池田屋事件の基礎的考察
講談社現代新書で『池田屋事件』を刊行されるご予定の中村武生氏には、「池田屋事件の基礎的考察―『御所向放火』をめぐって」という論文があります。奈良歴史研究会が発行している『奈良歴史研究』第65号(2006年3月)に掲載されている論文です。
文久3年の8月18日の政変から、翌元治元年の禁門の変に至る政治過程の解明を期したもので、原口清氏の先行研究と密接な関連を持つテーマで、原口説を批判しながら論述が展開されています。
原口清氏の先行研究とは、私も過去に「池田屋事件についての原口清氏の問題提起」という記事で部分的に紹介したことがある、「禁門の変の一考察」という論文。名城大学が発行している『名城商学』第46巻第2号と第46巻第3号(どちらも1996年)に、2回にわたって掲載された論文で、昨年刊行された『原口清著作集2 王政復古への道』(岩田書院)に再録されています。
池田屋事件の発端は、よく知られているように古高俊太郎が新選組に捕縛されたことによります。従来、古高は「御所辺放火」の計画を供述したとされていましたが、原口清氏はその計画の存在を否定的に捉えていたのです。中村武生氏はその点を再検討されています。
中村氏は、原口氏の論文が発表された数年前に、著名な新選組研究家の菊地明氏が紹介した史料を、古高俊太郎の供述書(の、良質な写本)だと判断しました。その供述書には、中川宮朝彦親王の屋敷を放火する計画について記されていました。中村氏は供述書という性格上、古高がすべての事実を正直に供述していない可能性も想定して注意しつつ、どうも中川宮の屋敷を放火するという計画に関しては事実を供述しているらしいと判定されました。
中川宮の屋敷は御所のすぐ近くにあったため、中川宮の屋敷に火をつけるということは、すなわち「御所辺放火」と同じ意味を持つ…と中村氏は判断されました。つまり、原口清氏が存在を否定した「御所辺放火」計画を、中村氏は確かに存在した計画だと論じたのです。
しかし中村氏は、「御所辺放火」計画が事実だったとしても、それが新選組の池田屋襲撃に結び付いたとは見なしません。何故なら、池田屋事件直後に書かれた会津松平家家臣の公的な書簡には、古高の供述内容を知っているとは思えないようなことしか記されていないからです。
つまり、古高の供述は池田屋事件の前になされたものではなく、事件の後になっての供述であって、池田屋事件の前には新選組も会津藩も、「御所辺放火」計画のことを知らなかったのではないかということです。新選組が池田屋に踏み込んだのは古高の供述によるものではなく、古高とその周辺の連中がどうも怪しいという、そういう曖昧な理由によるものだったのかもしれないということです。
中村氏の考察・論点はほかにも色々ありますし、今回取り扱った話題についても、かなり要約してしまっている部分も多いので、興味のある方はぜひご自分でお読みになってください。個人的な印象として、中村氏の述べていることには説得力があって、納得できるものでした。『池田屋事件』の刊行も心待ちにしたいところです。
ついでながら、最後に余談を述べておきます。新人物往来社から最近発売された『図説 新選組クロニクル』(『別冊歴史読本』98)には、藤堂利寿氏の「『池田屋事件』論争」という文章が掲載されていて、池田屋事件に関する研究史を紹介していますが、今回紹介した中村武生氏の論文や、同じく中村氏の別の論考(例えば、「古高俊太郎考」『明治維新史研究』創刊号)については言及されていませんでした。非常に残念です。
また、町田明広氏の「池田屋事変における吉田稔麿について」(『霊山歴史館紀要』第16号)も、池田屋事件の研究史を語る上では重要だと思うのですが、言及されていませんでした。こちらも残念でした。
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コメント
どうも。来栖です。
中村氏の「池田屋事件の基礎的考察―『御所向放火』をめぐって」も、町田氏の「池田屋事変における吉田稔麿について」も読みましたが、池田屋事件に関する見方は、原口氏が論じた頃から比べると、方向が変わってきているように思えてなりません。
原口氏は偉大な歴史家ですが、「禁門の変の一考察」が執筆されたのは、まだまだ新選組そのものへの見方が既成イメージを引きずっていた時代であったが為に、そういった先入観に少なからず影響を受けてしまったのでは?と思えるフシがあります。
ここ数年で、新選組に対する捉え方が変化しましたが、その変化をもたらした要因の一つとして、これまでの幕末維新期研究の偏りが近年是正されつつあることが挙げられるのではないかと思います。
戦前の皇国史観下でも、戦後のマルクス史観全盛期でも、何故か幕末維新期の構図認識はあまり変化しませんでしたが、維新の元勲以外の勢力に対する研究が進んだ結果、新選組もそれまでの「問答無用の悪」という地位から脱出出来たように思えます。
特に最近は、前出の町田氏や、家近良樹氏や仙波ひとみ氏などが朝廷や公家に関する研究を発表されているせいか、維新回天の主体そのものに対する見方が昭和時代と変化しているように感じられます。こうなると、幕末そのものへの認識が変化しますから、池田屋事件の背景への推測も、従来の「新選組の大暴れ」的見方では、整合性がなくなって来ているような気がします。何というか、もうちょっと、裏があるような気がするのですよ。結果的に禁門の変に繋がっていますし、その禁門の変の結果、中川宮や一会桑勢力は勢いを強固にしたわけですし。
そのあたりのことを考え出すと、早く中村氏の新書が出ることを祈ってしまいます。中村氏のメルマガ連載も講談社のページにアップされていますが、私などは読んでいるだけでワクワクして来ます。
投稿: 来栖ムツキ | 2008年3月 2日 (日) 00時47分
>来栖ムツキさん
長文のコメントをくださいまして、
大変ありがとうございます。
池田屋事件に関する見方は、
原口清氏の論文が出た頃と今ではだいぶ違いますよね。
ご指摘のとおり、当時と今では、
幕末研究者の新選組に対する理解・認識・関心には、
かなりの差があると思います。
原口氏の論文が出た頃には、幕末研究者によく参照される新選組の文献と言えば、子母沢寛と平尾道雄ぐらいしかなかったことでしょう。
それらの書物に書かれている内容(現在では否定的に考えられていることも含む)や、
あるいは小説に描かれた新選組イメージに縛られていた部分は、原口氏に限らず幕末研究者全体にあるのでしょうね。
またおっしゃるとおり、従来は薩長に偏りがちだった幕末史の研究の対象が、朝廷、幕府、佐幕派諸藩、中立派諸藩などなどに広がってきたことで、多角的な視点で幕末を考察している研究者が増えているように思います。
もちろん、そうなると幕末の認識も従来とは変わってきますよね。
当否はともかくとして、「討幕派」や「公武合体派」など、幕末史を考える上で昔は当たり前だった用語の使用を控えたり再定義を促す研究者がいたりするのも、幕末史の認識の枠組みが変化してきているからだと思います。
そのような研究の深化の中から、新選組に対する先入観を脱し、従来のイメージとは異なる次元で新選組を捉える必要性を感じている研究者も同時に増えてきているのだと感じます。
原口清氏の研究は、新選組の先入観・固定観念に縛られていた部分があったと、私も思います。ただ、原口氏の業績は研究者の幕末史に対する認識を変化させる上で重要な意義があったと思います。それが、結果的に新選組の認識を変化させる契機になったと言う事も不可能ではないような気がしています。
また、考えてみれば、池田屋事件は有名である割に、
昔から本格的に深く追究した先行研究が少なかったように思います。
これから、恐らく色々な新しい発見があるのではないでしょうか。
その意味でも、私も中村武生氏の新書を楽しみにしている人間の1人です。
投稿: パルティアホースカラー | 2008年3月 2日 (日) 22時44分
お久しぶりです。こんばんは。
>菊地明氏が紹介した史料を、古高俊太郎の供述書(の、良質な写本)だと判断しました。
この史料ですが、「沢三位殿」とか(沢宣嘉が従三位になるのは明治2年)、元治元年頃の文書としては、ちょっと「?」な表現が見受けられるので、明治以降に書かれたものじゃないかなあという印象を持っています。
謎の多い古高俊太郎の人物像を考察するのには貴重なものかもしれませんが、扱いには慎重を要するものではないかと。
>中川宮の屋敷は御所のすぐ近くにあったため、中川宮の屋敷に火をつけるということは、すなわち「御所辺放火」と同じ意味を持つ
そう言い切っていいのものかどうか・・・。
問題の史料にある古高の供述を信じるにしても、中川宮邸放火が中止になったので大高又次郎らから道具を預かっただけということですから、御所放火とか天皇奪取といった暴動計画とはストレートには結びつかないように思うんですよね。
「攘夷主義の弾圧者という非難を避けたい」という一橋慶喜の政治的判断が働いたのではないかと原口氏は推測しているのですが、その推測を否定する場合でも、「だれが、何のために」という問題は残るような気がしています。
(このへん、"政治家"としての近藤勇にもう少し注目すべきじゃないかと私は考えておりますが・・・)
とはいえ、私も中村氏の新著を楽しみにしている一人です(^^
投稿: 板倉丈浩 | 2008年3月 4日 (火) 21時02分
>板倉丈浩さん
こんばんは。
久々のコメント、どうもありがとうございます!!
中村氏が論拠にしている史料について、
史料批判をもっと厳密にすべきでは?
…ということですね。なるほど。
もしも、板倉さんのおっしゃるように、
明治以後に書かれたものであるとしたら、
だいぶ再検討すべき事柄が出てきますね。
現在の私には、その当否が判断できませんが…。
ただ、古高俊太郎を検討する上で、
避けて通れない史料であることは確かでしょうね。
中川宮の屋敷が御所近くにあるので、
中川宮の屋敷を放火することはすなわち、
御所を放火することと同じだという判断には、
家近良樹氏の教示もあったようですね。
近藤勇については原口清氏はほとんど言及されず、
中村氏は近藤に言及してはいるものの、
”政治家”としての側面を強調はしていませんね。
確かに、そのあたりは検討しても良いような気がします。
まぁいずれにしても、ここで紹介した論文は2年前のものです。
中村氏の新著には新しい見解も盛り込まれるでしょうから、また新たな論点も出てくることでしょう。
刊行を期待しましょう。
投稿: パルティアホースカラー | 2008年3月 4日 (火) 22時08分