『大日本編年史』と「客観的な歴史」
「歴史が物語だという場合にも二通りの立場がある」。この言葉は、日本近代史研究者の小路田泰直氏が、著書『「邪馬台国」と日本人』(平凡社新書、2001年)の中で述べているものです。以後、色付きで表示された文字は小路田氏の著書からの引用です。
小路田氏が言う二通りの立場とは、以下の二つになります。
① 客観的な歴史は確かに存在するが、それを、どこまでも主観的な存在である我々人間が認識するためには、主観的な作業仮説を積み重ねていくしかないという意味で歴史は物語だという場合
② 歴史を、書く人の主観によって文字通り自由に描かれた文学作品同様の物語として捉えて物語という場合
小路田氏は、①を「客観的な歴史」と命名し、②を皇国史観が属する立場だと言います。近代の日本が公式に採用したのは、②の立場でした。①の立場は、『古事記』や『日本書紀』の神代の箇所の記述を安易に史実とは認めませんし、天皇家の「万世一系」にも否定的な立場です。②はその逆です。
ところが意外なことに、維新直後の明治政府が正史として編纂しようとした『大日本編年史』は、②の立場ではなくて、①の「客観的な歴史」の立場を採用していたそうです。その事業の編纂を担当した人たち(重野安繹、久米邦武、星野恒など)には、「『朝廷一家の歴史』や『政府官員の履歴』を書くのではなく、全国・全国民の歴史を書くこと、つまり『国民史』を書くという意図」と、「歴史を『名教』(道徳)や『物語の弊風』から解き放ち、どこまでも事実に基づいて書くという意図」、そして「日本の歴史を一つの文明史として描くという意図」があったのだと、小路田氏は述べています。
特に重視されたのが2つ目の、事実のみに基づく意図だったそうです。だからこそ例えば、『太平記』に書いてある記述でも古文書での裏づけがとれないものは、史実ではないとして排除したりしていたそうです。確かに、「客観的な歴史」を書こうという意欲が窺える事例です。その後の日本政府の歩みから考えると、意外な印象を受けます。
では何故、明治政府は「客観的な歴史」を書こうと試みたのでしょうか。その疑問に対して、小路田氏は次のような回答を示しています。
国民に歴史を自由に鳥瞰して、自力で自らの歴史観=道徳を構築してもらおうとしたからであった。そのためには歴史それ自体が「名教」を語る物語であってはいけなかった。なぜならば歴史を教訓にして物語をつくるのは、あくまで読み手の国民一人一人の方だったからであった。
一言で言うと、早晩生まれ出ずるべき立憲国家を支えていけるだけの国民の創出に関わろうとして、あえて「客観的な歴史」を書こうとしたのである。
ところが、「客観的な歴史」を書こうと試みた『大日本編年史』の編纂事業は、途中で中止させられてしまいます。中止させたのは、第二次伊藤博文内閣の文部大臣・井上毅だそうです。どうして、明治政府の方針は変わってしまったのでしょうか。小路田氏は次のように述べます。
明治二〇年代に入ると、国家の歴史を書く目的が、人類史とか文明史とかいったレベルの歴史を日本史を素材に書く―言い換えると日本史の中に普遍史を見出す―ことから、日本の個性、日本の特殊性をむしろ積極的に描くことに大きく変わった。その結果、『大日本編年史』の編纂は中止させられてしまったのである。
最初の頃は、日本が独立国にふさわしい文明国だと証明することが、歴史を書くことの目的の1つとされ、そのために普遍化された文明国の指標を用いようとしていたにもかかわらず、次第に普遍化された文明国の指標を利用することではなく、日本文化の特殊性・固有性といった民族的個性が強調され、「万邦無比の国体」などの言葉が使われるようになってきた事情があるようです。
そのため、「客観的な歴史」を書こうとする勢力ではなく、物語的な歴史が重視されるようになってしまったそうです。日本文化の固有性を証明するために物語的歴史が採用されたのは、「客観的な歴史」の立場で事実と見なせるものの中に、中国などの外来文化の影響を受けていない日本固有のものが見出せなかったからだと、小路田氏は述べます。
要するに、中国文化が入ってくる前の神話の時代(「客観的な歴史」の立場では事実と認めない時代)を歴史に組み込む物語が、日本文化の固有性を主張するために必要になったわけです。それが皇国史観に結び付いていくわけですね。
この「客観的な歴史」から物語的歴史が主流になるまでの過程は、戦後の歴史学にも大きな影響を与えていると、小路田泰直氏は見ています。詳しくは、小路田泰直氏の著書『「邪馬台国」と日本人』(平凡社新書、2001年)をお読みください。この本は、明治以後の邪馬台国の論争を古代史上の論争ではなく、日本近代史上の論争と見て、日本の史学史を追及したものです。邪馬台国論争などを事例に、近代日本の歴史家たちが抱えた歴史叙述・歴史認識の問題を論じています。
なお、ここでは小路田泰直氏『「邪馬台国」と日本人』から引用を行いましたが、『大日本編年史』についてより詳しいことは、小路田泰直氏の論文「日本史の誕生―『大日本編年史』の編纂について」(西川長夫・渡辺公三編『世紀転換期の国際秩序と国民文化の形成』柏書房、1999年に収録)を参照してください。
もしよろしければ、下記をクリックしてください。
人気blogランキングへ
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
