「公武合体」をめぐる朝幕藩関係
『日本の近世18 近代国家への志向』(中央公論社、1994年)には、佐々木克氏の「『公武合体』をめぐる朝幕藩関係」という論文が掲載されています。1980年代以前は明治初年の研究に力を注いでいた佐々木克氏が、初めて本格的に幕末史を論じた研究論文です。
幕末政局の変動の中で、天皇(朝廷)と将軍(幕府)と大名(藩)の権力関係が、徐々に変わっていく様相を、弘化年間から慶応3年の王政復古政変までを射程に入れて分析した論文です。特に文久期あたりを中心に分析されていて、10年以上前の論文ですが、今読んでも示唆に富む内容を含んでいると思います。
例えば、いわゆる公武合体論(佐々木克氏もそうですが、最近は「公武合体」という用語の使用に慎重な研究者が増えているように感じます)についての、次の記述。
公武合体論は、外圧に対抗するという国家的課題に直面して、民心一致の挙国一致体制を創出するため、まず朝・幕・藩が一体化しなければならないという論理で、具体的な政治課題として登場したものである。そのかぎりにおいて、一般の尊攘派のみならず尊攘激派の論理も同じで、尊攘激派の主張を、あまり倒幕論の方向にひきつけすぎて評価すべきではなく、天皇・朝廷に大きく比重をかける公武合体論の一種と見るべきである、と私は考えている。その公武合体が実現したかに見えたとき、じつは朝・幕と藩の分離が明らかになるという皮肉な結果をもたらしていたのであった。
(『日本の近世18 近代国家への志向』185ページ)
上記引用文の最後の一文については、元治元年の参預会議瓦解後の状況を述べたものです。有志大名が上京して開かれた参預会議は、横浜鎖港をめぐって、鎖港論を述べる一橋慶喜と反対の諸侯たちの意見が対立して瓦解しました。その後、横浜鎖港を願う朝廷と、鎖港の実現が困難であることを知りながら鎖港を朝廷に約束して公武合体の体制を築こうとする幕府に、諸藩が失望していた状況を説明したものです。
また、上記引用文に続く同じページの文章では、次のような指摘もなされています。
禁門の変における長州藩の行動は、あきらかに朝廷と幕府への武力をともなった抗議運動であったという、その画期的側面に目を注ぐべきである。
ほかにも、色々と興味深い論点が提示されている論文です。佐々木克氏の幕末政治史研究の端緒としても、意味のある論文だと私は思っています。
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