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2008年5月15日 (木)

海援隊+陸援隊=翔天隊

土佐藩が、坂本龍馬の海援隊と中岡慎太郎の陸援隊を合わせて、「翔天隊」と呼ぼうとしていたらしいという話は、あまり知られていないような気がしますが、どうでしょうか。

上記の話はもともと、平尾道雄氏が『坂本龍馬 海援隊始末記』(中公文庫、1976年)などの著書の中で紹介した、「福岡孝弟手録」という史料(平尾氏の『龍馬のすべて』<久保書店、のち高知新聞社>の中では「福岡藤次の手記」と呼称されています)が出典です。福岡孝弟については、「明治維新と福岡孝弟」という過去記事も、よろしければご覧ください。

その「福岡孝弟手録」に、以下のような記載があったことによります。『坂本龍馬 海援隊始末記』中公文庫版から、引用してみます。

今後海陸ヲ合セ号シテ翔天隊と云ン。

「海陸」というのが、海援隊と陸援隊のことです。平尾道雄氏は、実際には「翔天隊」という隊名が使われることはなかったようだと指摘しています。龍馬の書記・長岡謙吉(今井純正)の慶応3年4月27日付武藤広陵宛書簡には、かろうじて「翔天」の文字が記されています(『坂本龍馬関係文書』第1巻や『坂本龍馬全集』に掲載)。

ところで、「福岡孝弟手録」は原文書が失われていて、平尾道雄氏が紹介した活字でしか読むことができません。しかし、「福岡孝弟手録」と同じ内容を記載した別の史料が残っています。それが、樋口真吉による「丁卯筆記」という史料で、四万十市立郷土資料館が所蔵しています。

樋口真吉は龍馬とも親しかった土佐出身の志士で、文久元年に龍馬が武市半平太の書簡を携えて長州藩の久坂玄瑞を訪問した際、日記に「坂龍飛騰」と記したことで知られています。その樋口真吉の「丁卯筆記」に、平尾道雄氏によって紹介された「福岡孝弟手録」と同じ文章が記載されているのだそうです。もちろん、「丁卯筆記」には「翔天隊」の呼称が記されています。

私はその現物を見たことがありませんが、幸い、『特別展 三館合同企画 暗殺140年!-時代が求めた”命”か?-坂本龍馬・中岡慎太郎展』という図録に写真が掲載されていますので、それで確認することができました。興味のある人は、その図録の32ページを見てください。

上記図録は、2007年夏に、高知県立歴史民俗資料館・高知県立坂本龍馬記念館・北川村立中岡慎太郎館が、合同で企画・開催した特別展の図録です。3つの博物館で図録を通信販売しているので、興味のある方は高知に行かなくても購入することが可能です。

ちなみに、上記図録には他にも多数の史料が写真で掲載されていますし、「特論」として、青山忠正氏(佛教大学教授)の論考「慶応期の政局と龍馬・慎太郎」や、豊田満広氏(中岡慎太郎館学芸員)の論考「土佐勤王党の活動と武市半平太の政治思想について」なども掲載されています。

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