幕末過渡期国家論
佐藤誠朗・河内八郎編『講座日本近世史8 幕藩制国家の崩壊』(有斐閣、1981年)と、宮地正人『天皇制の政治史的研究』(校倉書房、1981年)に、宮地正人氏の「幕末過渡期国家論」という論文が収録されています。後の幕末政治史研究に大きな影響を与えた、有名な論文です。それだけに、今読んでも示唆に富む内容が多いと思います。
論文タイトルにある「幕末過渡期国家」とは、宮地氏が論文の中で述べている言葉を借りれば、「幕府がそれ自体で公儀たりうる力量を失い、一大大名勢力に転落する過程において、条約勅許を強く拒否しつづける天皇・朝廷が反比例的に国家の中心的存在として浮上し、自らが『強力国家』を組織しようとする時、それを根軸としながら、外圧に堪え、国民を統合しうる国家形態が、支配諸階層によって真剣に模索されていく」として、その新しい国家形態を「幕末過渡期国家」と呼び、その構造を分析しています。
「幕末過渡期国家」の時期としては、文久2年4月から慶応元年10月と設定されます。文久2年4月は、宮地氏が「幕政史上、前代未聞の画期的大事件」と評価する島津久光の率兵上洛の時期。慶応元年10月は、兵庫沖にやってきた西洋列強の艦隊の圧力によって朝廷が条約を勅許した時期にあたります。
もっと詳しく言えば、宮地氏は「幕末過渡期国家」の形成期を文久2年4月から文久3年8月と設定しています。そして、転換期が文久3年8月から元治元年7月。崩壊期が元治元年7月から慶応元年10月ということになります。
「幕末過渡期国家」が形成され始めたのは、宮地氏によれば、徳川家と徳川譜代の利害を優先し、先例と旧例の墨守を第一条件として行政を担ってきた従来の「将軍=譜代結合」体制が、幕末の新たな事態に対応できなくなってきたからです。それゆえに例えば、「幕末過渡期国家」の形成過程で新設された京都守護職は、幕府と深い関係を持ちつつも「将軍=譜代結合」の枠外にある家門が任じられ、「将軍=譜代結合」以外の方法で幕府維持を模索することになります。
そして宮地氏は、「幕末過渡期国家」の時代について、以下のような説明をしています。
文久二年から慶応元年に至る足かけ四年間は、よくいわれるような尊攘派の悔悟の時期でも、また無意味なテロリズムの時期でもない。幕藩体制という特殊日本的な封建制国家が、未曾有の外圧のもと、しかも人民のブルジョア的成長の不充分な段階において、そのありとあらゆる制度・伝統・心理・身分等々の諸モメントを総動員しながら、軍事的・国家的結集をなしとげようとする時、どうしても通過せざるをえなかった必然的な一つの局面、一つの場なのであった。
宮地氏の「幕末過渡期国家論」が収録された同氏の著書『天皇制の政治史的研究』はしばらくの間、品切れの状態になっていましたが、2004年に復刊されたそうです。もしかしたら、今ではもう購入できないかもしれませんが、所蔵している図書館も少なくないはず。幕末政治史や朝幕関係史において重要な研究成果だと思いますので、まだ読んだことがない幕末好きの方には、一読をオススメします。
ちなみに、宮地氏が「画期的大事件」と評価した島津久光の率兵上京については、宮地氏の研究を批判的に継承する形で展開した、笹部昌利「薩摩藩島津家と近衛家の相互的「私」の関わり‐文久二年島津久光「上京」を素材に‐」(『日本歴史』第657号、2003年)という論文があります。いずれ、詳しく紹介するかもしれません。
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