龍馬暗殺論議における「薩摩藩黒幕説」への疑問
先日、「坂本龍馬の系譜」という記事を書いたときに、コメント欄で歴史作家の桐野作人氏に教えていただいたのですが、先週のNHK「その時歴史が動いた」で、坂本龍馬暗殺の話題が取り上げられたようです。そして、その番組内で、龍馬暗殺の黒幕に薩摩藩の存在があったという、いわゆる「薩摩藩黒幕説」を支持している人が多いという状況が放送されたようです。
私はその番組を見なかったので、一体どんな感じだったのか、ネット上を検索して少し調べてみたのですが、驚きました。思ったよりも、薩摩藩黒幕説を信じている方が多いこと多いこと。
学生時代にちょっと幕末政治史をテーマにして卒業論文を書いた程度の私でさえ、薩摩藩黒幕説には無理がありすぎると考えています。その点は、歴史研究者としても活躍されている桐野作人氏も、述べられているところです。
私なりにもっとはっきり言ってしまえば、いわゆる薩摩藩黒幕説は、1つの「説」として喧伝されていること自体がおかしいと思えるぐらい、薩摩藩黒幕説を裏付ける根拠は乏しいのです。それなのに、その根拠が薄い説を信じる方が多いらしいという現状に、改めて驚いた次第です。
私が思うに、薩摩藩黒幕説を信じる方には、次の①と②のような幕末史認識が、ほぼ共通の了解として存在しているように思います。
① 慶応3年後半の政局は、大政奉還という平和路線を推進する坂本龍馬、ないしは後藤象二郎ら土佐藩首脳と、武力討幕を推進する西郷隆盛・大久保利通ら薩摩藩の対立が激しくなっていたとする、二項対立的な認識
② 慶応3年政局において、坂本龍馬の影響力・活躍というものは他の誰よりも大きくて、武力討幕をする上で、薩摩藩の邪魔者になっていた
まず①についてですが、このような「大政奉還VS武力討幕」という図式には、古くから批判があります。例えば、歴史学者の井上勲氏は、両者を相容れない路線と捉える見方について、30年以上前から疑問を呈しています(注1)。
大体、薩摩藩は大政奉還の理念そのものには賛成でした。薩摩藩にとっても、土佐藩にとっても、幕府あるいは徳川慶喜に大政奉還という選択をさせることは共通の前提事項であって、さてその後で慶喜をどうするかという部分に、意見の対立があっただけです。王政復古と新政府の樹立を急務とする点では、薩摩藩も土佐藩(龍馬を含む)も一致していました(注2)。
つまり、土佐藩と薩摩藩は決定的に対立していたわけではなく、大局的に見れば、むしろ協調する姿勢を示していたのです。そういう面があったからこそ、薩摩藩と土佐藩は、共同で王政復古の政変に参加したのです。薩摩藩の西郷や大久保は、龍馬を邪魔に思うどころか、味方として認識していたはずです。
大体、「武力討幕路線の薩摩藩」と言いますが、薩摩藩の中も決して武力討幕路線で一枚岩になっていたわけではありません。中には西郷や大久保の方針に同調せず、むしろ土佐藩の動向を気にかけていた勢力も存在するのです(注3)。
ありえないことではありますが、もしも西郷や大久保が、土佐藩や薩摩藩の中の武力討幕方針に同調していない者を邪魔に思うなら、薩摩藩内の反対者をどうにかするのが先決だったでしょう。西郷や大久保に反対する勢力が大きくなれば、西郷や大久保と言えども藩内での指導力を失ってしまう可能性があるのですから。薩摩藩内で指導力を失った西郷や大久保に、武力討幕ができるはずはありません。
ともあれ、西郷や大久保も、大政奉還の理念そのものには賛成です。そもそも大政奉還とはそれ自体、幕府制度を廃止させるものなのですから。むしろ、大政奉還に反対していたのは、会津藩や紀州藩、新選組など、親藩・譜代藩・幕府内の旗本などでした。それらの勢力は、大政奉還による変化を認めようとせず、あくまで従来の幕府権力の維持を画策していました(注4)。
つまり、大政奉還後の政局は、薩摩藩黒幕説を支持する方が思うような、「土佐藩の大政奉還路線VS薩摩藩の武力討幕路線」という図式ではなく、「土佐藩や薩摩藩などの大政奉還支持勢力VS幕府権力の維持を主張する勢力」という図式が正しいのです。繰り返しになりますが、そのような状況で、龍馬が薩摩藩の邪魔になるはずがありません。
ここで、さきほど私が紹介した②の認識について述べます。薩摩藩黒幕説を支持される方は、坂本龍馬が大政奉還論の発案者だと誤解していないでしょうか?坂本龍馬は大政奉還論の発案者ではありません。むしろ、大政奉還論は慶応3年の時点で常識的な考え方になっていました。龍馬は、その常識となっていた考え方を、実行に移しただけなのです(注5)。
そもそも、土佐藩の大政奉還運動の端緒となったとされる「船中八策」にしても、龍馬の発案ではない可能性も、最近では指摘されています(注6)。その当否については、今後の議論・研究次第ですが、慶応3年に龍馬が果たした役割については、過大評価されている面があるような気がしています。
司馬遼太郎氏の小説『竜馬がゆく』では、龍馬1人の活躍で大政奉還が実現したかのような書き方がなされていますが、史実でもそうだったのでしょうか。龍馬の活躍を否定するわけではありませんが、私は龍馬よりもむしろ、後藤象二郎の活躍が大きかったと主張したいです。龍馬は、後藤象二郎を側面から援助していたに過ぎません。
だとすれば、もしも西郷や大久保が、武力討幕の邪魔者を暗殺しようと企むのであれば、龍馬ではなく後藤を狙うのが妥当ではないでしょうか。私には、どうしても、そのように思えてならないのです。龍馬を殺して、薩摩藩にメリットがあるとは到底思えないのです。
まず、龍馬を殺したことがバレたら、薩摩藩は土佐藩に見放されるのは確実でしょう。協調も何もあったものではありません。それは、武力討幕をやりにくい状況にするだけです。そんなリスクを冒してまで龍馬を殺すメリットがあるようには思えません。
とりあえず、「薩摩藩黒幕説」を支持されている方には、一度ちゃんと幕末史の勉強をしていただきたいと思います。幕末政治史(特に慶応三年政治史)のことをある程度理解できれば、薩摩藩が龍馬を暗殺する可能性は限りなくゼロに近いということを、わかっていただけると思います。別に史料を読まなくてもいいのです。比較的新しく、まともな概説書を読むだけでいいのです。
単純に、龍馬暗殺の問題だけでも、桐野作人氏が今年、説得力のある議論で薩摩藩黒幕説を否定した論考を、発表されています。新人物往来社から発行された、今年の『歴史読本』7~9月号に掲載されています(注7)。ぜひ、それをお読みください。
この記事で書いたことは、私が龍馬暗殺論議について常々考えていることの一部です。NHKの番組で龍馬暗殺が扱われたということに触発されて、少し披露してみました。薩摩藩黒幕説には根拠がないということを、少しでも多くの方にわかっていただきたいので、今後も、龍馬暗殺に関する記事を書くことはあると思います。もしよろしければ、「注」の下に掲載した過去記事もお読みください。
注
1…井上勲「大政奉還運動の形成過程(一)」(『史学雑誌』81-11、1972年)を参照。
2…家近良樹『幕末政治と倒幕運動』(吉川弘文館、1995年)、高橋秀直「「『公議政体派』と薩摩倒幕派-王政復古クーデター再考-」(『京都大学文学部研究紀要』41号、2002年)を参照。
3…私はまだちゃんと読んでいませんが、最近、高橋裕文氏が薩摩藩内の武力討幕反対勢力の分析をしているようです。高橋裕文「武力倒幕方針をめぐる薩摩藩内反対派の動向」(家近良樹編『もうひとつの明治維新』有志舎、2006年)を参照。
4…例えば、新選組の近藤勇は、大政奉還という事態を歓迎せず、状況を大政奉還前に戻そうと画策していたようです。宮地正人『歴史のなかの新選組』(岩波書店、2004年)150ページ参照。
5…松浦玲『検証・龍馬伝説』(論創社、2001年)を参照。
6…松浦玲「『万機公論ニ決スヘシ』は維新後に実現されたか?」(『新・歴史群像シリーズ④ 維新創世坂本龍馬』学習研究社、2006年)を参照。詳しくは、「「船中八策」作成に坂本龍馬が関与していない可能性」という記事をお読みください。
7…桐野作人「龍馬遭難事件の新視角-海援隊士・佐々木多門書状の再検討- 第1回・第2回・最終回」(『歴史読本』2006年7・8・9月号)
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・桐野作人「龍馬遭難事件の新視角」最終回-薩摩藩黒幕説の誤解を正す-
・龍馬暗殺について~歴史学者(幕末政治史研究者)の意見を参照することのすすめ~
・坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺前後の政局‐史料の中に見える薩摩藩士たちの言葉‐
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「結論のほうがはじめにあって、史料をその結論に合わせて曲解してしまう」。これは [続きを読む]
受信: 2007年5月 3日 (木) 21時28分



コメント
どうも、来栖です。
私も「その時歴史が動いた」は見逃しました。なので、どんな内容だったかは、パルティアホースカラーさんのお書きになられたことをもとに推測することしか出来ないのですが、「龍馬暗殺」というのは、視聴率を稼げるテーマなのでしょうね。これをテーマにした番組は、過去にも沢山作られてきて、ちょっと作られ過ぎでは?とさえ思えます。
さて、ここからは私見なのですが、薩摩藩黒幕説というのも、どうもその視聴率といういうものに阿るものなんじゃないのかな?と感じています。つまり、史実としてきちんと検証されたものであるかどうか、ということよりも、視聴者に受けがいい、という理由でテレビ番組等で取り上げられる事が増えているような気がしてならないんですね。
私も、薩摩藩黒幕説に興味を持っている人というのは、パルティアホースカラーさんが挙げた①②の傾向があると思います。特に、②が顕著だと思うのです。で、龍馬を「影響力のあった大物」だと捉えている人にとっては、龍馬が「知らない人」や「小者」に殺されたというのは、納得がいかないのだと推測します。
これと似た例が新選組犯行説だと思います。勿論、新選組犯行説は薩摩藩黒幕説よりもずっと突拍子の無さが減る説ではありますが、現代においては、否定されることが多い説です。しかし、いまだに新選組犯行説に固執する人達というのがいます。何故なのか?これも突き詰めて行くと、幕末期の有名な団体である新選組に殺されたほうが大物感がある、というヘンテコな理由のような気がします。
余談ですが、新選組が犯人…と言えば、内山彦次郎暗殺事件も、数々の歴史家が新選組犯行説を否定しているにも関わらず、いまだに新選組が犯人であると主張する人々がいますが、どうも、「新選組に殺された!」と主張することによって何らかの得があるからのようです。有名人に殺されたという事による故人の知名度アップを狙っているのかも?
結局、歴史にこだわりは無いが龍馬は稀代の大物であって欲しいと願う人々が存在する限り、龍馬暗殺事件は史実がどうであろうと、現実味の無い説が横行するのではないかと思います。
投稿 来栖ムツキ | 2006年11月 9日 (木) 01時23分
>来栖ムツキさん
コメント、どうもありがとうございます。
「龍馬暗殺」とか「明智光秀の黒幕」とか、その手の歴史の陰謀話は視聴率を稼げるみたいですね。実際、来栖ムツキさんがおっしゃるように、「面白ければ、それでいい」という意識で作られている番組が多いと思うんですよ。その割に、「事実を検証する」・「歴史の闇に埋もれた真実を明らかにする」などの謳い文句で宣伝されているのが問題な気はします。
龍馬は死後に正四位の位を貰っていますし、薩長同盟の交渉の場に居合わせたという実績があるので、当時の人々に大物として見られていたには違いないのでしょうが、だからと言って、どんな政治局面でも大活躍したなんてことは決してないと思うんですよね。それに、同時代の他の大物たちと同等に評価されるべき大物であっても、「他の誰よりも凄い稀代の大物」ということはないと思います。
でも確かに、「稀代の大物」であると信じている龍馬が、見廻組とかいう、よくわからない集団に殺されたなんていう事態を素直に認めたくない人はいそうですね。新選組犯行説に固執する人がいるとすれば、やはりそういうことなのでしょうか。薩摩藩黒幕説の場合も、「あの大西郷が邪魔に思うぐらいだったのだから、やっぱり龍馬は凄い」という気分に浸れるのかもしれませんね。来栖ムツキさんがおっしゃるように、内山彦次郎の事件にも何らかの思いや願望が働いているのでしょうね。
龍馬に限ったことではありませんが、史実は史実としてちゃんと考えたいですね。歴史にロマンや願望を求めること自体を否定したりはしませんが、史料を都合よく解釈するとか、そのようなことまでして自分のロマンを維持するようなことはしてもらいたくないです。そのような風潮が横行するのは、いささか残念な気がします。
投稿 パルティアホースカラー | 2006年11月 9日 (木) 23時10分
また拙説に触れていただき、有難うございます。
度々取り上げていただいているので、いささか面はゆくも思っております(笑)。
それにしても、近江屋事件の当日、西郷はまだ西国の船上にいたということを何度強調しても、黒幕にされるのですから、もはや史実や理屈を超越した話ですね。
しかも、研究者で薩摩藩黒幕説を唱える人は誰一人いないにもかかわらず、歴史ファン・龍馬ファンの間で根強い支持があるという乖離。
これは研究者の努力不足というより、おそらく在野の願望が込められた言説としかいいようがなく、もしかして、巨視的に見れば、ひとつの野史が形成される一歩前まで来ているのかもしれませんね。
しかも、明治から公然の秘密として囁かれていたのならともかく、せいぜい昭和末期あたりからの言説ですから、驚き入ります。
あるいは近年、会津藩を中心とする佐幕派の研究が進展しているのを反映してか、反薩長史観が台頭しており、そのヴァリエーションのひとつかもしれません。とりあえず、薩長を「悪」に認定しておけば溜飲を下げられるという……。
そういう意味では、明治以来支配的だった薩長史観に対するアンチといいますか、反動の一現象かもしれません。
しかし、それなら、反薩長史観の「正統」は幕府ないしは会津であるべきで、決して龍馬は薩長のアンチに祭り上げられる存在ではないのですが、その辺の機微が私にはよくわかりません。
薩摩藩に暗殺された龍馬という言説に、果たして何が仮託されているのでしょうか?
投稿 桐野作人 | 2006年11月10日 (金) 01時53分
ドモ、松裕堂です。
当方は件の番組を、仕事での待機中に”乍ら視”してた程度なんですが(しかも所々を細切れにしか視てません)、番組の趣旨としては「司会者二名が議論を戦わせたうえで、ドチラの説により説得力があったか投票する」というディベート(?)をメインにした番組だったようです。
とりあえず、テレビ番組は歴史モノにかぎらず、健康系情報番組にせよ、ドキュメンタリー系番組にせよ、なんらかの脚色が付加されること自体めずらしくないですから(むしろソレが常道かと)、今回も最初っからナナメに私は視てました(笑)。
ただし、番組としては”あくまでも一説”という点を何度か強調してましたんで、ソコら辺に幾分かの”良識”がはたらいてるのかも知れません。民放の番組であれば、さらにスゴい事になっていたでしょう。
そういえば、土居晴夫氏の『坂本龍馬の系譜』にも放送者側の恣意的な番組作りについて述べられている箇所がありましたが、やっぱり基本的に番組制作者にとっては、”真実よりも視聴率”なんでしょうね。悲しいですけど。
来栖ムツキさん>
>内山彦次郎暗殺事件
本件とはズレた話題で恐縮なんですが、この内山彦次郎暗殺事件については、いまだ新選組犯行説と非犯行説が相半ばしているような印象なんですが(『菊地明氏の『幕末天誅斬奸録』などは新選組犯行説を取っているようですし)、非犯行説を取る場合その決定的な理由ってなんなんでしょう?
宜しければ後学のため、御教え下さい。
投稿 松裕堂 | 2006年11月10日 (金) 08時55分
>桐野作人さん
コメント、ありがとうございます。
桐野さんの龍馬暗殺についての今年の論考は、龍馬暗殺犯推理に興味のあるすべての人に読んでもらいたいです。それに、龍馬暗殺の時点で西郷は京都にいなかった、それどころか海の上にいたという基本的事実ぐらい、暗殺犯や黒幕を議論するのであれば、しっかり認識しておいてもらいたいですね。
>在野の願望が込められた言説としかいいようがなく、もしかして、巨視的に見れば、ひとつの野史が形成される一歩前まで来ているのかもしれませんね
これは、本当にそうですよね。研究者がどんなに口を酸っぱくして、論理的で説得的に薩摩は黒幕ではないと言ったところで、願望を打ち砕くことができないわけですから。
反薩長史観は確かにあると思います。ただ、薩摩黒幕説を信じる方の中には、皇国史観だとか王政復古史観だとか、幕府や佐幕派諸藩の研究が進展したのは近年になってからだとか、そのような研究史的な知識が皆無な方も相当数いるように思えますので、それだけでは説明がつかないような気がします。龍馬を薩長のアンチにまつりあげるのはお門違いということには、同感です。
「薩摩藩に暗殺された龍馬という言説」にどんな願望が仮託されているのか、難しいところですね。
>松裕堂さん
コメント、ありがとうございます。
松裕堂さんは放送を一応見られたのですね。テレビ番組では意図的な脚色があるということには同感です。最初からそのような気持ちで見る松裕堂さんのスタンスは適切だと思います。
良心が垣間見えたという部分については、まだNHKだったからでしょうかね。ただ、私は、「NHKの番組だから信用できる」みたいな感じで、安易に信じる人も多くなってしまいそうな危惧を感じてはいます。
内山彦次郎の暗殺事件については、私も犯人は新選組ではないと考えている人間なので、私なりに思いつく根拠を、以下に並べてみます。大体、以下のような理由が考えられるのではないでしょうか。
・同時代の信用できる史料に、内山彦次郎暗殺の犯人を新選組と臭わせるものがない。
・同時代の信用できる史料に、内山と新選組の接点が見出せない。
・内山暗殺の犯人を新選組と断定したものの初出は、明治以降に書かれた、西村兼文『新撰組始末記』
・『新撰組始末記』は基本的に西村の見聞をもとに書かれたものだが、意図的と思われる脚色が見受けられるので、安易に信用できない
・しかも、内山暗殺事件が起きたとき、西村は上方にいなかったので、事件を直接見聞できる立場ではなかった。だから、さらに西村が言っていることの信憑性に、さらに疑いが強くなる
・西村は、新選組が内山を殺した理由を、大坂での力士との喧嘩事件の処理への不満としているが、力士との喧嘩事件を処理したのが東町奉行であるにもかかわらず、内山は西町奉行の所属
・永倉新八は、『新撰組顛末記』の中で内山殺害を語ってはいるが、それはホラ話だった可能性がある。記者が永倉に取材して、永倉がそれに答えるという形になっているため、記者が西村の『新撰組始末記』を参考にして聞いた質問に、永倉が適当に答えた結果ではないかと考えられる。
投稿 パルティアホースカラー | 2006年11月10日 (金) 20時08分
どうも、再度、来栖です。
話題の番組、昨夜、再放送を見ることが出来ました。
松裕堂さんが説明されている通り、松平"タクシー"定知アナと女子アナがディベートで二つの説を論じ合い、それを視聴者投票させるという番組でした。この方式の番組、定期的にやっていますね。
で、松平アナが薩摩黒幕説で、女子アナが松平容保が佐々木只三郎に龍馬暗殺を命じたという説を語っていました。
真剣にチェックしていたわけでもなく、酩酊しながらな~んとなく見ていた者の意見として言わせて頂けば、ちょっと女子アナは説明不足な印象を受けましたね。あれでは、容保が何故、龍馬を無きものにしなければならないのか、視聴者には伝わって来ないなぁ、と。
個人的には、そのあたりが薩摩黒幕説が視聴者票を伸ばしてしまった一因かもしれないと思いました。
>もしかして、巨視的に見れば、ひとつの野史が形成される一歩前まで来ているのかもしれませんね。
私も、上記の桐野さんの見方に同意する者です。インターネット上にあらゆる情報が氾濫している現代では、嘘も1万回書けば真実になる、という様な恐さがあります。このような状況に便乗して、故意に誤った情報を流す人々もいるわけですから、今後、多くの人々が歴史というジャンルの中で史実を共有するのは難しくなってゆくのではないかと考えます。
現に、現在の日本において歴史ジャンルを牽引しているのはメディアと作家であって、アカデミズムではないのでは?と危惧してしまうのです。確かに、優れた論文が発表されても、その研究結果が広く浸透しないのですよ。何故、浸透しないのか?結局、アカデミズムが俗世間と乖離し過ぎてしまっているというか、資本主義社会の中で自分の研究成果を積極的に広めてゆくことを良しとしないような風潮があるからかもしれません。一種のエリート主義とでも言うのでしょうか。佐々木只三郎と同じですね。その筋ではエリートなのですが、一般的には知名度が低い…というケースです。で、本人も「その筋エリート」で満足しているという…。これでは、司馬遼太郎や浅田次郎に勝つのは無理です。もっと、普遍化させる努力しないと、アカデミズムの価値自体が資本主義社会の中で低下する可能性さえ出てくると思います。
そういう意味では、一般向けの本を沢山出している野口武彦氏や松浦玲氏の在り方は普遍化という点で従来より効果的であると思いますし、桐野さんのように、論文を出したり、小説を出したり、大衆向け趣味雑誌に書いたりと、活動の場を固定せずにやってゆくのは、極めて資本主義にマッチした方法なのではないかと思います。
ともかく、インターネットが幅をきかせる現代では、アカデミズム側が旧式を捨て浸透・普遍化を急ぐことが、妙な野史の発生を防ぐ一手になるのでは?と思うわけです。
<松裕堂さん>
内山彦次郎事件については、拙サイトでチョロっと書いてます。
http://skenshou.hp.infoseek.co.jp/jiken/u.html
パルティアホースカラーさんが書いて下さったことで充分だと思いますが、少々補足すると、内山彦次郎の子孫には、彦次郎を殺害したのは新選組だとは伝わっておらず、別の犯人名が伝えられているそうです。なので、人々から「新選組が犯人なんやろ?」と問われてビックリしたと。これは数年前、インターネットで実際に子孫の方が語っていたページを見て知ったのですが、今現在、そのページは見当たりません。
どの程度、信憑性があるのか判りませんが、一応、情報として書いてみました。
投稿 来栖ムツキ | 2006年11月11日 (土) 01時54分
>来栖ムツキさん
貴重な情報をお寄せいただいて、どうもありがとうございます。
>現在の日本において歴史ジャンルを牽引しているのはメディアと作家であって、アカデミズムではないのでは?と危惧してしまう
これは、私も常々感じております。実際、「歴史に興味がある」と断言する方に、好きな歴史小説家や好きな歴史小説のタイトルを尋ねたらスラスラ出てきそうですが、好きな歴史学者や歴史学者が執筆した本を尋ねても、答えられない方も多いのではないでしょうか。
例えば東京大学の日本史学研究室には、藤田覚氏・吉田伸之氏・村井章介氏・佐藤信氏・大津透氏・野島(加藤)陽子氏・鈴木淳氏という錚々たる教授陣が所属していますが、これらの歴史学者の名前1人も知らない「歴史好き」 も、結構多いと思います。
そのようなアカデミズムと俗世間の乖離はあると思います。
一般向けの本(例えば新書など)を積極的に書かれる学者・元学者(松浦玲氏・野口武彦氏など)に対して、まったくと言っていいほど一般向けの本を書かない学者もいますよね。後者の方たちがなぜ一般向けの本を書かないのか、理由は定かではありませんが、エリート主義のような意識が一因だとしたら、やめてもらいたいですね。妙な野史の発生など、歴史認識にも関わる問題ですから。
内山彦次郎についての補足情報も、ありがとうございます。
投稿 パルティアホースカラー | 2006年11月11日 (土) 11時56分
ドモ、故あってレスポンスが遅れまして申し訳ありません。
パルティアホースカラーさん>
>安易に信じる人も
仰るとおり「NHKの番組だから」という理由でもって信じちゃう人も、それなりには当然いるんでしょうね。腐っても”権威”ならまだ【NHK>民放】でしょうし、この点は気になる部分ではありますな。
もっとも、こうなってくると、問題はテレビに限った話ではなく、ネットにせよ、書籍にせよ、ようは”情報の捉え方”という問題にもなりそうですが。
>内山彦次郎の暗殺事件
私もこの件については(史料的な裏付けに乏しいという理由でもって)基本的に、「新選組非犯行説」なんですが、「永倉新八の証言をどう解釈するか」で引っかかり、イマイチ歯切れの悪い気分でいたりします(笑)。
来栖ムツキさん>
>内山彦次郎の子孫には
はい、チラっとだけですが存じ上げております。
この御子孫の事については、釣洋一氏が何かの本にも書いていたと思うんですが、肝心の書籍名は当方も失念しました。何方か御記憶の方います?
投稿 松裕堂 | 2006年11月14日 (火) 06時02分
横レス失礼いたします。
この番組を私も視聴しましたが、気になることがありました。
「松平容保が永井尚志とともに坂本龍馬に面会し、命を保証した」というのです。
『伏見寺田屋の覚書』の記述に拠ったそうなのですが、この覚書の史料としての信憑性が疑問なのですが。
私はこの覚書は未見なのですが、昭和17年頃に雑誌『伝記』で発表されたものらしいですね。
もとは、寺田屋お登勢の長男が明治39(1906)年に逓信大臣に上申したものだとか。
ちなみに、このときの逓信大臣は1月7日に大浦兼武から山縣伊三郎に代わっています。
それと、実戦経験豊富な新選組ではなくなぜ京都見廻組に実行させたか、という説明で、新選組は目立ちたがり屋で手柄を言いふらさずにはいられないから、というような理由を述べていたのが噴飯ものでした。
NHKはこの番組を「教養」番組と位置づけていますが、どう観ても「バラエティ」番組ですね。
内山彦次郎暗殺事件について、釣洋一氏は『土方歳三波涛録』(新人物往来社2003年9月15日発行)の「勇魂よ永遠に」で、
{ ただ、内山彦次郎の後裔内山昌居さんは、昭和四十六年(1971)に初めてお会いした時、「先祖彦次郎を斬ったのは西国浪士と聞かされてきました。新選組の仕業というのは初めて聞きました」と言われ、二十年後に再会した折にも、やはり、「先祖を斬ったのは西国浪士と思っております」と答えられたことを示しておきたいと思います。
内山彦次郎の「斬奸状」には、八田五郎右衛門、大森準太などに誅戮を加える由が認められております。しかし、西村や永倉のニ書に綴られた内山殺害の理由から申しますと、八田や大森に累のおよぶはずはないのです。その点、京坂に潜入した過激浪士たちの犯行とすれば合点がいきます。}
と述べています。
投稿 チロ之助 | 2006年11月14日 (火) 15時03分
>松裕堂さん
たとえ不祥事が相次いだとしても、まだまだNHKの権威は民放よりもありますよね。おっしゃるとおり、”情報の捉え方”という問題も重要だと思います。
内山彦次郎の暗殺事件については、確かに永倉の証言が気になるところですよね。永倉がとにかく内山殺害を認める証言をしている事実を、どのように解釈するか。その点に関して、内山の御子孫の方の証言というのも、興味深いですね。
>チロ之助さん
コメントをいただきまして、どうもありがとうございます。
『伏見寺田屋の覚書』という史料については、NHK「その時歴史が動いた」のHPに記載されている情報を見ましたが、私自身は未見ですので、史料としての信憑性については何とも言えません。
個人的には、暗殺直前の龍馬と寺田屋の接触がどの程度のものだったのか、そのへんがはっきりわからない(交流が密だったと断言しかねる)こともありますし、『伏見寺田屋の覚書』という史料の内容を、にわかには信用できないなぁという気持ちです。
新選組ではなく見廻組に龍馬暗殺を命じた理由についてのNHKの説明は、確かに適切とは言いがたいですね。目立ちたがり屋とか、そういうことが史料に書いてあるのであれば、それでも構わないと思いますが。
内山彦次郎の御子孫の証言についても情報をお寄せいただいて、どうもありがとうございます。興味深い内容ですね。
投稿 パルティアホースカラー | 2006年11月14日 (火) 21時33分
チロ之助さん>
>釣洋一氏は『土方歳三波涛録』(新人物往来社2003年9月15日発行)の「勇魂よ永遠に」で、
情報ありがとうございます。
引用部分を拝読いたしましたかぎり、御子孫の方もハッキリとした理由があって、新選組非犯行説を取られているわけではなさそうですね。
この内山彦次郎暗殺事件については、新選組犯行説・非犯行説せよ、永倉新八の証言せよ、「なぜ犯人は犯行におよんだのか?」、「なぜ永倉は斯く証言をしているのか?」といった”動機”の部分が不透明で、歯切れの悪さばかりが残りますね。
投稿 松裕堂 | 2006年11月16日 (木) 09時06分
内山彦次郎殺害については、犯人の動機に不明な部分が多いですね。今後の研究の成果に期待といったところでしょうか。
投稿 パルティアホースカラー | 2006年11月16日 (木) 20時43分