慶応元年の遠山三之助景之
財団法人・大倉精神文化研究所が発行している『大倉山論集』第52輯(2006年)に、岡崎寛徳氏の「慶応元年の遠山三之助景之」という論文が収録されています。「嘉永元年・安政二年の遠山左衛門尉景元」(『大倉山論集』第50輯、2004年)と「安政二・三年の遠山金四郎景纂・景彰」(『大倉山論集』第51輯、2005年)に続く論文です。
遠山三之助景之とは、時代劇『遠山の金さん』のモデルになった遠山左衛門尉景元の家を9代目として継いだ人物です。有名な景元は6代目です。9代目の景之は景元と同様、「金四郎」を名乗ったこともあるそうです。岡崎寛徳氏によれば、景元以降の遠山家については明らかでない部分が多いらしく、岡崎氏の研究もその部分に光を当てたものということになります。
岡崎氏の論文は、大倉精神文化研究所所蔵の「金沢甚衛氏旧蔵資料」中の「遠山日記三」を主な論拠史料として、慶応元年の遠山三之助景之の活動、遠山家の家族や親戚の動向、遠山家の家臣や領地などについて分析したもの。その結果として例えば、遠山三之助景之が小姓組番士として、慶応元年の将軍・徳川家茂の上洛に随従していたことなどが明らかにされています。
岡崎寛徳氏は「慶応元年の遠山三之助景之」ほか一連の論文で、遠山景元の家に関する事実を色々と明らかにされています。現在、遠山家5代の景晋以降が葬られた遠山家の墓所は、明治末年に移転しているそうですが、移転前と移転後では墓の配列が異なり、移転後には景元の墓が中央に配置されたそうです。その理由としては、明治末年の段階で景元が名町奉行として巷間に知れ渡っていたからではないかと、岡崎氏は推測しておられます。
なお、『大倉山論集』第53輯(2007年)には、岡崎寛徳「徒頭遠山金四郎景纂の役務」という論文が収録されています。景纂は9代目の景之よりも前の、7代目に相当する人物です。
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