死後、従五位を贈られています。

ともかく、湯浅五郎兵衛はあまり知られていない志士の1人ですが、よく知られている志士たちと交わりつつ、なかなか興味深い政治活動を行っていたようです。史料不足のため、五郎兵衛がどのような考えで幕末政局に臨んでいたのか、はっきりわからない部分が多いようですが、その解明に少なからず寄与しそうな資料が、図録『湯浅五郎兵と幕末維新』に掲載されているのです。掲載されている資料の解説は笹部昌利氏と平良聡弘氏が担当されています。

ちなみに、『湯浅五郎兵と幕末維新』には面白いコラムと、「特集史論」と題された論稿が掲載されています。まず、掲載されているコラムは以下の通り。

Ⅰ 辻ミチ子「おんな勤王家-若江薫子の生涯-」
Ⅱ 笹部昌利「「志」の背景-一領具足から土佐勤王党へ-」
Ⅲ 平良聡弘「明治の義挙と敬神党」
Ⅳ 笹部昌利「贈位のゆくえ-ある志士の顕彰運動と近代日本-」

辻ミチ子氏は『女たちの幕末京都』(中公新書、2003年)の著者。Ⅰは湯浅五兵衛とも交流があり、明治天皇の皇后となる寿栄姫の侍読を務めていた若江薫子についてのコラム。Ⅱは武市半平太や吉村寅太郎ら土佐勤王党出身者について。Ⅲは神風連の乱で知られる敬神党について。Ⅳは天誅組に参加していた松本奎堂について。

一方、「特集史論」は3つ掲載されていて、どれも読み応えのある論稿になっています。「特集史論」として掲載されている論稿は以下の通り。

1 青山忠正「草莽の明治維新―志士と攘夷論」
2 笹部昌利「志士と由緒―丹波郷士湯浅五郎兵衛と幕末政治をつなぐもの」
3 平良聡弘「明治初年における志士の政治活動―丹波郷士湯浅五郎兵衛の「御一新」」

青山忠正氏はここで紹介している図録の監修者で、『明治維新と国家形成』(吉川弘文館)などの著書がある幕末政治史研究者です。どの論稿も面白い内容が含まれていて、読んで損はありません。

図録『湯浅五郎兵と幕末維新』は掲載されている史料も、論稿も、どれも面白いので、幕末政治史や、いわゆる「勤王の志士」に興味のある方にオススメしたい図録です。日吉町郷土資料館では通信販売も行っているようなので、購入しやすい図録と言えそうです。

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2007年12月 4日 (火)

HP更新情報と、最近の個人的注目書籍

11月に発売された幕末維新史関連書籍のうち、個人的に気になったものをいくつか紹介。

まず、保谷徹『戦争の日本史18 戊辰戦争』(吉川弘文館)。これは、原口清・石井孝・佐々木克・工藤威といった、戊辰戦争についての代表的な研究者の研究を踏まえながら、軍事史の視点から戊辰戦争を考察したものです。

それと、同じく吉川弘文館から刊行された、伊藤隆・季武嘉也編『近現代日本人物史料情報辞典』第3巻も気になっています。

新人物往来社から発売された、鈴木かほる『史料が語る坂本龍馬の妻お龍』と、徳永和喜『天璋院篤姫-徳川家を護った将軍御台所-』も気になるところ。

鈴木氏は日本中世史を主に専門とされているそうですが、横須賀市(晩年のお龍が住んだ土地)からお龍に関する史料の調査を頼まれて、お龍の調査研究に入っていかれたとのこと。徳永氏は『薩摩藩対外交渉史の研究』(九州大学出版会、2005年)という著書をお持ちの研究者です。

そして、『遠い崖-アーネスト・サトウ日記抄-』の著者として知られる研究者・萩原延壽氏の過去の著書をまとめた、『萩原延壽集』(朝日新聞社)の刊行が始まりました。その第1冊目は『馬場辰猪』です。萩原氏の最初の著書『馬場辰猪』(中央公論社、1967年)をベースに、付録に初公表のものを含む数篇の論稿を収録しています。

『萩原延壽集』は全7冊で、毎月1冊ずつ刊行されるそうで、次回は『陸奥宗光』上巻、そしてその次が『陸奥宗光』下巻です。萩原氏の『陸奥宗光』上下巻(朝日新聞社、1997年)をベースにしたものになるようですが、萩原氏の陸奥宗光研究は定評があるので、楽しみです。

以下、HP「幕末維新史を読む」の最近の更新情報。
「幕末維新史の中で新選組を考えるための研究文献」のページに、以下の3つの文献を追加。

・青山忠正監修『湯浅五郎兵衛と幕末維新』日吉町郷土資料館、2005年
・友田昌宏「幕末政治研究の現状と課題」『歴史評論』第691号、2007年
・保谷徹『戦争を読む18 戊辰戦争』吉川弘文館、2007年

「薩長同盟についての主な研究文献」のページに、以下の文献を追加。

・葦津珍彦「薩長連合の政治史」
『「昭和を読もう」葦津珍彦の主張シリーズ2 永遠の維新者』葦津事務所、2005年

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2007年11月 8日 (木)

元治元年一橋徳川家関東領知における有志徴募

今年刊行された『國學院雑誌』第108巻第5号(通巻1201号)に、加藤弘之氏の「元治元年一橋徳川家関東領知における有志徴募」という論文が掲載されています。

幕末の中央政局(幕藩権力)に包摂されていく草莽層集団の実態と、中央政局における草莽層集団のダイナミズムの持続に関する問題を、「一橋徳川家における草莽層集団的性格を持つグループ」を対象として考察した論文です。以下、その内容をごく簡単に紹介していきます。

幕末の一橋家は軍事力が不足していたため、外部から積極的に人材登用を進めました。加藤弘之氏は上記論文で、その一環である関東の有志徴募を大きく取り上げ、「出自・思想・行動等で新撰組のような草莽層集団と近似する性格がみられる」と指摘しています。

一橋家に登用された渋沢栄一と渋沢成一郎は、一橋慶喜をして幕府に攘夷実行させることを目指し、活動します。渋沢両名は、そのために関東での有志徴募を画策しますが、その狙いは単なる農民兵の徴募ではなく、攘夷を目指す同志集団の形成にあったと加藤氏は述べています。政治的な志を持たない農民ではダメだったのです。そして撃剣に優れていることも、渋沢両名が重視したポイントです。

ところが、渋沢両名を支持していた平岡円四郎が暗殺されると、一橋家上層部は有志徴募に消極的な姿勢を示したようです。むしろ、一橋家上層部は一橋家の軍事力を整える上で、渋沢両名が重視していた剣術の腕前や志を持つ者の登用を、制限する方針に出ていたようです。

加藤氏によれば、「上層部が求めたのは、命令が浸透し均質な行動をとれる組織的軍隊であり、そのために農民―銃撃戦に不要な撃剣を身につけておらず、思想的個性もない者たちを徴発しようとした」そうです。そのため、撃剣に優れた関東の有志たちも、結局は銃隊に編成され、農民兵たちと同様の扱いになったそうです。「有志たちの身に付けた武士文化は武芸・思想両面とも顧みられなかったのであり、一橋家という組織のなかで存在意義を失いつつあった」ということが言えそうです。

しかし鳥羽・伏見の戦い後、一橋家の当主であった徳川慶喜が朝敵となったとき、これに敏感に反応して彰義隊を結成したのは、それこそ一橋家の中で存在意義を失っていた関東の有志たちだったと指摘されます。慶喜の冤罪を雪ごうとする自発的な行動です。

関東から徴募された有志たちはそれ以外の人々(例えば一橋家譜代の家臣)に比べて、「有志のダイナミズムは、一度否定されても根強く残っていた」と加藤氏は述べ、そのようなダイナミズムは維新政権側と旧幕府側とを問わず、当時の草莽層にとって普遍的な心性だったのではないかと結論付けられています。

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2007年10月27日 (土)

近藤勇の書簡(慶応3年11月11日付)

「新選組検証!」さんのブログ(10/8の記事)に、近藤勇書簡集の出版を切に願う旨の記述があるのを最近読みました。近藤勇書簡集の出版は、もとより私も望んでいることです。何故なら、新選組の研究(新選組をメインテーマに据えたものだけでなく、間接的に言及するものも含む)の質を向上させるためには、近藤勇の書簡はかなり重要だと感じられるからです。

何せ、近藤勇は新選組隊士たちの中でも最も多くの手紙を書き、その手紙も長文のものが多く、政治的に重要な内容も多く含んでいる場合が多いからこそ、重要だと思うのです。おまけに、近藤が郷里・多摩に宛てた手紙の多くは、多摩の有力者たちにも回覧されていたようで、多摩地域の指導者たちの政治意識に、近藤の手紙は大きな影響を及ぼしていた節もあるからです。

「新選組検証!」さんのブログ(10/8の記事)を読んで触発された部分もあるので、インターネット上で読める一通の近藤書簡を紹介しましょう。すでに、宮地正人『歴史のなかの新選組』(岩波書店、2004年)に部分的に引用されていた書簡です。慶応3年11月11日付、松本良順宛ての書簡で、東京大学史料編纂所で所蔵している『大日本維新史料稿本』に収録されています。

慶応3年11月と言えば、すでに大政奉還の後です。その頃の近藤は大政奉還以前の幕政に何とか戻そうとして、色々と画策していたと言われることがありますが、松本良順宛ての書簡には、近藤勇の考え方がよく出ていると思います。

書簡を読む方法ですが、まず東京大学史料編纂所のHPに飛んでください。そこから、「データベース検索」のページに行き、さらに「データベース検索」ページの一番下に書かれた「データベース選択画面」をクリックします。

「データベース選択画面」にたどり着いたら、「維新史料綱要DB」をクリックします。するとキーワード検索の画面に移りますので、「近藤勇」をキーワードにして検索し、「慶応3年11月11日」と記された「No.12」の「詳細」をクリックします。そして、移動先の画面で「イメージ」をクリック。

そして、小さい画面が開きますので、左側の「0884.tif」、「0885.tif」、「0886.tif」あたりをクリックしてみてください。近藤勇の書簡が表示されます。クリックすると、「ファイルのダウンロード」表示が出ますが、「開く」をクリックすれば近藤の書簡が表示されます。

興味がある上に、上記の書簡をまだ読んだことがない方は、ぜひお試しください。

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2007年10月24日 (水)

HP「幕末維新史を読む」 最近の更新情報

最近、HP「幕末維新史を読む」を更新しました。「幕末維新史の中で新選組を考えるための文献」のページに、以下の文献を追加したのです。

・家近良樹『幕末の朝廷‐若き孝明帝と鷹司関白‐』中公叢書、2007年
・石井良助『天皇‐天皇の生成および不親政の伝統‐』山川出版社、1982年
・大江志乃夫『徳川慶喜評伝立風書房、1998年
・正親町季董『明治維新の先駆者天忠組中山忠光』第一書房、1941年

・大口勇次郎「文久期の幕府財政」家近良樹編『幕政改革』吉川弘文館、2001年

・勝田政治『〈政事家〉大久保利通‐近代日本の設計者‐』講談社選書メチエ、2003年
・くにたち郷土文化館編『幕末から自由の権へ‐本田家の人々が見た時代‐』くにたち文化・スポーツ振興財団、2006年
・久保田辰彦『いはゆる天誅組の大和義挙の研究』大阪毎日新聞社、1931年(改訂版、大阪毎日新聞社、1941年)
・白石良夫『幕末のインテリジェンス‐江戸留守居役日記を読む‐』新潮文庫、2007年
・杉谷昭「『京都守護職始末』にみる元治・慶応」『純心人文研究』第13号、長崎純心大学、2007年
・瀬尾謙一編『元見廻組肝煎渡辺篤略年表』私家版、1977年
・瀬尾謙一『撓のひびき』神修館、1982年

・中田早智子「京都守護の基礎的考察」『聖心女子大学大学院論集』第26巻第1号(通号26号)、2004年
・中村春作『江戸儒教と近代の「知」』ぺりかん社、2002年
・中村武生「幕末の動乱をみた道-上街道と天誅組の乱・冷泉為恭暗殺-」天理大学文学部編『山辺の歴史と文化-天理大学創立八十周年記念-』奈良新聞社、2006年
・新田美香「幕末期の農兵組織‐会津藩預所を例として‐」『人間文化論叢』第1号、お茶の水女子大学大学院人間文化研究科、1998年
・新田美香「京都守護職に対する幕府の財政援助」『お茶の水史学』第45号、2001年

・平尾道雄『吉村虎太郎-天誅組烈士-』大道書房、1941年(土佐史談会、1988年)
・町田明広「幕末中央政局における朔平門外の変-その背景と影響について-」『日本歴史』第713号、2007年
・毛利敏彦『明治維新の再発見』吉川弘文館、1993年
・望月始『告白の告発‐祖父の戊辰戦争体験記に託して‐』三和書房、1974年
・由井正臣編著『幕末維新期の情報活動と政治構想‐宮島誠一郎研究‐』梓出版社、2004年
・吉見良三『天誅組紀行』人文書院、1993年

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2007年9月21日 (金)

幕末維新期の農民日記と新選組

赤報隊をはじめとして、草莽諸隊や草莽の志士の研究で著名な維新史研究者・高木俊輔氏は、近年は農民が書き記した日記を研究素材にして、幕末維新期の農民生活史を描くことに取り組んでおられます。

例えば昨年に限って言えば、高木氏は、「幕末維新期農民日記にみる地域情報‐『大黒屋日記』の諸家関係記事について ‐」(『立正大学文学部論叢』123号)という、農民日記を研究素材にした論文を発表しています。

近年の高木氏はそのほかにも、色々な農民日記を研究素材にしています。その1つに、「富沢家日記」の分析があります。富沢家は武蔵野国多摩郡連光寺村において、名主を務めていた家です。

「富沢家日記」は天保14(1843)年から明治41(1908)年までの分が現存していて、国文学研究資料館に所蔵されています(閲覧可能です)。そのうち、安政7(1860)年~明治2(1869)年の分は翻刻されて、国文学研究資料館史料館編『史料叢書5 農民の日記』(名著出版、2001年)として刊行されています。その解説を書いているのが、高木俊輔氏です。

また、高木氏にはほかに、「幕末維新期の日記史料研究‐武蔵野国多摩郡連光寺村『富沢家日記』の場合‐」(『立正大学文学部研究紀要』20号、2004年)という論文もあります。タイトルどおり、「富沢家日記」を研究素材にした論文で、「在地に生きた、ごく普通の、どこの村でも見かけたような農民の手になる日記から、民衆生活史を組み立てること」を目的に書かれたものです(色文字部分は高木氏の論文からの引用)。

高木氏は同論文で、多摩地方の農民の手になる日記はたくさん現存していることを指摘し、2004年時点ですでに活字化されている多摩地方の農民日記22点を、表にまとめてくれています(例えば『小島日記』や比留間七十郎の日記など)。多摩地方の農民日記に興味のある人には、とても便利です。

これは私の興味関心によるところが大きいのですが、高木氏が取り上げた「富沢家日記」ほか多摩地方の日記は、新選組を知る上でも役立つものが多いはずです。高木氏も、「幕末期多摩地方の動向としては、新選組関係の情報を欠落させる訳にはいかない」と指摘しています。

もちろん「富沢家日記」にも、新選組情報は登場します。例えば、慶応4年3月6日条には、「新選組近藤勢、甲州警固に差向候処、間に合兼、途中に罷在候由」と記されています。

「富沢家日記」には新選組以外にも、戊辰戦争時の彰義隊の動向などが記されています。新選組や戊辰戦争に興味がある方には、「富沢家日記」をはじめとした多摩地方の農民日記が、有意義な情報を提供してくれそうです。

そのような「富沢家日記」や、そのほか幕末維新期の農民日記を研究している研究者として、高木俊輔氏がいるということを改めて紹介しておきます。著書として刊行されている研究成果には、『「夜明け前の世界」‐「大黒屋日記」を読む‐』(平凡社、1998年)があります。

ちなみに、国立情報学研究所(CiNii)のコチラのページから、高木氏の論文「幕末維新期の日記史料研究‐武蔵野国多摩郡連光寺村『富沢家日記』の場合‐」がPDFで閲覧可能です。興味のある方はご参照ください。

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2007年8月25日 (土)

天領における草莽の志士の行動と思想

雑誌『日本歴史』622号(2000年3月号)には、小佐野淳氏による論文、「天領における草莽の志士の行動と思想‐甲州上暮地村暮地義信を事例として‐」が掲載されています。同論文は、幕末維新期の草莽の志士・暮地義信を研究対象に据えたものです。後述しますが、暮地義信の幕末期の経歴はなかなか興味深いです。

小佐野氏は、草莽の志士たちを7種類の身分に類型化しています。具体的には、①浪人、②郷士、③村役人、④豪農・豪商、⑤中農層、⑥知識層(医者・神官・僧侶など)、⑦博徒の7つです。小佐野氏によれば、暮地義信は③と⑤の折衷型に見ることができるそうです。どういうことでしょうか。

暮地義信の家は甲州の百姓代、つまり村役人を務めてきた家柄です。その意味では上記類型の③と言えるわけですが、甲州の自然環境では余剰農産物の蓄積が困難で、村役人と一般農民の経済格差は特筆するほどのものではないそうです。そのため、⑤の面をも持つと言えるわけです。

その暮地義信が自発的対外活動、つまり志士としての活動を始めた理由を、小佐野氏は2つ指摘します。1つは彼が生まれ育った甲州上暮地村の財政的蓄積基盤(石高185石)。もう1つは、士籍獲得への意志だそうです。

後者については、武士身分獲得を目指して志士活動を行ったというより、むしろ志士として活動するには武士身分の方が都合が良いという側面もあったのではないかとも感じます。ただし、私は義信について詳しく調べたことはないので、あまり強く主張する気はありません。

その義信は江戸の玄武館(北辰一刀流)の道場で、清河八郎と剣の修業をともにしています。また義信は、同じく伊東甲子太郎とも親交を持ちました。慶応3年に義信の門人・高山兵蔵が新選組に入隊する際、義信は高山を伊東甲子太郎に随行させたそうです。清河や伊東の影響を受けたことが、後の義信の行動を規定していきます。

玄武館での剣術修行を経た義信は、清河が指導する浪士組に参加します。そしてその後、江戸で新徴組に所属することになります。小佐野氏は新徴組について、「外圧に対する名分論的対応として成立した尊王攘夷派が、幕藩体制を否定する論理を内在化させた結果、既存の体制の外部にある草莽によって組織されたもの」と定義しています。

そして、新徴組は表向き庄内藩に属したものの、清河八郎の意志を継ごうとする生粋の勤王家も多く、暮地義信はその代表格だと小佐野氏は言います。そのような志を持つ義信は、鳥羽伏見の戦い後、新徴組を脱退して官軍に従い、徳川慶勝のもとで帰順正気隊を組織して戊辰戦争を戦います。帰順正気隊の隊士は出身地も身分もバラバラで、いわば浪士組の小型版だそうです。

小佐野氏の論文では、維新後の義信が郷里の殖産興業に尽くした様子が詳述されていますが、ここでは割愛します。その代わり、私が共感した小佐野氏の考え方を最後に紹介しておきましょう。小佐野氏は、暮地義信のような存在を、幕末維新史全体から見れば一分子に過ぎない存在だと言います。しかし、小佐野氏は次のようにも言うのです。

浪士組も新徴組もその実態は分子の集合体である。分子の正確な把握ができてこそ、幕末諸隊の真の性格を認識できるものと考える。

上記の言葉は気に留めておいて良いと思います。ただ、「分子の正確な把握を通じて、幕末諸隊の真の性格の認識、あるいは幕末維新史全体の重層的な理解に結び付けよう」という意図を忘れると、瑣末な事実の探索に終始する危険性があります。その兼ね合いには気をつけるべきでしょう。

ちなみに、暮地義信には『天性剣術日本武基』、『明倫義信歌集』、『新徴組略記』などの著作があり、それら3つは小佐野淳『富士北麓幕末偉人伝』(山梨日日新聞社出版局、1995年)に収録されています。

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2007年8月20日 (月)

児玉幸多監修『ふるさとが語る土方歳三』

『ふるさとが語る土方歳三』(日野郷土史研究会、2003年)という書籍をご存知でしょうか。日野の郷土史家で新選組研究者でもある谷春雄氏と、日野郷土史研究会主宰の大空智明氏の対談集です。大空氏の質問に谷氏が答えるという形で対談が進んでいきます。タイトルからもわかるとおり、日野出身の土方歳三を中心に新選組全般について、谷春雄氏が語った本です。

私は特に興味のある部分を拾い読みしているだけの段階で、通読していないのですが、谷春雄氏の史料重視の姿勢が印象的です。史料が残っていない(見つかっていない)部分について、谷氏はいい加減な推測や適当な憶測を語ることをできるだけ排除する姿勢が明確です。

例えば、土方歳三を剣の達人であるかのように語ることに対しては、土方が人を斬ったことを証する記録が見当たらないことなどから、慎重な態度をとっています。

日野にある新選組関係史料をたくさん発掘・発表されている谷春雄氏が、読みやすい対談集という形で日野出身の土方歳三について語っていますので、新選組や土方歳三に興味のある方は、『ふるさとが語る土方歳三』を読んでみても損はないと思います(もちろん、谷氏が述べていることすべてに首肯できるわけではありませんが)。ただし、『ふるさとが語る土方歳三』は一般書店では販売していないようです。

ちなみに、谷春雄氏は『ふるさとが語る土方歳三』刊行の翌年、大河ドラマ『新選組!』が始まった2004年に、残念ながら亡くなられています。谷氏は1926(大正15)年の生まれでした。

それから、『ふるさとが語る土方歳三』について、もう1つ特筆しておくべきこととして、監修者が児玉幸多氏(学習院大学名誉教授)だということを挙げておきます。児玉幸多氏は日本近世史研究の大家で、残念ながら先月亡くなられました。

児玉氏は監修者として『ふるさとが語る土方歳三』の原稿にすべて目を通されたそうなのですが、そのときのお歳が何と93歳。児玉氏は1909(明治42)年の生まれです。日露戦争勃発の5年後、韓国併合の1年前ですね。驚きました。

『ふるさとが語る土方歳三』には、児玉幸多氏の執筆による「序」が付いています。その意味でも貴重な書物だと思います。

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2007年8月18日 (土)

HP「幕末維新史を読む」 開設

以前、「新選組関連の研究文献をリスト化する構想」という記事で予告していた、このブログとは別のHPを開設してみました。タイトルは「幕末維新史を読む」で、トップページのURLは下記となります。HPのデザインなどはあまりこだわっていません。作りかけでもありますし。

http://tosatoad.web.fc2.com/index.html

上記の過去記事でお約束していた通り、まずは新選組の関連文献のリストを公開してみました。新選組の関連文献とは言うものの、新選組に直接言及したものばかりでなく、例えば石井孝『戊辰戦争論』(吉川弘文館、1984年)ですとか、梅溪昇『高杉晋作』(吉川弘文館、2002年)ですとか、新選組を直接メインに扱っているわけではない文献も多数掲載しています。

何故そのようにしたかと言えば、「野口武彦『新選組の遠景』読了。新選組中心史観への批判」という過去記事で述べた、野口武彦氏の指摘による「新選組中心史観」を強く意識したからです。新選組ファンの多くは天動説で、新選組の内部ばかりに目を注いでいるが、新選組の真の姿は新選組ばかり見ていたのではわからないという指摘です。

要するに、新選組を取り巻く時代状況や政治状況、あるいは新選組が関わった人物・組織のことや、直接関わりがなくても敵対していた政治集団のリーダーのことなど、色んなことに目配せできた方が、新選組そのものの理解も深まろうというものです。例えば池田屋事件を考えるにしても、新選組のことばかりではなく、当時の長州藩が置かれていた政治状況や池田屋に集まった志士たちについて、詳しく知るべきだと思いますしね。

それは何も新選組に限ったことではないのですが、野口武彦氏が言うように、新選組の場合は特に注意が必要なようですので、あえて新選組に言及していない文献もたくさん紹介しました。そのため煩雑になっているかもしれませんが、ご理解いただければ幸いです。

また、リストは暫定的なものですので、今後も更新し続けることになると思います。新しいものでも古いものでも、私が新たに知った文献を追加していくことになろうと思います。

それから、新選組以外の各組織や各人物、あるいは各事件や各テーマに関する文献も、随時リスト化して掲載していこうと考えていて、ただ今準備中の状況です。特に幕末政治史について興味ある方のお役に立てるような文献リストを掲載していこうと思います。興味のある方は、ご覧になってみてください。

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