幕末維新期の山科郷士と「勤王思想」
雑誌『日本歴史』第654号(2002年11月)に、谷口真康氏の「幕末維新期の山科郷士と『勤王思想』」という論文が掲載されています。幕末維新期における民衆の「勤王」思想について、山城国宇治郡山科郷の特権的農民である「山科郷士」たちが結成した草莽隊・山科隊を手がかりに検討した論文です。
まず谷口氏は、草莽隊を以下の3種類に分類しています。簡単に紹介します。
A:「浪士組織型草莽隊」…藩権力や地域共同体から距離を置き、「勤王」の浪士を中心に結成された寄せ集め部隊。相楽総三の赤報隊が代表格。
B:「地域共同体型草莽隊」…ある地域共同体に属する人々が、自分たちの利益保全と地域防備を目的に結成した、地縁的要素の強い草莽隊。山科隊はここに分類される。
C:「藩権力型草莽隊」…各藩が民衆を取り込んで組織した非正規軍部隊。長州藩の奇兵隊が代表格。
従来の草莽隊研究は、高木俊輔氏の研究に代表されるように、谷口氏が言うところのAタイプの分析に力が注がれてきました。谷口氏曰く、民衆の世直し願望が「勤王」思想にストレートに結び付けられた草莽隊像が描かれてきたとのことです。
その後、Bタイプの分析も進みました。その研究成果によると、Bタイプ草莽隊は必ずしも民衆の世直し願望を汲むものではなく、むしろ村落への利益誘導・地域安定のための活動に終始する傾向があったと指摘されているようです。
そのBタイプ草莽隊分析において、民衆の「勤王」思想が全面的に地域の利益誘導に結びついていたような捉え方がされていることに、谷口氏は異議を唱えます。そして、「草莽隊の中で『勤王』という理念と『地域利益』という現実がいかなる構造で結びついていたかを明らかにする」必要があると主張しているのです。
そして、その検討のために谷口氏が考察対象にしたのが、山城国宇治郡山科郷でした。谷口氏によれば山科郷は近世以来、禁裏御料となっていて、山科郷の人々は伝統的に宮中儀礼に関わる機会も多く、天皇を比較的身近に感じていたという特徴があります。
そのため、山科郷士たちが作ったBタイプ草莽隊は、「禁裏御料の民」特有の「勤王」思想を背景に結成されたというのも事実のようです。彼らの「勤王」思想と「地域利益」目的が、どのように整合的に結び付けられていたのか、それを谷口氏は詳しく考察しています。
山科郷は禁裏御料でしたが、幕府の代官が治めていました。いわば朝幕二重支配ですが、それは山科郷士たちにとって矛盾・対立するものではなく、代官を通じて独自の「勤王」活動を行っていました。
幕末期の山科郷士たちは貧富差の拡大によって、一般農民の村政参加要求などの事態に直面し、自分たちの村落支配を維持する必要に迫られました。身分秩序の解体を防ごうとしたのです。そのため、代官とは別のパイプを朝廷に作り、「勤王」活動を拡大していきました。
彼らが「勤王」活動を拡大したことには理由があります。山科郷士たちが宮中儀礼に参加するとき、一般農民を率いて奉仕することが決められていたため、山科郷士のリーダーシップを示すことができるというのが理由の第1点。そして、禁裏関係の奉仕活動に参加すれば、金品が下賜されるなどの経済的利益があったからです。そのような利益は「山科郷士」としての由緒に基づくということで、一般農民の動きを沈静化させる効果があったのです。
要するに、山科郷士たちにとって、「勤王」思想と「地域利益」は密接不可分のものだったわけで、山科郷士としての存在を維持するためにはどちらも不可欠だったということになります。そのため山科郷士たちは、大政奉還の際には岩倉具視に接近し、その指示によって山科隊を結成して戊辰戦争に参加します。彼らは「勤王」活動を続けていく必要があったからです。
幕末維新期の山科郷士について、もっと詳しいことは谷口真康氏の「幕末維新期の山科郷士と『勤王思想』」(『日本歴史』654号)に書かれています。山科郷士に興味のある方は、ぜひ谷口氏の論文をお読みください。
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コメント
山科郷士については書籍も出てましたね。私は多田郷士で同様趣旨のものを読みました。
多田郷士には途中合流した他所者もいた関係か、近藤勇処刑現場の係となったり、北国道戦を戦っています。
山科郷士同様、多田郷士の扱いも新政府の扱いは冷酷でした。
これら郷士のなかには草奔の志士もいましたが、だいたいこの辺りで横死しているのが多いし、かすかな生き残りは維新の元勲の暗殺(大村益次郎等)に走っていますね。
でも、これらの事象を刊行するとしたら何冊必要になるか…。
ちなみに多田郷士だと「戊辰戦争と多田郷士」(兵庫県川西市)を参考にしました。
投稿 あさくらゆう | 2007年9月 9日 (日) 07時35分
>あさくらゆうさん
コメント、ありがとうございます。
多田郷士については詳しく知りませんでした。情報提供、ありがとうございます。各地の郷士たちの細かい事情を本にしたら、確かに何冊もできそうですね。それだけ、各地域の郷士たちが明治維新の変動において興味深い動きをしているということでもありますね。
投稿 パルティアホースカラー | 2007年9月 9日 (日) 08時27分