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2008年4月30日 (水)

『アンドロメロス』のメカバルタン

ウルトラマンの宿敵と言えば、バルタン星人。実際、バルタン星人が登場したウルトラ作品は数多いです。バルタン星人が登場した主な作品を列挙すれば、『ウルトラマン』、『ウルトラファイト』(帯番組)、『帰ってきたウルトラマン』、『ザ☆ウルトラマン』(アニメ作品)、『ウルトラマン80』、『ウルトラマンパワード』、『ウルトラマンコスモス ファーストコンタクト』(劇場用映画)、『ウルトラマンマックス』などがあります。細かいものを含めれば、もっと多くの作品にバルタン星人は登場しています。

Imgp2750 そして、ここで紹介する「メカバルタン」も、そんなバルタン星人の中の1人です。名前からもわかるとおり、身体の一部を機械化されたバルタン星人で、ソフビ人形や指人形などのグッズも発売されているキャラクターです。最近では(2月の話ですが)、データカードダス『大怪獣バトル』の怪獣カードとして登場したのも、記憶に新しいところです。

そんなメカバルタンが登場した作品は、1983年に放送された帯番組『アンドロメロス』。ウルトラシリーズの番外編で、雑誌でのグラビア特写+漫画連載という形での活躍を経て、TV化された作品です。コンセプトとしては、「鎧を着たウルトラマン」ということで、雑誌展開の頃は、宇宙警備隊の隊長・ゾフィーがコスモテクター(アンドロ族の戦士から譲り受けた鎧)を着て、「アンドロメロス」を名乗っていました。

TV版『アンドロメロス』は、アンドロ族の戦士ブノワがコスモテクターを身に付け、2代目アンドロメロスとして、そしてアンドロ警備隊の隊長として活躍しました。胸には、初代アンドロメロスであるゾフィーから授かった、ウルトラクロスという勲章を付けています(→アンドロメロスとアンドロ超戦士たちのソフビの画像がコチラ)。

メカバルタンは、その『アンドロメロス』という番組に登場したのです。アンドロ超戦士たちが戦った敵をグア軍団と呼びますが、メカバルタンはそのグア軍団の一員として登場し、アンドロ超戦士たちと戦い、アンドロマルスの必殺技コスモバズーカで倒されました。真相は定かではありませんが、初代ウルトラマンと戦ったバルタン星人が復活させられたものという説もあるようです。

メカバルタンは非常にマイナーなキャラクター(そもそも登場作品がマイナー)ですが、紛れもなくバルタン星人の一員です。バンダイから発売された「不滅のバルタン星人セット」という商品にも、メカバルタンは入っています。

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2008年4月28日 (月)

幕末過渡期国家論

佐藤誠朗・河内八郎編『講座日本近世史8 幕藩制国家の崩壊』(有斐閣、1981年)と、宮地正人『天皇制の政治史的研究』(校倉書房、1981年)に、宮地正人氏の「幕末過渡期国家論」という論文が収録されています。後の幕末政治史研究に大きな影響を与えた、有名な論文です。それだけに、今読んでも示唆に富む内容が多いと思います。

論文タイトルにある「幕末過渡期国家」とは、宮地氏が論文の中で述べている言葉を借りれば、「幕府がそれ自体で公儀たりうる力量を失い、一大大名勢力に転落する過程において、条約勅許を強く拒否しつづける天皇・朝廷が反比例的に国家の中心的存在として浮上し、自らが『強力国家』を組織しようとする時、それを根軸としながら、外圧に堪え、国民を統合しうる国家形態が、支配諸階層によって真剣に模索されていく」として、その新しい国家形態を「幕末過渡期国家」と呼び、その構造を分析しています。

「幕末過渡期国家」の時期としては、文久2年4月から慶応元年10月と設定されます。文久2年4月は、宮地氏が「幕政史上、前代未聞の画期的大事件」と評価する島津久光の率兵上洛の時期。慶応元年10月は、兵庫沖にやってきた西洋列強の艦隊の圧力によって朝廷が条約を勅許した時期にあたります。

もっと詳しく言えば、宮地氏は「幕末過渡期国家」の形成期を文久2年4月から文久3年8月と設定しています。そして、転換期が文久3年8月から元治元年7月。崩壊期が元治元年7月から慶応元年10月ということになります。

「幕末過渡期国家」が形成され始めたのは、宮地氏によれば、徳川家と徳川譜代の利害を優先し、先例と旧例の墨守を第一条件として行政を担ってきた従来の「将軍=譜代結合」体制が、幕末の新たな事態に対応できなくなってきたからです。それゆえに例えば、「幕末過渡期国家」の形成過程で新設された京都守護職は、幕府と深い関係を持ちつつも「将軍=譜代結合」の枠外にある家門が任じられ、「将軍=譜代結合」以外の方法で幕府維持を模索することになります。

そして宮地氏は、「幕末過渡期国家」の時代について、以下のような説明をしています。

文久二年から慶応元年に至る足かけ四年間は、よくいわれるような尊攘派の悔悟の時期でも、また無意味なテロリズムの時期でもない。幕藩体制という特殊日本的な封建制国家が、未曾有の外圧のもと、しかも人民のブルジョア的成長の不充分な段階において、そのありとあらゆる制度・伝統・心理・身分等々の諸モメントを総動員しながら、軍事的・国家的結集をなしとげようとする時、どうしても通過せざるをえなかった必然的な一つの局面、一つの場なのであった。

宮地氏の「幕末過渡期国家論」が収録された同氏の著書『天皇制の政治史的研究』はしばらくの間、品切れの状態になっていましたが、2004年に復刊されたそうです。もしかしたら、今ではもう購入できないかもしれませんが、所蔵している図書館も少なくないはず。幕末政治史や朝幕関係史において重要な研究成果だと思いますので、まだ読んだことがない幕末好きの方には、一読をオススメします。

ちなみに、宮地氏が「画期的大事件」と評価した島津久光の率兵上京については、宮地氏の研究を批判的に継承する形で展開した、笹部昌利「薩摩藩島津家と近衛家の相互的「私」の関わり‐文久二年島津久光「上京」を素材に‐」(『日本歴史』第657号、2003年)という論文があります。いずれ、詳しく紹介するかもしれません。

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2008年4月26日 (土)

「ディズニーの専門家」

早稲田ウィークリーのHPに、2002年4月25日付で掲載されている、有馬哲夫氏の文章を最近読みました。早稲田ウィークリーとは、早稲田大学学生部が発行する学生向け広報誌ですが、その早稲田ウィークリーのHP→バックナンバーのページ→2002年度前期分のページ→4月18日号(961号)掲載記事一覧→とっておきの話:「ディズニーの専門家?」という順番で進んでいただければ、今回の記事で私が話題にしている文章にたどり着けます。

有馬哲夫氏は『ディズニーとは何か』や『ディズニーランド物語』など、「ディズニー」をタイトルに冠する著書をたくさんお持ちのメディア研究者。

早稲田ウィークリーの文章の中で、有馬氏は自分が「ディズニーの専門家」ではないことを盛んに強調しています。ディズニーに関する著書を出し始めた頃、有馬氏にはテーマパーク経営や幼児教育に関する講演の依頼などが来たそうです。しかし、有馬氏はメディア研究者であって、経営だの幼児教育などは専門外のはず。なぜ専門外の話題について、講演依頼が来るのでしょうか。要するに有馬氏は、ディズニーをタイトルに冠する本を出しているとあって、「ディズニーの専門家」と思われてしまい、それで苦労することもあるということのようです。

「ディズニーの専門家」とは、一体どのような人のことを言うのでしょうか。

一口に「ディズニーが好き」「ディズニーに興味がある」と言っても、その人が言う「ディズニー」には、どのような意味内容が含まれているかは、人それぞれ違います。ある人は、会社としてのディズニーの歴史・成り立ちに興味があるかもしれません。ある人はディズニーが生み出した魅力的なキャラクターたちに興味があるかもしれません。ある人はテーマパーク経営に興味があるかもしれません。

しかし、それらすべてに興味・関心を持っていて、誰にも負けないような知識まで持ち合わせている人は、そんなに多くはないはずです。ディズニーに関するHPを作っている人は、必ずしも「ディズニーの専門家」と呼べるほどの人ばかりではないはずです。もちろん、私もそうです。知っていることよりも知らないことの方がはるかに多いです。

しかし、有馬氏は「ディズニー」を冠する著書を出している人なので、そのようなディズニーに関するあらゆることに詳しい「ディズニーの専門家」だと思われてしまう場合があるということなのでしょう。実際のところ、例えばディズニー・アニメーションを研究している学者に、「東京ディズニーランドには、隠れミッキーはどれぐらいあるんですか?」と聞いたところで、答えられない場合の方が多いでしょう。ディズニー・アニメーションの専門家であっても、ディズニー全般の専門家ではないという場合があるのです。

私もまさにそのようなタイプであって、ディズニー・アニメーションのことならそれなりに詳しい面もありますが、例えば海外のディズニー・テーマパークのことや、それこそ隠れミッキーのことには詳しくありません。そもそも、私は絶叫マシンが苦手で、スペースマウンテンやビッグサンダーマウンテンに乗ったことがないので、東京ディズニーランドすら、全く知らない未知の部分が多いんですよね。

そのような事例はディズニー以外でもありがちなこと。例えば、「大学で歴史を教えている先生」と聞いて、歴史のあらゆることに詳しいと思う人もいるかもしれませんが、実際には学者は各々の専門があります。「江戸時代の専門家」もいれば、「明治の文化についての専門家」もいます。例えば「奈良時代の専門家」に、室町時代に関する質問をしても、大した答えは返ってこないかもしれないのです。

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2008年4月23日 (水)

戊辰戦争諷刺錦絵と薩摩藩

『諷刺眼維新変革-民衆は天皇をどう見ていたか-』(校倉書房、2004年)や『絵解き幕末諷刺画と天皇』(柏書房、2007年)などの著書がある奈倉哲三氏は、昨年3月に、「戊辰戦争諷刺錦絵の世界史的位置-国民国家草創期における民衆思想-」(『跡見学園女子大学文学部紀要』第40号)という論文を発表しています。国立情報学研究所が提供する「CiNii 論文情報ナビゲータ」のコチラのページから、PDF閲覧が可能です。

奈倉氏の論文は、「戊辰戦争諷刺錦絵が有する思想史的特質を、同時期ヨーロッパの諷刺画と比較することで、その世界史的位置の解明を試みたもの」です。ここでは、その全体を紹介するのではなく、私が特に興味を持った部分を断片的に紹介・引用することにします。全体の論旨が気になる方は、ぜひ上記のリンクからご自分でお読みください。

奈倉氏は考察の中で、諷刺錦絵2点を取り上げ、戊辰戦争前後の江戸市民が、新政府の中心をなしていた薩摩藩勢力に対して反感を抱いていたことを指摘しています。要するに、その気持ちが諷刺錦絵に出ていると。慶応3年11月頃から江戸で起きた強盗などの犯人が、薩摩藩士や薩摩藩邸に匿われている浪人たちであることを、江戸市民が知っていたことにもよるそうです。次のような指摘もされています。

江戸市民が薩摩を嫌ったのは、市民にとっては現実の恐怖であったからである。薩摩が、たとえ、神権性を喧伝され始めた天皇と「錦の御旗」によって、その正当性を主張しようとも、押し込み強盗を指揮した藩が新政府の中心にあるのであれば、その支配に対し、民衆が拒否の反応を示したのは当然であり、また、天皇による江戸親征に対しても、薩摩が担いでいる以上、忌避の反応を示したのも当然であった。

奈倉氏が指摘しているようなことも、江戸市民の感情としては実際にあったのかもしれません。

ただ、慶応3年末の薩摩藩による、いわゆる江戸撹乱工作ですが、従来は西郷隆盛ら薩摩藩の指導者層の指示を受けての行為と理解されていました。しかし近年、高橋秀直氏によって、京都の薩摩藩指導者から撹乱工作中止の指令が出ていたことが指摘されました。もしも高橋秀直氏の主張が正しければ、慶応3年末の撹乱工作は、藩としての方針ではなく、江戸藩邸の薩摩藩士たちの暴走という可能性も考えられることになります。高橋氏の主張が絶対に正しいとは言いませんが、検討すべきことだと思います。

なお、奈倉氏の論文を面白いと感じた方は、冒頭で紹介した奈倉氏の著書も、お読みになると良いと思います。論文と著書で、相互に補完し合う関係になっているはずです。

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2008年4月19日 (土)

福岡藩慶応元年の政変

『福岡大学人文論叢』第34巻第1号・通号132(2002年6月)に、梶原良則氏の「福岡藩慶応元年の政変」という論文が掲載されています。今回はその論文の内容を少しだけご紹介します。

梶原氏は論文の冒頭で、元治元年の第一次長州征伐をめぐる周旋活動を通じて、「諸藩の合意は幕府の命に優先する、名分のたたない幕府の命は拒否できるという論理」が、幕府に対抗する有力な手段として、慶応期には有力諸藩の間で認識されてきたと述べています。それはすなわち、「雄藩連合の政治路線ともよぶべき新たな政治動向」の登場です。

上記のような政治動向に関する研究蓄積は、必ずしも厚いものではないと梶原氏は言います。そして梶原氏の論文は、雄藩連合の政治路線の一翼を担った福岡藩を題材に、慶応元年前半の福岡藩の政治情況を明らかにすることで、その研究史に新しい1ページを加えることを目的として執筆されたものなのです。

当時の福岡藩の中には、「正義」派と呼ばれた勢力、「因循」派と呼ばれた勢力、「過激」派と呼ばれた勢力の、3つの政治集団が存在していたようです。このうち、元治元年の長州周旋活動において、一定の成果を収めた「正義」派が慶応元年には藩内で勢力を拡大しました。しかし、三条実美ら五卿の筑前渡海の交渉において藩主の意向を無視し、長州尊攘派の救援活動を展開していた月形洗蔵ら「過激」派の行動が、福岡藩主・黒田長溥の反感を買っていたため、「過激」派と近しい「正義」派の方針が、後に「正義」派を追い詰めることになったそうです。

梶原氏の論証によれば、「正義」派は藩の方針として、幕府および朝廷の命令に拘泥せず、藩の独立性を強めていくことを良しとし、だからと言って福岡藩だけで独立性を強めるのは危険という認識によって、薩摩藩や肥後藩などの近隣諸藩との連携、つまり雄藩連合の路線を推進しようとしていたとのことです。また、「正義」派は挙藩一致体制を実現させるため、藩主が嫌っている「過激」派にも寛容だったようです。それに対して藩主は、尊攘派を藩主と言えども統制しきれないような長州藩のような政治情況になること、つまり政治主導権を奪われることを恐れていたようです。

そのため、藩主と「正義」派との対立が深まり、藩主は藩主自身の政治的主導権を確保するため、「正義」派を藩政中枢から一掃しようと考えるようになったようです。そこで藩主が頼りにしたのが、「因循」派と呼ばれる勢力。しかし、「因循」派は「因循」派で、藩主に「過激」派の処分を求めるなどの要請を藩主にしたため、とても藩主が親政できる状況ではなかったとか。藩主には、「過激」派の存在を許容して挙藩一致を目指す「正義」派と、「過激」派の処分を求める「因循」派の、二者択一が迫られていたのだと梶原氏は述べています。

そんな状況の中、長州再征が現実味を帯びてきました。長州再征の実現は、第一次長州征伐の周旋活動を推進した「正義」派にとって、自身の成果を否定されかねないという意味で、何とか福岡藩の再征への出兵を阻止したかったようです。

そんな中、藩主は、中央政局の主導権が一会桑権力に握られ、雄藩連合を推進する勢力が退潮したと認識するようになります。その認識のもとに、藩主は「因循」派と連携して、「正義」派と「過激」派の粛清に乗り出したのだそうです。この選択について梶原氏は、「明治維新における福岡藩の動向を規定することになった」と述べています。

明治維新の変革に、福岡藩がどのように関わったのかを知る上で、非常に興味深く読めた論文でした。幕末の福岡藩を調べる上では、読まないわけにはいかない論文だと思います。

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2008年4月17日 (木)

こんなウルトラマンを見てみたい

『ウルトラセブンX』や『ウルトラギャラクシー 大怪獣バトル』のような形ではなく、TVで1年間放送される形式の新しいウルトラ作品が作られるとしたら、「こんな設定だったら嬉しいなぁ」と思う個人的願望・妄想を述べてみたいと思います。

これまでのウルトラ作品には、『ウルトラマンメビウス』のように旧作を完全に同一世界と設定した上で構築した作品だけではなく、『ウルトラマンティガ』のように旧作とは全く異なる新しい世界観を舞台にした作品があると思います。面白ければどっちでも良いというのが本音ではありますし、究極の理想は両方を同時並行でやってくれることです。

でも、諸般の事情でどちらかになるのであれば、できれば『ウルトラマンメビウス』のように、旧作を包含した世界観で活躍するウルトラマンが見たいです。先輩ヒーローとの競演も望めますしね。ただし、先輩ヒーローとの共演が最大の売りになってはいけません。最大の見所はほかの部分であって、客演はあくまで「あるかもしれない」おまけ程度でいいです。なければないで、構いません。

しかもその際、主役のウルトラマンがウルトラ兄弟の一員であったり、ウルトラ兄弟候補生だったりする必要性はないと思っています。以前にも、M78星雲出身とされながら、ウルトラ兄弟ではないウルトラマンは何人かいました。『ウルトラマンUSA』の3人や、ウルトラマングレート、ウルトラマンパワード、ウルトラマンネオス、ウルトラセブン21、ウルトラマンマックス、ウルトラマンゼノンなどです。しかし彼らが活躍した作品は、『ウルトラマンメビウス』のように旧作を同一世界と設定したものではなかったり、あるいは旧作との関連が曖昧だったりしたものが多かったです。

今度は、『ウルトラマンメビウス』のような過去にウルトラ兄弟が活躍した世界の延長上に、ウルトラ兄弟ではないウルトラマンが登場してほしいと思います。いっそ、M78星雲光の国が存在する世界の地球に、ウルトラマンレオのようなM78星雲出身ではないウルトラマンが現われたり、あるいは平成3部作のように宇宙人ではないウルトラマンが主役でもいいと思います。例えばウルトラマンガイアは地球から光を授かりましたが、そのような宇宙人ではないウルトラマンが、ウルトラ兄弟が存在する世界に現われたらどうなるか、ちょっと興味があります(もしかして、今度の映画がそういう趣旨なのでしょうか?)。

また、ウルトラの父は16万歳で、ウルトラ兄弟最年長のゾフィーは2万5千歳ですが、その間の世代のウルトラマンたちはいないのでしょうか。ウルトラ兄弟はみんなゾフィーより年下ですが、ゾフィーが隊長を務める宇宙警備隊には100万人のウルトラ戦士が所属しているそうなので、きっと5万歳の戦士とか3万5千歳の戦士とかがいることでしょう。ゾフィーよりも年上で戦い慣れしているけれども、ウルトラ兄弟には加入していない…そんなウルトラマンが地球に来ても良いと思います。

あるいは、青いウルトラマン。『ウルトラマンメビウス』劇中でのセリフから、青い体の宇宙警備隊員はウルトラマンヒカリが初めての事例のようですが、そのヒカリに続いて宇宙警備隊に加入した青いウルトラマンが地球にやってきたら、どのような活躍を見せてくれるか興味があります。

いっそ、複数の新たなウルトラマンが活躍する作品で、どうでしょうか。映画『ウルトラマンUSA』で3人のウルトラ戦士がM78星雲から派遣されてきたように、『ウルトラマンガイア』にウルトラマンアグルが登場していたように、ビデオ版『ウルトラマンネオス』にウルトラセブン21が登場していたように、『ウルトラマンメビウス』にウルトラマンヒカリが登場していたように。

例えば、新たにM78星雲から地球に派遣された赤い体のウルトラマン(年齢は7万歳ぐらい)と、たまたまM78星雲から科学調査で地球にやってきて何故か地球を守ることになった青いウルトラマンの組み合わせとか。あるいは、宇宙警備隊の青き体のルーキー戦士と、謎の光の力でウルトラマンへの変身能力を身に付けた地球人の組み合わせとか。初代ウルトラマンの伯父さんにあたるベテランのウルトラ戦士と、M78星雲以外の星から来たコメディ系ウルトラマン(ゼアスやナイスのような)の組み合わせとか。

異なる性格、異なる立場、異なる出自のウルトラマンが複数出てくる物語を、ぜひ見てみたいです。言うなれば、私は『仮面ライダーアギト』のようなものを望んでいるのかもしれません。私は平成の仮面ライダーの中では『アギト』がダントツで好きなのですが、『アギト』にアギト、ギルス、G3-Xといった異なる特徴を持つ3人ライダーが出てきたような展開を、ウルトラマンでも見たいのかもしれません。

最初に述べたように、先輩ヒーローの客演は「あるかもしれない」程度でいいです。あれば嬉しいですが、その作品の良さをファンが談義したときに、客演回しか語られない場合は非常に寂しいですから。客演が多すぎても、客演のありがたみが薄れることもありうるでしょうし、新ヒーローのカッコよさが霞んでしまうのもどうかと思いますので。旧作との繋がりはあっても客演はほとんどない、『ウルトラマン80』のような感じでもいいのではないでしょうか。

まぁ、冒頭で述べたように、究極の理想はM78星雲の世界観と、それとは全く異なる世界観の物語の両方を見られることなんですけどね。どうも、『ウルトラマンティガ』など平成三部作の頃にはウルトラ兄弟の存在が軽視され、逆に『ウルトラマンメビウス』の頃には府非M78星雲出身のウルトラマンが軽視されていたような印象があるので、どちらかだけに偏ると寂しい感じがするんですよね。

「初代ウルトラマンだってセブンだって、タロウだってレオだって、ジョーニアスだってパワードだって、ティガだってガイアだって、コスモスだってネクサスだって、ゼアスだってナイスだって、マックスだってメビウスだって、みんなウルトラマンなんだ!!」ということを強調しておきたいです。

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2008年4月15日 (火)

東京ディズニーランド 開園25周年

「夢と魔法の王国」こと東京ディズニーランド(以下、TDL)は、1983年4月15日に開園しました。ちょうど、今日で開園25周年となります。TDLの「夢と魔法」に魅せられた人が多かったからこそ、25年も続いてきたのだと思います。

先日、そんなTDL25年の歴史を振り返るためのDVDも発売されました。以下の3つのDVDです。

『メモリーズ オブ 東京ディズニーリゾート 夢と魔法の25年パレード&スペシャルイベント編』
『メモリーズ オブ 東京ディズニーリゾート 夢と魔法の25年 ショー&スペシャルイベント編』

『メモリーズ オブ 東京ディズニーリゾート 夢と魔法の25年 ドリームBOX』(上記2点のDVDにボーナス・ディスクを加えた3枚組)

私のように、物心が付いた頃にはすでにTDLが存在しているのが当たり前の世代で、なおかつTDLに頻繁に行くようになってから大した年数が経っていないような人間には、非常にありがたいDVDと言えるかもしれませんね(私は1980年代前半の生まれなのです)。

私は今でこそ「ディズニー・ファンの端くれ」として生きていますが、それもたかだか数年前からのこと。幼い頃からTDLには何度か行ったことがありましたが、明確に「ディズニー・ファンの端くれ」としての自覚を持ってTDLに行ったのは、2004年の夏のこと。ちょうど、「バズ・ライトイヤー 夏の大作戦」というスペシャル・ショーが開催されていた時期です。その時期に、初めて年間パスポートというものを購入してみたのです。

それ以来、TDLに行く機会が格段に多くなりましたが、色々と楽しい思い出ができました。「ディズニー・ファンの端くれ」を自覚する前は、TDLに行ってもスペシャル・ショーなどに大して関心を抱くこともなかったのですが、「ディズニー・ファンの端くれ」を自覚してからというもの、TDLのスペシャル・ショーやスペシャル・パレードが楽しみになりました。

もちろん、すべてのショーが自分好みだったわけではありませんが、それでも楽しかった思い出がたくさんあります。「バズ・ライトイヤー 夏の大作戦」、「ロック・アラウンド・ザ・マウス」、「フリフリ・オハナ・バッシュ」、「クーキースプーキー・ハロウィーンナイト」などなど、今でも気に入っているショーがいくつもあります。「ディズニー・ファンの端くれ」になってから、ほんの数年ではありますが、TDLでたくさんの思い出を作ることができたと思っています。

とにかく、たった数年にもかかわらず私にたくさんの思い出をもたらしてくれたTDLは、25年の長きにわたって、多くの人に素晴らしい思い出を提供してきたものと思います。今後も、TDLがそんな空間であってくれたら嬉しいです。

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2008年4月13日 (日)

明治維新と坂本龍馬

今回は、平尾道雄『明治維新と坂本龍馬』(新人物往来社、1985年)という書籍を紹介します。

「坂本龍馬研究の第一人者」と言われていた平尾道雄氏の死後、雑誌や新聞などにすでに発表されていた平尾氏の文章や講演録を収めたものになります。あとがきを書いているのは広谷喜十郎氏です。

平尾道雄『明治維新と坂本龍馬』に収録されている論稿を、いくつか紹介してみましょう。

まずは、大正15年に発行された雑誌『中央史壇』第79号に掲載されていた「坂本龍馬」と題された文章が、『明治維新と坂本龍馬』に再録されていることを紹介しておきましょう。この論稿は『中央史壇』第79号の特集「幕末明治人物史論」の一編として書かれたもので、坂本龍馬の小伝です。「井上道雄」の名義で執筆された、平尾氏の処女論文でもあります。

同じく、平尾氏の初期の業績の1つである、「幕末浪人運動雑観」という論文も、『明治維新と坂本龍馬』に収録されています。昭和3年に発行された『中央史壇』第97号に掲載されていたものです。幕末の浪人集団に興味を持って幕末維新史の研究を始められた平尾氏のスタンスを知る上で、面白い論文だと思います。

「岡田以蔵随考」という文章も収録されています。雑誌『日本歴史』第326号(1975年)に発表された文章で、幕末の人斬りとして有名な岡田以蔵の略伝です。非常に短い文章ではありますが、岡田以蔵の生涯を簡潔に記してくれていますので、岡田以蔵の実像を知りたい方には有益だと思います。

「龍馬と勝海舟書翰」と題された文章も、『明治維新と坂本龍馬』には収録されています。1958年発行の雑誌『土佐史談』第93号に発表された文章の再録ですが、勝海舟の庇護下にいた頃の坂本龍馬を考える上で重要な勝海舟書簡を紹介している文章です。

文久3年8月18日政変の後、土佐藩は勝海舟の庇護下にいた坂本龍馬ら土佐脱藩者に対して帰国命令を出しますが、それに対して勝海舟が、龍馬の帰国命令を猶予してほしい旨を土佐藩の江戸藩邸にいる徒目付に宛てて記した12月6日付書簡が紹介されているのです。また、それを受けて土佐藩の江戸藩邸留守居役が海舟の要求を断った拒絶書の写しと、事の顛末を江戸藩邸から土佐藩の重役に報告した書簡も紹介されています。

これらの書簡は、講談社版『勝海舟全集』の編集に携わり、勝海舟研究者として名高い松浦玲氏も原文書を読んだことがない旨を、著書『検証・龍馬伝説』(論創社、2001年)に記しています。その意味でも、平尾道雄氏の「龍馬と勝海舟書翰」は貴重と言えるかもしれません。ちなみに、これらの書簡は宮地佐一郎編『坂本龍馬全集』(光風社、1978年)にも掲載されています。

そのほかにも『明治維新と坂本龍馬』には、『土佐史談』、『高知新聞』、『歴史読本』、『歴史と人物』、『司馬遼太郎全集』月報、『毎日新聞』、『高知県人』、『日本古書通信』、『日本公論』など、各種媒体に発表された平尾道雄氏の論稿が再録されています。どれも非常に面白いです。私は平尾道雄氏の文章が好きなので、平尾氏の執筆生活の初期から晩年に至るまでの論稿が収録されている『明治維新と坂本龍馬』という本を、重宝しています。

ちなみに、私だけかもしれませんが、平尾道雄氏が訳者として名前を連ねているマリウス・B・ジャンセン氏の『坂本龍馬と明治維新』(時事通信社、1965年)と混同しそうになることがあるので、注意が必要です。

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2008年4月11日 (金)

ディズニー映画の猫たち 第5回

今回は「ディズニー映画の猫たち」を紹介する企画の5回目。「『ネコ科』のキャラクターたち‐その他編‐」と題して、猫とは呼ばれないものの「ネコ科」に属する動物のうち、ライオンを除いたキャラクターを紹介します。具体的にはトラやヒョウのキャラクターです。トラについては寅年の際にまた改めて紹介する可能性もありますが、今回はそんなことお構いなしにトラも紹介します。

まずは1967年公開の『ジャングル・ブック』から、黒ヒョウのバギーラ。ジャングルの中でオオカミに育てられた人間の少年モーグリを、人間の村に帰す役目を負っています。バギーラはモーグリのためを思って行動しているわけですが、ジャングルの生活を気に入っているモーグリはなかなかバギーラの言うことを聞かず、一苦労。さらにモーグリはクマのバルーと意気投合してしまい、バギーラはさらに苦労することになるのです。

オオカミたちがモーグリを人間の村に帰そうとしたのは、凶暴なトラのシア・カーンが森に帰ってきたからでした。シア・カーンは人間が大嫌いなため、ジャングルにいるとモーグリは危険だというわけです。ちなみに、バギーラとシア・カーンは続編の『ジャングル・ブック2』(2003年)にも登場しています。

1992年の『アラジン』には、アグラバーの王宮でジャスミンに飼われているラジャーというトラが登場します。ジャスミンだけに懐いていて、ほかの人たちには懐かず、ジャスミンの父親のサルタン王でさえ威嚇します。しかし、デカイ図体でジャスミンに懐いている様子は非常に可愛らしいトラです。ジャファーの魔法で小さくされてしまったときは、なお可愛いです。

『ターザン』(1999年)に出てくるサボーは、『ターザン』という映画を語る上では欠かせないヒョウです。サボーは非常に凶暴で、漂流してたどり着いたジャングルで新生活を始めようとしていたターザンの両親を殺し、まだ赤ん坊だったターザンをも殺そうとします。しかし、そのターザンを救ったのは、メスゴリラのカーラでした。

カーラも自分の息子をサボーに殺されており、ターザンを自分の子として育てることを決意するのです。ターザンとカーラ(と、その夫であるカーチャック)の運命は、奇しくもサボーが演出していたことになります。立派に成長したターザンはそのサボーを、実の両親の仇であるとは知らずに退治します。

くまのプーさんの仲間であるティガーは、「世界一のトラ」を自称するトラのぬいぐるみ。シッポにバネが入っているため、ジャンプが得意。1968年の短編映画『プーさんと大あらし』(プーさん映画の2作目)でデビューしますが、このときは完全に脇役。1974年の短編映画『プーさんとティガー』で大々的に活躍します。『プーさんとティガー』までの短編3本をまとめた上で、新規映像を加えた長編作品『プーさん完全保存版』(1977年)にも、もちろん出演しています。

その後、ティガーは劇場公開映画、TV作品、ビデオ作品を問わずプーさんのシリーズに出演し続け、2000年には長編映画『ティガー・ムービー/プーさんの贈りもの』で主役となります。この『ティガー・ムービー』は個人的にかなりお気に入りの作品で、名作だと思っています。

以上で、5回に渡って記事にしてきた「ディズニー映画の猫たち」を紹介する企画は終了です。もしも、今までの記事で紹介し忘れた重要キャラクターを思い出したら、そのときはまた改めて記事にします。

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2008年4月 9日 (水)

幕末維新史 3月刊行の個人的注目書籍

3月に刊行された幕末維新史関連書籍の中で、私がすぐに購入したのは2冊。青山忠正『明治維新史という冒険』(思文閣出版)と、原口泉『龍馬を超えた男 小松帯刀』(グラフ社)

まず青山氏の新著『明治維新史という冒険』ですが、佛教大学鷹陵文化叢書というシリーズの第18冊目。同シリーズには他に、青山氏も執筆者の1人として参加されている、原田敬一編『幕末・維新を考える』などがあります。

『明治維新史という冒険』は青山氏が過去に雑誌・新聞・図録など、様々な媒体に発表してきた文章を1冊の書物としてまとめ直したものです。それらは幕末維新史の多様なテーマに及んでいます。比較的、一般向けの媒体(例えば『歴史読本』や『歴史群像』など)に掲載された文章の再録が多いように見受けられます。NHK学園の機関紙『れきし』第92号に掲載されていた「龍馬は『暗殺』されたのか」など、入手しにくい媒体からの再録が嬉しいです。

ともあれ、その目次は以下の通りです(青文字部分)。

明治維新史という冒険

Ⅰ 維新の足跡―フィールドノートより―
維新史を歩こう
京都の町並みのなかに
  桂小五郎と木屋町
  近藤勇と壬生の屯所
  徳川慶喜-京都の将軍-
  岩倉具視と幽棲旧宅
大阪のビルの陰に息づく
  橋本左内と適塾
  大久保利通と中之島
  五代友厚と商都大阪
  堺事件と妙国寺
関西近郊に足を伸ばして
  井伊直弼と埋木舎-彦根-
  勝海舟と海軍操練所-神戸-
  吉村寅太郎と天誅組-大和-
江華島の砲台―韓国―

Ⅱ 兵士と戦い
戊辰戦争と諸隊
馬関攘夷戦争
奇兵隊と四境戦争
ある奇兵隊士の処刑

Ⅲ 人と生きざま
吉田松陰―やさしい教え魔―
岩瀬忠震―辣腕外交官の憤死―
伴林光平と「南山踏雲録」
坂本龍馬と文久・元治年間の政局
龍馬は「暗殺」されたのか

Ⅳ 変動する政局
岩国と薩摩―水面下の薩長交渉―
薩長武力挙兵の勇断
長州の密使
政権奉還と王政復古
御一新と明治太政官制
草莽のゆくえ

あとがき

続いて、原口泉氏の『龍馬を超えた男 小松帯刀』。今年、同じグラフ社から『篤姫 わたくしこと一命にかけ』を刊行され、大河ドラマ『篤姫』の時代考証を担当されている原口氏による新著です。小松帯刀は一般的な知名度は低いですが、西郷隆盛や大久保利通と並ぶ、あるいはそれ以上かもしれない幕末薩摩藩の逸材です。大河ドラマ『篤姫』でも重要な役割を演じるであろう小松の生涯を、原口泉氏が1冊にまとめました。

原口氏が新著の冒頭において、「小松帯刀は、坂本龍馬をはじめ西郷隆盛や大久保利通といった、巷間広く知られている幕末の英雄たち以上に、幕末史に影響を与えた人物、『龍馬を超えた男』だったのではないか」と述べています。原口氏がそれほどまでに高く評価する小松帯刀の事績を、多くの人に知ってもらいたいという願いが込められた書物です。

そのほか、まだ購入はしておりませんが、3月刊行で気になった書籍をいくつか。順不同です。

●村上泰賢編『小栗忠順のすべて』(新人物往来社)
●猪飼隆明『西南戦争‐戦争の大義と動員される民衆‐』(吉川弘文館)
●一坂太郎『幕末・英傑たちのヒーロー‐靖国神社前史‐』(朝日新書)
●安藤優一郎『幕臣たちの明治維新』(講談社現代新書)


新人物往来社の『○○のすべて』シリーズは、『伊庭八郎のすべて』などのマイナーどころも出されているので、むしろ小栗忠順(上野介)は出ていなかったのかと意外な感じがしたぐらいです。

そのほか、朝日文庫版の萩原延壽『遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄』の、第11巻と第12巻が出ました。11巻は『北京交渉』、12巻は『賜暇』です。

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2008年4月 8日 (火)

今年で○○周年を迎えるディズニー映画

2008年で10周年とか20周年とか、10年単位で「○○周年」を迎えるディズニー映画がいくつかあります。長編アニメーションに限って、ピクサー作品も含んで列挙してみましょう。1948年の『メロディ・タイム』、1988年の『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』と『ロジャー・ラビット』、1998年の『ムーラン』と『バグズ・ライフ』です。

できれば、1つ1つの作品について、それぞれの公開日付近に記事を書きたいところですが、余力がなかったり、失礼にも公開日を忘れてしまう場合がありえますので、ここで一挙に紹介した次第です。

別の記事でもすでに書きましたが、最も可哀相なのは『オリバー』。何せ、公開日が11/18ですから。ミッキーマウスやミニーマウスの誕生日もしくはスクリーン・デビュー日と同じ日が公開日とは、「忘れてくれ」と言っているようなもの…とまでは言わないものの、どうしても影が薄くなってしまうのは止むを得ないところです。

さらに悪いことに、今年はミッキーマウス生誕80周年の年。『オリバー』だって公開20周年になるわけですが、私が11/18に何か新しい記事をこのブログに書くとしたら、やはりミッキー80周年(ミニーも)について書くことを優先しそうな気がしています。

ごめんよ、ドジャー…君の事は好きなんだ、いや、ドジャー以外の皆さんも好きですが、こればっかりはどうにも…。どうか寛大な心で許しておくれ、君たちのことはずっと応援しているし、君たちのことは一生忘れないから。僕はね、「マリーが東京ディズニーランドのニューヨークに出ているなら、別にオリバーやドジャーが出てきても構わないよね。と言うより、その方が自然だよね」と、常々主張していたんだよ。そうさ、たとえミッキーを優先したって、僕は君たちのことが好きなのさ。だから許しておくれ。

というわけで、『オリバー』をこよなく愛していらっしゃる、「ちょっとマニアックなディズニー」さんをここで紹介しておきましょう。私のように、「オリバーやドジャーのことも好きだよ」と言いつつミッキーを優先する駄目なファンとは異なり、ここの管理人さんは生粋の『オリバー』好きでいらっしゃいます。

同年公開の『ロジャー・ラビット』については、私も過去に「ディズニーの超大作『ロジャー・ラビット』」や、あるいは「ロジャー・ラビットのデビュー日を祝す」なんて記事を書いてはみましたが、オススメはやはり、「Slap Stick」さんです。

『メロディ・タイム』については、過去に「東京ディズニーランドで会えるスルー・フット・スー」なんて記事を書いて、『メロディ・タイム』に登場するスルー・フット・スーのことを話題にしていますが、『ムーラン』や『バグズ・ライフ』については、私はあまり多く語っていませんね。特に『バグズ・ライフ』は好きな作品なので、今後長々と語ることもあるかもしれません。

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2008年4月 6日 (日)

1980年代生まれの私にとってのウルトラマン

私は1980年代の前半の生まれです。1980年から1981年にかけてTVで放送していた『ウルトラマン80』は、私が生まれたときにはすでに終わっていました。その後、国産ウルトラのTVシリーズが放送されたのは、よく知られているように、1996年の『ウルトラマンティガ』でした。

私が幼少期を過ごしたのは、まさに『ウルトラマン80』と『ウルトラマンティガ』の空白期にあたる期間です。通常なら、ウルトラマンに興味を持つことすらないまま育ってしまっても、おかしくない時代に生まれ育ったと言えると思います。実際、私と同年代の友人には、ウルトラマン好きがほとんどいません。しかし、私はウルトラマンが大好きです。それは何故なのか、そして、1980年代に生まれたということが、私のウルトラマンに対するスタンスにどんな影響を与えているのか、お話しようと思います。

私の場合、父親がウルトラマンに興味を持っている人だったというのが、まずは要因として大きいようです。そのため、幼少の頃にTVでリアルタイムに放送しているウルトラマンはなかったわけですが、父の影響でよくウルトラマンやゴジラ、あるいは仮面ライダーのビデオをレンタルしていました。それがまず、私が他の1980年代生まれと違ってウルトラマンに興味を持つ契機になったと思います。

リアルタイムで放送しているTVシリーズはなかったと言いましたが、30分番組ではなく10分間の帯番組、しかもウルトラシリーズの番外編もOKということであれば、実は放送している番組がありました。ウルトラシリーズの番外編と言うべき帯番組『アンドロメロス』です(1983年の放送)。

この番組にはウルトラマンは登場しませんが、メカバルタンやマグマ星人といったウルトラシリーズゆかりのキャラクターが登場していますし、アンドロメロスはウルトラ兄弟の長男・ゾフィーとも親しい間柄だそうなので、ウルトラシリーズの仲間と呼んで差し支えないでしょう。ただし、私はまだ小さかったためか、『アンドロメロス』を見ていた記憶はありません。ちょっと残念です。

同時に、やはり幼少時代に見てはいないのですが、『アンドロメロス』と同じぐらいに公開されていた2本の映画の存在は特筆しておくべきでしょう。1つは1983年の『ウルトラマンZOFFY』、もう1つは1984年の『ウルトラマン物語(ストーリー)』です。

どちらもウルトラ兄弟の活躍を前面に押し出した映画で、前者は我らがゾフィー兄さんがウルトラ兄弟の活躍を紹介してくれる作品で、「帰ってきたウルトラマン」が初めて「ウルトラマンジャック」と劇中で呼称された作品でもあります。また、後者はウルトラマンタロウを主役に据え、タロウの成長を描いた作品。

私は上記2つの映画を幼少時代に映画館に見に行ってはいないのですが、それら2つの作品があったこともあってか、1980年代~1990年代前半の『てれびくん』などの幼年雑誌には、いつも「ウルトラ兄弟」の特集が掲載されていたと記憶しています。つまり、TV放送がなくても、『てれびくん』などの雑誌を親に買ってもらっていた1980年代の子供たちの中には、ウルトラ兄弟の活躍をTVで見たことはなくても、知識としてはよく知っていた子供たちがいたのです。私もその1人。

つまり、子供時代の私にとっては、「ウルトラ兄弟」というのは、自分たちが生まれる前に大活躍していたらしい伝説の存在でした。しかし、そんな伝説の存在の活躍を見ることができるのはビデオと再放送だけという時代が長く続いていました。リアルタイムでウルトラ兄弟の活躍を見ることができない状態で、ウルトラマンという存在は海外に向けて展開し始めます。

例えば、1987年にアメリカでTV放送され、日本では1989年に劇場公開されたアニメ作品『ウルトラマンUSA』。オーストラリアでTV放送され、日本では1990年にビデオで発売された『ウルトラマングレート』(後に日本のTVでも放送)。アメリカでTV放送され、日本では1993年にビデオで発売された『ウルトラマンパワード』(後に日本のTVでも放送)。

『ウルトラマン80』と『ウルトラマンティガ』の狭間の時代に子供時代を過ごし、ウルトラ兄弟を伝説の存在として認識していた私が直面した新作ウルトラが、これらの海外製作作品でした。アニメ作品やビデオ発売の作品であっても、私はそれらの作品を心から楽しみました。再放送ではない、昔の作品を収録したビデオでもない、私が生まれる前には存在していなかった「新しいウルトラマン」だったからです。ただ、それらの作品の特徴として、ウルトラマンの出身地はM78星雲ではあるものの、ウルトラ兄弟の設定が使われていないことは特徴的でした。

そして、ついに復活した国産ウルトラの『ウルトラマンティガ』において、ティガはM78星雲出身ですらなくなっていました。続く『ウルトラマンダイナ』や『ウルトラマンガイア』も同様です。それもあって、この時期のウルトラシリーズを見ていなかった人も少なくないと聞きます。しかし、私にとっては初めての「新しい国産ウルトラTVシリーズ」です。いくらウルトラ兄弟が私にとって伝説の存在でも、見ないわけにはいきません。そして見ると、M78星雲やウルトラ兄弟が関係なくても、問題なく面白いです。結果的に考えれば、平成三部作はM78星雲と関係ない物語・設定にしたおかげで、ウルトラマンの可能性の幅が広がったと思うので、私としては大成功だったと思っています。

そして今でもウルトラマンへの興味は尽きないわけですが、振り返ってみると私は、子供の頃にウルトラ兄弟の知識を仕入れて彼らを伝説のヒーローと認識し、その後に海外製作のウルトラマン、実写ではないアニメのウルトラマン、そしてM78星雲が全く関係ないウルトラマンの活躍をリアルタイムで楽しんで大人になりました。

どれも楽しめ、嫌いなウルトラマンや興味のないウルトラマンは一切存在しない、言い換えればウルトラマンは全部好きな私は、「ウルトラ兄弟が出ていなければ嫌だ」とか、「平成の作品は面白いけど昭和はダサい」といった偏見・食わず嫌いからは免れることができたように思います。その点から言えば、1980年代に生まれ育ったことは得でした。あらゆるウルトラマンを受け入れることのできる時代に生まれ育ったのだと思います。

ところが、その分、「コイツが『俺たちのウルトラマン』だ!!」と胸を張って言えるウルトラヒーローに事欠くような気がします。私が幼少の頃、初めて登場した新しいウルトラマンは、『ウルトラマンUSA』のウルトラマンスコット、ウルトラマンチャック、ウルトラウーマンベスでした。そして続いて、ウルトラマングレートです。私はその時代に子供時代を過ごしたので物凄く思い入れがあるヒーローたちですが、一般的にはどうでしょうか。

「ウルトラセブンが一番好き」とか、「ウルトラマンレオが子供の頃のヒーロー」とか、「昔、ウルトラマンコスモスになりたいと思っていた」という類の人なら、たくさんいるような気がします。ですが、ウルトラマンスコットやウルトラマングレートに深い思い入れを抱いている人は、そんなに多くはないでしょう。少なくとも、それらのヒーローの活躍を幼少期~小学生の頃ぐらいに楽しんでいた人は、そんなに多くはないと思うのです。

『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』のような映画を、スコット、チャック、ベス、グレート、パワードあたりを登場させて製作し、新ウルトラマンの目の前にスコットやグレートが現われても、狂喜乱舞する人はさほど多くはないでしょう。1980年代に生まれ育ったおかげで、どんなウルトラマンでも食わず嫌いせずに受け入れられるようにはなりましたが、その代わり、一抹の寂しさを感じる部分もあります。

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2008年4月 4日 (金)

「人斬り」と幕末政治

笹部昌利氏に、「『人斬り』と幕末政治‐土佐山内家の政治運動と個性‐」(『鷹陵史学』第31号、2005年9月)という論文があります。その冒頭、武市瑞山をはじめとする土佐勤王党とその支持者たちの顕彰を目的に編纂された『維新土佐勤王史』を引き合いに、笹部氏は次のような指摘をしています。

日本近代に編まれた歴史書においては、幕末維新期における人間の言動はすなわち、それがいかに「皇国的」であるかに重きが置かれた。ゆえに土佐有志こそ、正義だと述べる『維新土佐勤王史』の叙述方法は決してイレギュラーなものではない。しかし、このような幕末維新に根ざした固定観念は、人物や組織それぞれの姿、形、動きのありようにベールをかけ、見えにくくさせてしまったばかりか、それぞれのオリジナリティーが捨象され、「尊王」「攘夷」というようなイデオロギーのみがひとり歩きをはじめ、そのような枠組みが政治の場に身をおいた存在を包括してしまう形となった。

笹部氏は以上のように指摘した上で、いわゆる「天誅」についても、従来はイメージで理解されていたとの認識を述べています。つまり笹部氏は、「天誅」という事象が安政大獄で同志を失った復讐心とか怨念といった遺恨的側面で起こってきたと従来から言われているけれど、そのような側面は強調し過ぎない方が良いと言うのです。笹部氏は「天誅」について、政治手段として「人斬り」という行為が使われたのだと述べます。

つまり、「天誅」事件の実行犯が岡田以蔵であったり、あるいは田中新兵衛であったりしても、それはあくまで「天」が斬った、「天」が裁いたものだという論理を、武市半平太ら土佐有志は政治手段として、自己の正当化を企図したとのことです。「天」とは万物を支配する観念です。笹部氏は次のように「天誅」を簡潔に定義しています。

「天誅」とは、人々の心理や思考のなかに芽生え始めた公共的「正義」としての「天」。これに作用するように働きかける「人斬り」を手段とした政治運動の一形態なのである。

特に安政大獄の推進者が「天誅」の対象として狙われたのは、京都の公家や町衆の中にも安政大獄が「トラウマ」としてイメージされていたためで、笹部氏によれば、「大獄関係者への攻撃はすなわち、京都で暗に形成された世論に、その政治勢力が正しいと判断させるのに十分、事足りた」からだそうです。つまり、「天」が裁くという意味合いを持つ「天誅」という名の「人斬り」を安政大獄関係者に向けることによって、「天誅」実行者たちの政治的正当性を世情に認めさせることを武市ら在京の土佐藩勢力は意識していたというのが、笹部氏の見解です。

その武市らの狙いに狂いが生じてきたのは、どうやら姉小路公知が暗殺された朔平門外の変だそうです。その事件の責任が薩摩出身の田中新兵衛に転化されたことで、薩摩藩の京都政局における影響力が後退します。それゆえ、「天誅」という名の「人斬り」は政治的駆け引きにおいて相手を追い落とすための手段になってしまい、「天」が斬ったのだという論理付けをしにくくなってしまったとのことです。

ほかにも面白いことが書かれているので、興味のある方は、笹部昌利氏の論文「『人斬り』と幕末政治‐土佐山内家の政治運動と個性‐」(『鷹陵史学』第31号)をお読みください。「天誅」と、慶応3年の坂本龍馬・中岡慎太郎の殺害事件が根本的に異なることの指摘もあります。

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2008年4月 2日 (水)

チップ&デール 65周年

ディズニーキャラクターのチップとデールは、1943年4月2日公開の短編アニメーション映画『プルートの二等兵』でデビューしました。つまり、今日は2匹のデビュー65周年ということになります。長い間人々に愛されてきた2匹のデビュー65周年をお祝いしたいと思います。

チップとデールは外見的に非常によく似ていますが、チップは鼻の色が黒であるのに対してデールは赤、チップは前歯が1本であるのに対してデールは2本…などなど、よく見ると相違点は結構あるので、慣れれば比較的簡単に見分けることができるようになります。もっとも、デビュー当時の彼らは今ほどには、明確な区別が付けられていなかったようなので、昔のアニメーションに出てくる彼らを見分けるのは、今の作品に出てくる彼らを見分けるよりは難しいかもしれません。

ところで、私は彼らのデビュー作『プルートの二等兵』を残念ながら未見なのですが、タイトルからもわかるとおり、プルートが主演の話です。その後の短編映画でも、チップとデールはプルートと共演する話が多いです。

例えば、私の好きなところでは、1946年公開の『リスの山小屋合戦』。『プルートの二等兵』に続くチップとデールの出演2作目ですが、プルートがミッキーの山小屋に住み着いていたチップとデールを見つけて追い回す話です。追いかけっこの末、気絶してしまったプルートの体に、チップとデールは大量のケチャップをかけます。そこに帰ってきたミッキーは、プルートが死んでしまったものと思い込み大泣き(ケチャップを血だと思っている)、目覚めたプルートも自分の体に付いているケチャップを血だと思い込み大騒ぎ…大騒ぎしながらミッキーとプルートは山小屋を出て行って、チップとデールに再び平穏な生活が訪れるという結末です。

また、プルートと同様、チップとデールの共演者として目立つのはドナルドダック。先ほどの『リスの山小屋合戦』に続いてチップとデールが出演した『リスの住宅難』(1947年)では、やはりチップとデールが住んでいた木をドナルドが薪にするため切りに来て…という内容です。その後、1948年の『リスの朝ごはん』、1949年の『リスの冬支度』、『リスの食糧難』、『リスのおもちゃ合戦』、1950年の『ドナルドはデイジーにくびったけ』と、立て続けにドナルドと共演していきます。

それらドナルドとの共演作品では、いつもチップとデールがドナルドと争いを起こした末、ドナルドは最終的に2匹に負けてしまうというのが、大体のパターンです。『ドナルドはデイジーにくびったけ』では、ドナルドが2匹を閉じ込めてドナルドの勝利かと思いきや、それを見たデイジーが「かわいそう」と言ってチップとデールを助け、ドナルドのことを怒って家に入れてあげないという結末でした。

その後、チップとデールはプルートやドナルドと共演する何本かの作品に出演した後、ついに自分たちが主役のシリーズを持つことになります。そんな「チップとデール・シリーズ」の1本目が、1951年の『リスとヒヨコ』です。「チップとデール・シリーズ」は数本製作され、その中でも特に私が気に入っている『リスの大手柄』(1954年)では、チップとデールがお尋ね者ピート(ミッキーマウスのライバルとして知られるキャラクター)を捕まえるという西部劇が描かれました。

1952年の短編作品『リスくんは歌姫がお好き』(別名『リスの音楽合戦』)には、近年の東京ディズニーランドでも活躍しているクラリスが初登場しました。この作品でのチップとデールは洋服を着ていて、またクラリスはナイトクラブの歌姫として設定されていて、リスたちが人間のような生活をしている様子が描かれました。それ以前の作品におけるチップとデールは、あくまで単なるリスとして描かれていたような気がしますが(ドナルドと会話したりはしていましたが)、この頃から人間型キャラクター(人間と同じような生活をしているという意味で)としての片鱗を見せ始めたような気がします。

1989年~1990年には、チップとデールが主役となったTVシリーズ『チップとデールの大作戦』が製作されました。チップとデールがネズミのガジェット、モンタリー・ジャック、そしてハエのジッパーと共にレスキュー・レンジャーとして活躍する様子が描かれました。このTVアニメでも、チップとデールは洋服を着ています。この頃の2匹は完全に人間型キャラクターとして描かれているようです。

そして現在も、チップとデールはアニメーションで、そしてテーマパークで、人気キャラクターの一員として活躍しています。私がここで取り上げた話題は、私が個人的にチップとデールの魅力だと思っていることの一部、あるいはチップとデールのアニメーションについて印象に残っていることの一部です。ぜひ、多くの人が自分なりのチップとデールの魅力を見つけてもらえればと思います。またいずれ、チップとデールについては話題にしてみたいと思っています。

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