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2006年11月29日 (水)

『おしゃれキャット』に出てくる猫たち

ディズニー映画『おしゃれキャット』(1970年公開)と言えば、ここ数年ではマリーが大きくクローズアップされています。巷にはマリーのグッズが溢れ、東京ディズニーランドのイベントや東京ディズニーシーのグリーティングなどに、マリーは登場しています。

しかしながら、『おしゃれキャット』という映画におけるマリーは、あくまで主役のダッチェスの3匹の子供たちのうちの1匹に過ぎません。また、マリー以外にも、『おしゃれキャット』には魅力的な猫たちが登場しています。マリーだけが大きく取り上げられて、他の猫たちが注目されないのは、何だか勿体ないように思います。

私の個人的な好みで言えば、『おしゃれキャット』に出てくる猫たちの中でも、やはり主役のダッチェスとトーマス・オマリーは良いです。特に、オマリー曰く「サファイアの瞳」を持つダッチェスは、物凄く美しい姿をしております。私が特にそう感じたのは、ジャズ猫の演奏でオマリーとダッチェスが踊るシーン。

マリーはマリーでもちろん可愛いとは思いますが、それというのも母親のダッチェスが美しく、マリーはその血を受け継いでいるからこそ可愛く見えるのでしょう。映画冒頭でも、飼い主のボンファミーユ婦人が、マリーはダッチェスに似ているから将来きっと綺麗になるだろうと、発言しています。

ちなみに、同じくディズニー映画の『ビアンカの大冒険』(1977年公開)に登場するビアンカは、キャラクターのモデルになった人がダッチェスと同じ人らしいですね。そう言われてみると、ダッチェスとビアンカは目や雰囲気が似ているような気もします。両者には猫とネズミという違いこそありますが。

ダッチェスの3匹の子供たち、すなわちベルリオーズ、トゥルーズ、マリーの3匹も、子供らしさに溢れていて愛らしく見えます。私は特に、何故か野良猫に憧れているトゥルーズが印象的です。また、マリーの口癖は「ロマンチック」。「ロマンチック」という言葉の意味をまだちゃんと理解していないのか、「そこで『ロマンチック』という言葉を使うのか」とツッコミたくなる状況で「まぁ、ロマンチック」と言い出すので、笑わせてくれます。

ダッチェスと結ばれるオマリーも、優しくて頼もしい、いい奴です。何となく、『わんわん物語』(1955年公開)のトランプに雰囲気や立場が似ていると感じているのですが、私だけでしょうか。

そして、『おしゃれキャット』という映画において、主役のダッチェスやオマリー以上に忘れてはいけないのが、ジャズ猫たちの存在かもしれません。スキャット・キャット、イタリアン・キャット、イングリッシュ・キャット、ロシアン・キャット、チャイニーズ・キャットというメンバーで構成されています。彼らが歌う「みんなネコになりたいのさ」は、英語で聴いても日本語で聴いても、いい歌だと思います。ジャズ猫たちは歌や演奏が素晴らしいだけではなく、オマリー同様に気のいい奴らで、ダッチェスと3匹の子猫のピンチに駆けつけて大活躍します。

とりあえず、私が言いたかったことは、『おしゃれキャット』という映画にはマリー以外にも、魅力的な猫たちがたくさん登場しているんだということです。たくさんの魅力的な猫たちが登場する『おしゃれキャット』は、とても面白い映画だと思います。また、『おしゃれキャット』は本編の約3分の1に音楽が流れているため、それらを楽しむという鑑賞方法もいいかもしれません。

できることなら、これからはマリー単独のグッズよりも、『おしゃれキャット』のグッズを増やしてもらいたいものです。私はマリー単独のグッズはあまり買いませんが、『おしゃれキャット』のグッズならば積極的に買いますので。でも、東京ディズニーランドや東京ディズニーシーで、マリーだけでなくトゥルーズやベルリオーズにも会いたいとは思っていません。

ちなみに、猫ではありませんが、ダッチェスやマリーたちと仲良しのネズミ・ロクフォールを忘れてはなりません。ダッチェスたちを邪魔に思う執事のエドガーが、ダッチェスたちを捕まえたとき、オマリーやジャズ猫たちに危機を知らせに行ったのはロクフォールです。ネズミという身でありながら猫たちのところに自ら行くなんて、どんなに怖かったことでしょう。見方によっては、執事に捕まったダッチェスたちよりも、ロクフォールの方がピンチだったのではないかという気もしてきます。そんな頑張り屋のロクフォールも、『おしゃれキャット』における重要なキャラクターの1人です。

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2006年11月27日 (月)

新選組情報を読む-<士道>の虚構、<政治>の実態-

1週間前から、歴史学者の鶴巻孝雄氏のHP「鶴巻孝雄研究室」で、鶴巻氏の執筆による「新選組情報を読む-<士道>の虚構、<政治>の実態-」という文章が、PDFで公開されています。

これは、町田市立自由民権資料館の企画展「豪農たちの見た新選組―多摩に芽生えた政治意識」の際の記念講演を文章化したもので、町田市立自由民権資料館編『民権ブックス18 豪農たちの見た新選組』(町田市教育委員会、2005年)に収録されています。

私は『民権ブックス18 豪農たちの見た新選組』を所持してはいないのですが、いつか入手して読もうと思っていました。そう思いながらも入手に至らないうちに、その本に収録されている鶴巻氏の文章だけは、ネット上で読めるようになりました。何とも、ありがたいことです。

さっそく、鶴巻氏の上記文章「新選組情報を読む-<士道>の虚構、<政治>の実態-」を読んでみました。そこで鶴巻氏は、新選組と「士道」を安易に結び付けることは、新選組を正しく理解しているわけではないことを史料を引用しつつ説明し、むしろ新選組や近藤勇は政治運動に従事していたのだということを強調しています。また、京都市中の見廻りや浪士捕縛や、内部抗争や隊規違反者の粛清、あるいは魅力的な隊士個々人のエピソードは、新選組を論じる上での本質ではないのだとも述べています。私はこれらの鶴巻氏の意見に、基本的に同感です。

上記文章の冒頭で、鶴巻氏は、新選組が人々にどのような集団だと思われているのか、そのアンケート結果を紹介しています。それによると、「テロ集団」、「幕府の番犬」、「幕末のあだ花」、「誠」、「武士道」などのイメージで新選組を見ている人が多かったようです。政治集団とか思想集団としてイメージしている人は、あまりいなかったようです。

鶴巻氏も文章中で述べているように、最近は松浦玲『新選組』(岩波新書、2003年)、宮地正人『歴史のなかの新選組』(岩波書店、2004年)、大石学編『新選組情報館』(教育出版、2004年)など、歴史学者による新選組研究が相次いで公にされているため、上記アンケート結果のような新選組イメージは、徐々に改まりつつあると思います。しかしそれでも、新選組が政治集団あるいは思想集団として広く認知されるには、まだまだ時間がかかるのではないかというのが、私の正直な実感です。

新選組に興味がない人はいざ知らず、興味のある人には、せっかくネット上で全文を読むことができるようになった鶴巻氏の「新選組情報を読む-<士道>の虚構、<政治>の実態-」を読んでいただきたいと思います。ですが、新選組に興味がある人の多くは、鶴巻氏が新選組を論じる上で重要だと考える政治集団としての新選組に興味を示さず、結局は鶴巻氏が本質ではないと考える隊士個々人のエピソードや「士道」と結び付けた新選組像に興味を抱く人が多いのかなぁという懸念もします。

もしも、そうだとしたら、書店の新選組コーナーにはいつまでも「士道」・「誠」などを強調する新選組本が並び、新選組の政治集団としての面を強調した本はなかなか増えないのかと心配にもなります。出版社としては、同じ新選組の本でも、売れそうな本を積極的に作るでしょうからね。そうだとしたら残念なので、少しでも多くの人に、鶴巻氏の「新選組情報を読む-<士道>の虚構、<政治>の実態-」を読んでいただけたら幸いです。せっかく、ネット上で読めるようになったのですから。「鶴巻孝雄研究室」でPDFを閲覧できます。

余談ながら、鶴巻氏の上記文章には、近藤勇の書簡が多く引用されています。それを読むと、従来の幕末維新史研究および新選組研究に近藤の書簡が有効活用されてこなかったことが、勿体ないという気持ちになります。

また、「鶴巻孝雄研究室」では、元・新選組隊士の松本捨助の捕縛を伝える新聞記事を、新たに紹介しています。こちらも興味深いですね。

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2006年11月26日 (日)

アーネスト・サトウの日記と回想録

アーネスト・サトウと言えば、幕末維新期の日本で、イギリス公使館の通訳官・書記官として活躍した人物。その彼が著した『一外交官の見た明治維新』は、坂田精一氏の訳で岩波文庫に上下2冊本として収録され(1960年)、幕末維新史研究に広く利用されてきました。

サトウの回想録『一外交官の見た明治維新』は、幕末維新史の研究に有用というにとどまらず、単なる読み物としても、面白い内容・記述が満載だと思います。例えば、私は薩摩藩の小松帯刀に関する以下の記述を読んだとき、思わず吹き出しそうになりました(赤文字で引用)。サトウが観察した人物の描写が、生き生きとしていて楽しい一例です。

小松は私の知っている日本人の中で一番魅力のある人物で、家老の家柄だが、そういう階級の人間に似合わず、政治的な才能があり、態度が人にすぐれ、それに友情が厚く、そんな点で人々に傑出していた。顔の色も普通よりきれいだったが、口の大きいのが美貌をそこなっていた。彼は、脂肪の多い肝のパテや、薄い色のビールをうまそうに、ぱくつき、飲みほし、しまいにはあまり上きげんになり過ぎたので、この宿舎には徳川の家臣も多勢いることとて、うっかり秘密をもらしはせぬかと、はらはらした。(『一外交官の見た明治維新』上巻、237~238ページ)

面白い上に、史料としても使えるということで、サトウの回想録『一外交官の見た明治維新』は、重宝すべき書物と言えます。その回想録の、史料としての信憑性については、青山忠正氏が、サトウが幕末維新期にリアルタイムで書いていた日記と比較することで、検証しています。サトウの日記原本はロンドンにあり、その写真版が京都大学人文科学研究所図書室に所蔵されているそうですが、青山氏はそれら両方を実際に調査した上で、日記と回想録の関係について、以下のような見解を述べています(青山氏の著書からの引用は青文字)。

サトウは回想録を執筆するにあたって、むろん適当に取捨選択や補筆を加えてはいるが、日記の記事をほぼそのまま下敷きにしているのである。以下でも繰り返して見ることになるように、この方針は回想録全編を通じて一貫しているとみられる。一般論として、後年の回想録は当時の日記に比べて信憑性に劣る場合が多いが、サトウの場合はあまりそうした心配をしなくてよさそうである。(中略)おそらく大英帝国最盛期の外交官としての誇りと矜持をもって、そしてのちに史料として利用されることを確信しつつ、彼はこの回想録を書き綴っているのである。(青山忠正『明治維新の言語と史料』清文堂出版、2006年、179ページ)

青山氏によれば、サトウは回想録『一外交官の見た明治維新』を執筆するにあたって、自身の日記を逐条的に追っているので、記載内容の信憑性はかなり高く、史料として利用する上で問題はないとのことです。もちろん、日付の誤記などケアレスミスも時折あるらしいので、その点は注意が必要ですが、日本側の史料だけでは判明しない部分についても、サトウの回想録で補完することができることが多いので、そのようなメリットは大いに活用すべきでしょう。

また、先述したように、『一外交官の見た明治維新』は面白いので、オススメです。特に、幕末史に興味がある人ならば、楽しく読めるのではないでしょうか。

ちなみに、アーネスト・サトウのことを、「サトウ」という名前から日本人と何らかの血縁関係があるのかと誤解している方がいますが、彼は日本人とは特に血縁関係のない、イギリス人です。

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2006年11月25日 (土)

ウルトラマンメビウス&ウルトラマンレオ

今日の『ウルトラマンメビウス』第34話「故郷のない男」は、以前から放送される日を心待ちにしていました。『ウルトラマンメビウス』という番組自体は毎週楽しく見ていますが、34話にはウルトラマンレオが登場する予定だと聞いたから、いつにも増して楽しみだったのです。そして本日、その34話を見ました。

ウルトラマンレオ、かっこよかったです。明日は、レオのソフビを買うためにおもちゃ屋に行く親子が続出ではないでしょうか。それぐらい、かっこいい客演でした。以前、メビウスの救援にやってきたウルトラマンタロウとは違い、人間体の登場があったのも良かったです。おおとりゲン、渋くて素敵でした。

レオを見たとき、テッペイが「ウルトラマンレオだ~」と叫び、物凄く嬉しそうな顔をしていましたが、テレビの前で同じような顔をした方も多かったのではないでしょうか。30数年前にウルトラマンレオの活躍に酔いしれた方々は、レオが地球を守る後輩のウルトラマンの元に現れただけでも感無量だったのではないでしょうか。

ストーリー的にも今日の話は、マリナ隊員が「熱血バカが喜びそうな展開」と言っていた通り、熱い話でした。さすが、一度負けても特訓によって新しい技を編み出し、再戦によって敵を打ち破っていたレオの客演回だけあります。ミライ(メビウス)も、特訓によって新しい技を編み出しました。メビウスよりもレオの方が身体能力が高いというセリフには、レオのファンの方々も嬉しかったのではないでしょうか。戦いの最後で、メビウスとレオが繰り出したダブルキックは最高にかっこよかったです。

敵のリフレクト星人も、なかなか印象に残る奴でした。事前に静止画で見たときは印象が良くなかったのですが、動いている姿を見ると、結構かっこよく感じられたのです。彼がメビウスに負けそうになってGUYSを人質に取るという卑怯なことをしてくれたおかげで、レオがメビウスに加勢してくれました。リフレクト星人が卑怯な手を使わなかったら、レオ(おおとりゲン)はメビウスを見守ることに徹し、メビウスは1人でリフレクト星人を倒していたことでしょう。その意味で、リフレクト星人の功績は大きいです。

印象的だったのは、おおとりゲンがウルトラマンタロウのことを「タロウ兄さん」と呼んでいたことと、ミライがゲンのことを「レオ兄さん」と呼んだこと。タロウはもはやウルトラ兄弟の末弟ではないのだということが、はっきりわかるシーンでした。『ウルトラマンレオ』の本編でレオはすでにウルトラ兄弟入りしていましたが、他のウルトラ兄弟を「兄さん」と呼ぶ描写は初めてだったと思いますし。

ともあれ、今日は期待通り、面白かったです。熱い話でした。客演話が好きな私が大満足できる回でした。来週は、ついにウルトラマンヒカリが地球に帰ってきます。ババルウ星人がツルギに化けたり、こちらも見逃せない話になりそうです。

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2006年11月24日 (金)

シリーズ日本近現代史1 幕末・維新

岩波新書の企画に、<シリーズ日本近現代史>全10巻という通史がありますが、数日前にその第1巻が発売されました。第1巻は、北海道大学教授の井上勝生氏による、『幕末・維新』。価格は819円。

書店に平積みしてあった『幕末・維新』をパラパラとめくってみたところ、内容的にはペリー来航から西南戦争までの時期を扱った、まさに通史という感じの本でした。数年前に『日本の歴史18 開国と幕末変革』(講談社、2002年)という通史を著し、幅広い視野から幕末・維新論を展開した井上氏の新著だけあって、今回も幕末・維新の変革が手堅くコンパクトにまとめられているようでした。

巻末の参考文献によると、遠山茂樹『明治維新』(岩波全書、1951年)・田中彰『明治維新政治史研究』(青木書店、1963年)・原口清『戊辰戦争』(塙書房、1963年)などの古典的名著から、松尾正人『廃藩置県の研究』(吉川弘文館、2001年)・佐々木克『幕末政治と薩摩藩』(吉川弘文館、2004年)・京都国立博物館編『龍馬の翔けた時代』(京都新聞社、2005年)など、比較的最近の研究まで参照した上で、叙述されているようです。最新の研究状況が反映されているのは良いことですね。

参考文献には単著だけでなく、雑誌論文なども掲げられていますので、これから幕末維新史について学びたい(幕末維新史を学ぶには、どんな文献を読めばいいのか知りたい)と考える人にとっても、ありがたい構成になっているように思います。

全体を通して読んでみないことには評価できませんが、岩波新書の<シリーズ日本近現代史>という企画は、結構面白いものになるような気がします。第1巻の井上勝生『幕末・維新』に続くラインナップは以下の通りです。第2巻は12月20日発売予定。

第2巻:牧原憲夫『民権と憲法』
第3巻:原田敬一『日清・日露戦争』
第4巻:成田龍一『大正デモクラシー』
第5巻:加藤陽子『満州事変から日中戦争へ』
第6巻:吉田 裕『対英米開戦と総力戦』
第7巻:雨宮昭一『占領と改革』
第8巻:武田晴人『高度成長』
第9巻:吉見俊哉『ポスト戦後社会』
第10巻:宮地正人編『日本の近現代史をどう見るか』

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2006年11月21日 (火)

「ディズニーおたく」は存在しないのか?

精神科医の斎藤環氏は、著書『戦闘美少女の精神分析(せんとうびしょうじょのせいしんぶんせき)』(太田出版、2000年)の中で、「ディズニーおたく」は原則として存在しないと断言しています。そうなのでしょうか。まずは斎藤氏の意見を紹介して、最後に私の所見を述べてみたいと思います。

斎藤氏は、「どのような人をおたくと呼ぶべきであるか」という観点から、以下の4つの要素を持つ人が「おたく」であると述べています(赤文字部分)。

①虚構コンテクストに親和性が高い人
②愛の対象を「所有」するために、虚構化という手段に訴える人
③二重見当識ならぬ多重見当識を生きる人
④虚構それ自体に性的対象を見い出すことができる人

斎藤氏は、上記の特に③と④の要素が欠如しているがゆえに、「ディズニーおたく」は存在しないと考えているようです。

③の多重見当識というのは、難しい言葉ですね。斎藤氏によれば、精神分裂病患者などに「二重見当識」というものが見られるそうです。例えば、自分が東京都知事だという妄想を本気で語りながら、それでいて自分が患者であるということはちゃんと認識しているような、そのような状態が精神分裂病患者に見られるとのこと。自分の立場の理解を「見当識」と言い、妄想の立場と患者の立場を区別できるような場合、それを「二重見当識」と呼ぶようです。「おたく」の場合は二重どころか、それが多重になるとのこと。

つまり、斎藤氏によれば、「おたく」は様々な虚構コンテクスト間(例えばアニメ、漫画、ゲーム、特撮など)を自在にジャンプし、受け手の側から制作する側に容易に入れ替わることが可能な「多重見当識」の持ち主なのだそうです。

ところが、ことディズニーに関しては、「見当識」が働きにくいのだそうです。何故なのでしょうか。斎藤氏によれば、ディズニー映画が下敷きにしている古典作品の受容のされ方や、日本のそれとは異なるアニメーションの制作過程が問題となるようです。要するに、日本のアニメやゲームと違ってディズニー作品は、「おたく」たちにとって企画や制作の裏側まで見通しが利きにくいため、「おたく」の「見当識」を麻痺させてしまうのだそうです。ディズニー作品は企画や制作の裏側が日本のアニメに比べてよくわからないから、「おたく」たちは自分が制作者や企画者になるような「見当識」を発揮しにくいらしいです。

また、もっと問題になるのが、夢と魔法の王国ディズニーランドは、実は「現実」なのだということだそうです。斎藤氏の言葉をそのまま引用すれば、「思春期以上の男性は、カップルでなければTDL入国資格がないことも周知の通り」なので、「おたく」にとってはそれが「現実」という名の「壁」になるとのこと。「見当識」がうまく働くのは虚構コンテクストのみであって、「日常的現実」には「見当識」が働きにくいのだそうです。

「現実」を愛好する人は、斎藤氏の定義に従えば「マニア」ということになります。斎藤氏の言うことがすべて正しければ、ディズニーは「現実」で、それを愛好する人は「ディズニーマニア」であって「ディズニーおたく」ではないということになりますが、それは本当でしょうか。後でまた検討してみます。

もう1つ、④について。これは文字通り、キャラクターを見て、性的興奮を感じることができるかどうかということらしいです。斎藤氏は、ディズニーマニアがミニーやポカホンタスなどのディズニーキャラクターを直接に性欲の対象としていることは考えにくいと述べています。そのような考えから、斎藤氏は「ディズニーおたく」なるものは存在しないと断言しています。

では、斎藤氏が述べていることは正しいのでしょうか。正直、難しい問題だと思うのですが、私は斎藤氏の言っていることにどうしても違和感が拭えません。まず、斎藤氏が「おたく」の要素として掲げる①~④が、本当に「おたく」たりうるための要件なのかどうか、そこに疑問があります。

斎藤氏は、虚構コンテクストに親和性のある人を「おたく」とし、「実体性」のあるものに夢中になっている人を「マニア」と呼びます。例えば、天体観測や切手収集、音楽やカメラに興じる人は「マニア」で、アニメ・漫画やTVゲームや特撮、声優アイドルや同人誌などに興じる人が「おたく」なのだそうです。

しかし、斎藤氏も、アニメのフィギュアを集める人が「マニア」なのか「おたく」なのか即答するのは難しいと認めています。ですから、「マニア」の対象物と「おたく」の対象物をはっきり分けること自体、そもそも妥当ではないのかもしれません。となれば、斎藤氏が「ディズニーマニア」だと考える人も、「ディズニーおたく」になりうる余地はあると思うのですが。

斎藤氏によれば、ディズニーにはかなりの「実体性」があって、「日常的現実」だということです。ですから、虚構コンテクストに夢中になる「おたく」の興味の対象にはなりにくいのだと言います。しかし、斎藤氏がディズニーの「実体性」・「現実」を論じるうえで例示したことに、私は疑問があります。

先にも引用したように、斎藤氏は、「思春期以上の男性は、カップルでなければTDL入国資格がないことも周知の通り」と述べていますが、本当にそうでしょうか。その前提が間違っていることは考えられないでしょうか。世間一般から見れば少数派かもしれませんが、年間パスポートを購入して1人でディズニーランドに行く成人男性は存在します。果たして斎藤氏は、そのような事実まで視野に入れた上で論じていらっしゃるのでしょうか。そこは大いに疑問です。

また、ディズニーは制作の裏側が見えないから、「おたく」の「見当識」が働きにくいと斎藤氏は言いますが、全く働かないわけではないはずです。「見当識」が働きにくくても、働く余地がゼロということではないでしょう。それで「ディズニーおたく」は存在しないと断言できるのでしょうか。

④の問題に関しては、個々人の問題となりそうです。斎藤氏はミニーやポカホンタスなどのディズニーキャラクターを性的対象として見る人間はありえないと考えているようですが、本当にそうでしょうか。絶対にいないとは言い切れないと、私なんかは思うのですが。

斎藤氏が述べた「おたく」の要素四つを素直に認めると、確かに「ディズニーおたく」はあまりいないような気もするのですが、原則として存在しないと断言することはできないような気がします。斎藤氏の「おたく」定義に従うとしてもなお、「ディズニーおたく」に存在の余地は残されているような気がします。

それに、斎藤氏が提示した「おたく」の4要素が、本当にすべて正しいのかどうかもわかりません。それらの要素が「おたく」の必須要件ではないとしたら、「ディズニーおたく」の定義も変わってきますよね。

斎藤氏の言うことにも、頷ける点は多いですし、興味深い議論だと思います。確かに、秋葉原に通っているような「おたく」の皆さんが愛好しているものに比べれば、ディズニーには「実体性」があるのかもしれませんし。

ただ、斎藤氏がディズニーについて、それほど知識なり思い入れなりがあるようには感じられないため、いくら「ディズニーおたく」は存在しないと断言されても、決定的な説得力に欠けるような印象を受けました。どうしても、「本当にそうなのかなぁ…」という違和感を拭いきれなかったのです。頷ける点もあったのですが、「ディズニーおたく」が存在しないとまで言い切れないと思います。

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2006年11月20日 (月)

ミニーマウスの強烈なインパクト

_1111/18に、「今日はミッキーマウスのデビュー日です。」というタイトルの記事を書きました。11/18はミッキーマウスのデビュー映画『蒸気船ウィリー』が公開された日でして、一般的にはミッキーの誕生日として知られています。

上記の記事では触れませんでしたが、ミッキーマウスの永遠の恋人・ミニーマウスも、同じ日に『蒸気船ウィリー』でデビューしています。『蒸気船ウィリー』が公開された1928年から、2006年までずっと、ミニーはミッキーの恋人として頑張ってきたのです。また、ミッキーに負けないぐらい多くのファンを獲得している大女優でもあります。

_2_04 私は1人のディズニーファンとして、ミッキーだけでなく、ミニーも当然好きです。東京ディズニーランドや東京ディズニーシーに行ったときに、そんな彼女を間近で見て、あまりの愛らしい仕草に思わず顔が緩んでニヤけてしまった経験は、1度や2度ではありません。彼女は本当に可愛らしいですよね。ミッキーがミニーを大好きなのも、納得できます。

しかし、私が特筆したいミニーの魅力は可愛さや愛らしさではありません。むしろ、周囲の人間を黙らせる迫力、周囲を圧倒する気の強さです。時に、「怖い」と感じることすらあります。断っておきますが、私はミニーを批判しているわけではありません。「怖さ」もミニーの魅力だと考えているのです。それに、彼女の可愛らしさはあえて私が語らなくても、他の皆さんが方々で語ってくださっていますから。そんな事情もあるので、私はあえて可愛らしさ以外のミニーの魅力を語ってみたいのです。

_2_imgp1153 ミニーは『蒸気船ウィリー』でミッキーと共にデビューして以来、数々のモノクロ作品でミッキーと共演しています。しかし、ミッキーの短編映画シリーズがカラー化されると、徐々にミニーの出演作品は少なくなってしまいました。残念なことですね。ミッキーの共演者として、ミニーに代わって活躍し始めたのは誰かと言えば、ドナルドダック・グーフィー・プルートたちだったのです。

しかし、出番が減ったとは言え、出てきたときのミニーの存在感と言ったら、「さすがミニー」と言いたくなるほどです。例えば、1938年に公開された短編映画『ミッキーの船大工』。この映画の原題は"Boat Builders"と言いまして、東京ディズニーシーの「ドナルドのボートビルダー」というショーの元ネタになっているアニメでもあります。ミッキー・ドナルド・グーフィーの3人が活躍する映画で、ミニーは最後にちょこっと出てくるだけなのですが、その最後にミニーはバツグンの存在感でおいしいところを持っていきます。

『ミッキーの船大工』では、ミッキー・ドナルド・グーフィーが協力して船を作ります。船の名前はクイーン・ミニー号。映画のラストに、その船の出港式で、瓶を割るのが我らのミニー様の役目。瓶を船にぶつけたものの、瓶がうまく割れなかったことに腹を立てたミニーは、もう一度力いっぱい、瓶を船にぶつけました。すると、瓶が割れるどころか、船が大破してしまいました。ミッキーたちの船の作り方が雑だったのか、それともミニーの力が物凄かったのかは定かではありませんが、最後にチョコッと出てきただけのミニーのインパクトが強烈だったことだけは確かです。

_040 1995年の『ミッキーのアルバイトは危機一髪』という映画では、ジュリアスという巨体の怪物とミッキーの脳みそが入れ替わってしまいます。脳みそが入れ替わったために怪物の姿になったミッキーは、ミッキーの姿をした怪物からミニーを助けるのですが、ミニーはそんな事情を知りません。ミニーは、自分を助けたのがミッキーだとは気付かず、怪物だと思っているのです。当然、可憐なミニーは悲鳴を上げます。しかし、悲鳴を上げながらも、ミニーは強烈なパンチを怪物姿のミッキーに浴びせるのでした。『ミッキーのアルバイトは危機一髪』という映画で、私がもっともインパクトを感じたのが、そのシーンです。ミニーの存在感を見せ付けられたような気がしました。

いずれにせよ、ミニーには可愛さ、愛らしさ、気の強さ、迫力など、様々な魅力があります。さすが、世界一のスーパースターを彼氏にしているだけのことはあります。これからもきっと、ミニーは、映画で、パークで、様々な魅力溢れる姿を、私たちに見せてくれるはずだと私は信じています。

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ミニーマウスはワガママで気が強い、しかし、それがかわいい

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2006年11月18日 (土)

今日はミッキーマウスのデビュー日です。

_04_1本日11/18は、ミッキーマウスのスクリーン・デビュー日(誕生日)。1928年11月18日、ミッキーマウスのデビュー作『蒸気船ウィリー』が公開されたのです(ただし、『蒸気船ウィリー』は、製作された順番としては3作目) 。

ということで、ディズニー好き人間としては、何らかの感慨を抱く日と言えそうですね。ディズニーファンは、問答無用でお祝いせねばならない日だと思うのですよ。一口にディズニーファンと言っても、ディズニーの何に興味があるかは千差万別でしょうが、とりあえず今までのミッキーの活躍がなければ、今のディズニーもないと言えるはずです。となれば、ミッキーのデビュー日はお祝いせねばならないでしょう。むしろ、ミッキーに感謝する日という側面があるかもしれません。

_055 実際、ミッキーマウスは凄い方ですよ。ディズニーに興味のない人でも知っているぐらいのキャラクターですから。東京ディズニーランドの「ワンマンズ・ドリームⅡ」で使われている曲の歌詞に出てくるように、ミッキーは「誰もがどこでも知ってる」スターなのです。

私の友人の母親は、ディズニーに対して特別思い入れがあるわけではない人(少し興味がある程度の人)のようですが、自分の子供が11月に生まれる予定と知った途端、何としても11/18に産もうと頑張ったそうです。ミッキーは、ディズニーに思い入れのない人をもそのような気持ちにさせてしまう力を持っているのです。力というより、魅力と言うべきでしょうか。

_18 とにかく、今日はミッキーマウスのスクリーン・デビュー日。彼の誕生がなかったら、ディズニー社がどうなっていたかはわかりません。でも、ミッキーの誕生が、ディズニー社が大きく成長する転機になったことだけは確かでしょう。80年近く経った今でも、ミッキーのファンはたくさんいるのですから。

ドナルドダックが好きな人も、グーフィーが好きな人も、長編映画が好きな人も、パークのアトラクションが好きな人も、パークの経営面に興味がある人も、ディズニー音楽に興味がある人も、とにかく全てのディズニーファンが興味を持っているディズニーの魅力の原点は、ミッキーマウスの誕生にあったと言えると思います(オズワルドや『アリス・コメディー』の功績を否定するつもりはありません)。

_01_1だから、ミッキーマウスのデビュー日は、ディズニーファンから祝福されて然るべきだと思うのです。

去年の11/18は、ミッキーの活躍の歴史について語ってみました。興味のある方は、下記の記事をご覧ください。ちょっと長い文章ですが、詳しく語っています。

11/18はミッキーマウスのスクリーンデビュー日。ならば、映画スターとしてのミッキーの歴史を長々と語ってみるのもいいだろうと考えた

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2006年11月16日 (木)

江戸時代の身分願望

書店で、面白そうな本を見つけました。先月刊行されたばかりの、深谷克己氏の著書『江戸時代の身分願望‐身上りと上下無し‐』。吉川弘文館の歴史文化ライブラリーの1冊です。

タイトルからして、もしや幕末についても結構詳しく記述されてはいないだろうかと期待してページをめくってみたら、期待通りでした。購入はせず、短い時間立ち読みしただけですが、個人的に興味深いと思った部分の内容を、少し紹介します。

私が特に注目したのは幕末史に関連する記述ですが、その前に全体の内容をざっと紹介しましょう。士農工商の江戸時代には、人々は少しでも上の身分に上昇すること(「身上がり」)を望んでいて、逆に他人に出し抜かれたくない気持ちから平等化(「上下無し」)を願う人もいた…そのような人々の葛藤する身分願望から、江戸社会を分析した書物です。近世の身分意識の問題、郷士、兵農分離、士分化、武士身分の放棄、幕末の身分制度の崩壊など、身分に関わる様々な問題を論じています。

次に、私が注目したところの紹介です。深谷氏は、「幕末江戸多摩の身分願望」という章を設けて、その章で、幕末の剣術や八王子千人同心・新選組・新徴組・甲陽鎮撫隊などに触れています。

例えば江戸の三大道場からは、坂本龍馬を始めとする大勢の志士たちが誕生したことを述べ、それら志士・浪士たちは、剣術で磨いた技と志を持つことによって、政治文化的に「士」となったことが指摘されています。それら幕末の浪士たちは「浪士」ではあっても、決して「浪人」あるいは「牢人」ではないことが指摘されています。このあたりの主張は、松浦玲氏が「民間『浪士』と維新期の改革」(『環』13号、2003年)の中で述べていたことと、似ているような印象を受けました。

新選組についても、面白い記述がありました。慶応3年に近藤勇は「御見以上」、土方歳三は「見廻組肝煎」となり、幕府の中で正式な格式を得たわけですが、日野の佐藤彦五郎は手紙の中で彼らに敬称を付けることをせず、あくまで昔と同じように呼び捨てだったことを指摘し、近藤と大久保が甲陽鎮撫隊の大久保剛と内藤隼人に改名してからも、それは変わらなかったとのこと。

そのことから深谷氏は、近藤が「御見以上」になれたりしたのは、幕末になってから身分制度の急激な崩壊があったからだということを、近藤も土方も佐藤彦五郎もちゃんと認識していたからではないかと指摘しております。

以上、立ち読みしたときに気になった部分を少しだけ紹介してみました。今度、もっとじっくり読んでみようと思います。ちなみに、主な目次は以下の通りです(赤文字)。

身分制社会に生きた人々の願望―プロローグ
近世の身分意識と身分変動
身上りの欲求と平均への欲求
士分化と身上りの欲求
幕藩体制を再活性化する身上り
身分制を崩す売禄と献金
幕末江戸多摩の身分願望
近世から近代へ―エピローグ

また、著者の深谷克己氏には、そのほかに『藩政改革と百姓一揆』(比較文化研究所、2004年)、『近世人の研究』(名著刊行会、2003年)、『津藩』(吉川弘文館、2002年)、『百姓成立』(塙書房、1993年)、『近世の国家・社会と天皇』(校倉書房、1991年)、『八右衛門・兵助・伴助』(朝日新聞社、1978年)など、多数の著書があります。

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2006年11月15日 (水)

龍馬暗殺論議における「薩摩藩黒幕説」への疑問 その2

私はこのブログで、坂本龍馬および中岡慎太郎暗殺事件の黒幕が、薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通なんてことはありえないと、何度も語ってきました。先日も、「龍馬暗殺論議における「薩摩藩黒幕説」への疑問」という記事を書いたばかりです。

しかし、旧暦の11月15日はまさに龍馬と慎太郎が暗殺された日ということなので、上記の記事本文で述べたこととは別の観点から、薩摩藩黒幕説への疑問を表明してみます。これから述べることは、私と同様に薩摩藩黒幕説を支持していない方には当たり前の事実に過ぎませんが、薩摩藩黒幕説を信じていらっしゃる方の中には、その事実を忘れている方や知らない方もいるかもしれません。

どういうことかと言えば、薩摩藩黒幕説を主張される方は、西郷や大久保が龍馬を殺さなければならなかった理由として、「大政奉還を推進する龍馬が、薩摩藩の武力討幕方針にとって邪魔だったから」と述べる場合が多いです。仮に、その殺害動機が正しかったとするならば、龍馬暗殺前後の西郷や大久保の行動に、私は納得がいかないのです。

細かい日付を述べていきましょう。龍馬が暗殺されたのは、慶応3年の11月15日。徳川慶喜の大政奉還の決意が朝廷に認められたのが、1ヶ月前の10月15日。その2日後の17日に、西郷・大久保そして小松帯刀という在京薩摩藩邸の代表者3人が、揃って鹿児島に帰るために、京都を離れます。討幕挙兵を実現させるために、薩摩藩全体の藩論を統一するためです。問題は、ここからです。

西郷が京都に戻ってくるのは11月23日。すでに龍馬は殺されています。龍馬が殺されたとき、西郷は海の上にいました。小松は病気で鹿児島を離れることができず、龍馬が殺されたときには鹿児島にいます。大久保は、まさに龍馬が暗殺された11月15日に、京都に戻ってきました。

しかし大久保は、もともと11月15日に京都に戻ってくる予定があったわけではありません。もともと、小松が高知に行って土佐藩の後藤象二郎や山内容堂と打ち合わせする予定だったのを、小松が病気になって動けなくなったので、大久保が代わりに高知に行き、そして京都に着いたのが、たまたま11月15日だったのです。「たまたま」というところがポイントです。

西郷・大久保・小松の実際の行動を見て、どう思うでしょうか。「坂本龍馬が武力討幕の障害になっていた」という説が本当に正しければ、西郷や大久保にとって、龍馬殺害はかなりの重要事項のはず。ところが実際には、龍馬暗殺の日に京都にいたのは大久保だけ。それも、偶然その日に京都に着いただけの話です。本当に、西郷や大久保は龍馬を殺害しなければならないと思っていたのでしょうか。彼らの行動を見ていると、龍馬殺害を重要事項あるいは急務と感じているようには思えません。

10月17日から、龍馬が暗殺される11月15日までの約1ヶ月間、西郷も大久保も京都にいませんでした。彼らが本当に龍馬暗殺の黒幕であるならば、龍馬殺害を実行犯に依頼・指示したのは一体いつなのでしょうか。10月17日以前に指令を出していて、暗殺が実行されるまでに1ヶ月近く、あるいはそれ以上の時間がかかったということなのでしょうか。

それに、龍馬を殺害しなければならないと思っている割に、彼らが鹿児島に帰ってしまっていたのは何故でしょうか。薩摩藩黒幕説を主張する方によれば、龍馬は武力討幕の邪魔者だったはず。となれば、龍馬殺害は薩摩藩にとってかなりの重要事項。それなのに、在京薩摩藩邸の代表者たちが揃って鹿児島に帰ってしまったあたりに、本当に龍馬を殺害しなければならないと思っていたのか疑問が生じます。要するに、彼らには龍馬を殺害しようなどという気持ちはなかったのです。「大政奉還を推進する龍馬が、薩摩藩の武力討幕方針にとって邪魔だったから」という殺害動機が、そもそも間違いなのです。

薩摩藩黒幕説に反論しようと思えば、いくらでも根拠を挙げることは可能です。この記事で述べた西郷や大久保の行動については、あくまで薩摩藩黒幕説を支持する方があまり言及しないような気がしたので、明白な事実を指摘してみただけです。龍馬暗殺のときに西郷が海の上にいたことなどを知らない方がいくら声高に薩摩藩黒幕説を主張しても、まるで説得力がありません。どうしても薩摩藩黒幕説を主張するのであれば、せめて基礎的な事実だけは抑えておいてほしいものです。

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2006年11月14日 (火)

イクスピアリの生クリーム入りココア

今年の初めに、「十六夜の庵」さんが紹介していましたが、イクスピアリの1F「ザ・コートヤード」にあるサルーテというお店で、この冬も生クリーム入りの「ほっとココア」を販売しております。冬季限定販売のココアです。お値段は税込330円。

このココアは昨年から今年初めの段階では、店員の後ろにあるメニュー表に掲載されてはいたものの、いかんせん店員の後ろにしかメニューとして書かれていなかったため、よく見ないとココアが販売されていることすら知らずに通り過ぎてしまうことも、普通にありうるような状況でした。後述するようにとてもおいしいココアなのに、今年の初めまでは売り方が消極的過ぎたのです。

しかし、この冬は違います。サルーテは、ココアを販売していることを前面に押し出してきました。店の前に、看板が立っています。これにより、去年はサルーテでココアが販売されていることを見逃してしまった人も、見逃さずにココアを飲むことができそうです。

このサルーテのココアは、とてもおいしいです。ココアとして単純においしいだけでなく、上に乗せてくれる生クリームも、とてもおいしく、甘いものが好きな方にはたまりません。注文したときに、生クリームを乗せても良いかどうか店員に尋ねられますので、ここは1つ、満面の笑みで「お願いします」と答えましょう。こちらから断らない限り、必ず生クリームを乗せてくれます。生クリームを乗せても乗せなくても料金は変わりませんので、甘いものが好きな方は迷わず、生クリームを乗せてもらう選択をしましょう。

寒いときのココアって、おいしいですよね。舞浜の冬は、とても寒いです。東京ディズニーランドや東京ディズニーシーで、屋外のショーやパレードを長時間待つなどして頑張った方は、寒さに耐えた自分へのご褒美として、サルーテの「ほっとココア」を1杯いかがでしょうか?身体が温まり、生クリームとココアのおいしさに胸はときめき、幸せを感じることができるでしょう。特に、長時間待ったショーやパレードを心から楽しむことができたなら、その幸せも倍増です。

サルーテでは、「ほっとココア」だけでなく、「ほっと抹茶」も販売しています。私はココアだけで幸せを感じているため、抹茶には挑戦していないのですが、気にはなっています。サルーテの「ほっと抹茶」をご賞味された方がもしもいましたら、その感想をこっそり私に教えていただけると嬉しいです。

ちなみに、サルーテは、イクスピアリ1F「ザ・コートヤード」にある、グレートビーム・マーケット(フードコート)の中の一店舗。グレートビーム・マーケットには他に、チャイナ・ボウルやヌードルバー、舞浜あんぱんや舞浜カレーパンを販売しているロレイエ・ベーカリーなど、全部で八つの店舗があります。サルーテは、そのグレートビーム・マーケット全店で共通に使えるポイントカードを、発行しているお店でもあるのです。

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2006年11月13日 (月)

のだめカンタービレ

ドラマ化され、フジテレビで毎週夜9時(いわゆる「月9」の枠)から放送されている『のだめカンタービレ』の、原作漫画を読んでみました。実を言うと、私は最近まで、『のだめカンタービレ』の存在自体、ほとんど知りませんでした。しかし、巷で流行っているらしいという話を耳にし、また近しい人間から推薦もされて興味を持ったので、現在までに刊行されている単行本を1巻から16巻まで全部借りて、週末に一気に読んでみたのです。

読んでみた感想ですが、笑えるシーンが満載ですね。クセのある登場人物が揃っていて、それら登場人物たちのやり取りが、イチイチおかしいです。読む前に想像していたよりも、だいぶ面白かったです。

読んでいて、特に印象的な登場人物は、峰龍太郎。次に、黒木泰則です。峰は、単純な性格が私に似ているところがあって、真っ先に友達になれそうです。コンサートで和装をしたり、「ライジング・スター・オーケストラ」なんて名前を自分のオーケストラに付ける峰のネーミングセンスには、親近感を覚えます。私自身も、峰のようなネーミングセンスの持ち主だからです。メールではなく手紙にこだわり、文通までしていたところなど、たまらなくツボです。

「青緑」な黒木君の魅力にも、のだめと千秋がフランスに渡ってから気付きました。他にも色々なキャラクターが登場して、みんな個性的なので、読んでいて段々とハマッてしまいました。単行本の17巻が出るのがちょっと楽しみです。

私はクラシック音楽に詳しくないので、読んでいてイマイチわからない描写も時折あるのですが、それでも楽しめるということは、クラシック音楽に造詣が深ければ、もっと楽しめるのかもしれません。また、いささか単純ではありますが、読んでいてクラシック音楽についての興味が強まる部分もあります。この漫画を読まなければ、私は「ラフマニノフ」とか知らずに生きていたでしょうから。いずれにせよ、私にとって笑える場面が多い漫画であることは間違いないようです。

今日、ドラマ版も初めて視聴してみましたが、こちらもなかなか面白かったです。単行本でも特に楽しんで読んだ、学園祭のときのお話でした。

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2006年11月10日 (金)

各種ディズニー情報

東京ディズニーリゾート・オフィシャルホテルのサンルートプラザ東京で、ディズニー・アニメーションアート展が開催されます。期間は12/30~1/14で、入場無料。入れる時間は10時~21時。1/8には、ウォルト・ディズニー・アート・クラシックス社製作部門総責任者を迎えてのイベントも行われ、プレミアムフィギュアの販売もあるとか。詳しくはコチラ

同じくサンルートプラザ東京では、スペシャル特典付きの「東京ディズニーシー5周年記念宿泊プラン」が始まっています。ここでしか入手できないアニバーサリータオルが貰えるらしいです。東京ディズニーリゾートのパスポートが付いた宿泊プランです。詳しくはコチラ

またしてもサンルートプラザ。12/16からディズニー映画『ライアンを探せ!』が公開されることを記念して、各種スペシャルイベントが開催されます。11/11から、映画公開記念宿泊プランがスタート。一室につき、それぞれ一枚ずつ、『ライアンを探せ!』の映画鑑賞券とオリジナルスポーツタオルが貰えます。詳しくはコチラ

サンルートプラザ東京ではすでに、『ライアンをさがせ!』公開記念のバイキングが始まり、フォトロケーションも設置されています。

また、来年1/9~2/2の間に東京ディズニーリゾート内のホテルに宿泊される方は、東京ディズニーシーに開園時間より一時間早く入園可能なアーリーエントリーを利用できます(チェックイン日は除く)。詳しくはコチラ

今日から名古屋でも、写真展「東京ディズニーシーの世界」が始まりました。興味のある方はぜひ!詳しくはコチラ

ディズニーストアの公式ホームページに、ディズニーストア東京ディズニーリゾート店にサプライズ来店したティム・バートン監督の様子がレビューされています。詳しくはコチラ

11/22〜11/28に、ディズニーストア佐久平イオンショッピングセンター店で、「ディズニー・アート・オブ・コレクション」が開催されます。詳しくはコチラ

今月中旬にディズニーストアで発売されるミニーマウスのプラッシュは、『ディズニーランド』9月号(講談社)の「ミニーのドレスコンテスト」読者投票で総合一位になったデザインだそうです。詳しくはコチラ

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2006年11月 9日 (木)

龍馬暗殺論議における「薩摩藩黒幕説」への疑問

先日、「坂本龍馬の系譜」という記事を書いたときに、コメント欄で歴史作家の桐野作人氏に教えていただいたのですが、先週のNHK「その時歴史が動いた」で、坂本龍馬暗殺の話題が取り上げられたようです。そして、その番組内で、龍馬暗殺の黒幕に薩摩藩の存在があったという、いわゆる「薩摩藩黒幕説」を支持している人が多いという状況が放送されたようです。

私はその番組を見なかったので、一体どんな感じだったのか、ネット上を検索して少し調べてみたのですが、驚きました。思ったよりも、薩摩藩黒幕説を信じている方が多いこと多いこと。

学生時代にちょっと幕末政治史をテーマにして卒業論文を書いた程度の私でさえ、薩摩藩黒幕説には無理がありすぎると考えています。その点は、歴史研究者としても活躍されている桐野作人氏も、述べられているところです。

私なりにもっとはっきり言ってしまえば、いわゆる薩摩藩黒幕説は、1つの「説」として喧伝されていること自体がおかしいと思えるぐらい、薩摩藩黒幕説を裏付ける根拠は乏しいのです。それなのに、その根拠が薄い説を信じる方が多いらしいという現状に、改めて驚いた次第です。

私が思うに、薩摩藩黒幕説を信じる方には、次の①と②のような幕末史認識が、ほぼ共通の了解として存在しているように思います。

① 慶応3年後半の政局は、大政奉還という平和路線を推進する坂本龍馬、ないしは後藤象二郎ら土佐藩首脳と、武力討幕を推進する西郷隆盛・大久保利通ら薩摩藩の対立が激しくなっていたとする、二項対立的な認識

② 慶応3年政局において、坂本龍馬の影響力・活躍というものは他の誰よりも大きくて、武力討幕をする上で、薩摩藩の邪魔者になっていた

まず①についてですが、このような「大政奉還VS武力討幕」という図式には、古くから批判があります。例えば、歴史学者の井上勲氏は、両者を相容れない路線と捉える見方について、30年以上前から疑問を呈しています(注1)

大体、薩摩藩は大政奉還の理念そのものには賛成でした。薩摩藩にとっても、土佐藩にとっても、幕府あるいは徳川慶喜に大政奉還という選択をさせることは共通の前提事項であって、さてその後で慶喜をどうするかという部分に、意見の対立があっただけです。王政復古と新政府の樹立を急務とする点では、薩摩藩も土佐藩(龍馬を含む)も一致していました(注2)

つまり、土佐藩と薩摩藩は決定的に対立していたわけではなく、大局的に見れば、むしろ協調する姿勢を示していたのです。そういう面があったからこそ、薩摩藩と土佐藩は、共同で王政復古の政変に参加したのです。薩摩藩の西郷や大久保は、龍馬を邪魔に思うどころか、味方として認識していたはずです。

大体、「武力討幕路線の薩摩藩」と言いますが、薩摩藩の中も決して武力討幕路線で一枚岩になっていたわけではありません。中には西郷や大久保の方針に同調せず、むしろ土佐藩の動向を気にかけていた勢力も存在するのです(注3)

ありえないことではありますが、もしも西郷や大久保が、土佐藩や薩摩藩の中の武力討幕方針に同調していない者を邪魔に思うなら、薩摩藩内の反対者をどうにかするのが先決だったでしょう。西郷や大久保に反対する勢力が大きくなれば、西郷や大久保と言えども藩内での指導力を失ってしまう可能性があるのですから。薩摩藩内で指導力を失った西郷や大久保に、武力討幕ができるはずはありません。

ともあれ、西郷や大久保も、大政奉還の理念そのものには賛成です。そもそも大政奉還とはそれ自体、幕府制度を廃止させるものなのですから。むしろ、大政奉還に反対していたのは、会津藩や紀州藩、新選組など、親藩・譜代藩・幕府内の旗本などでした。それらの勢力は、大政奉還による変化を認めようとせず、あくまで従来の幕府権力の維持を画策していました(注4)

つまり、大政奉還後の政局は、薩摩藩黒幕説を支持する方が思うような、「土佐藩の大政奉還路線VS薩摩藩の武力討幕路線」という図式ではなく、「土佐藩や薩摩藩などの大政奉還支持勢力VS幕府権力の維持を主張する勢力」という図式が正しいのです。繰り返しになりますが、そのような状況で、龍馬が薩摩藩の邪魔になるはずがありません。

ここで、さきほど私が紹介した②の認識について述べます。薩摩藩黒幕説を支持される方は、坂本龍馬が大政奉還論の発案者だと誤解していないでしょうか?坂本龍馬は大政奉還論の発案者ではありません。むしろ、大政奉還論は慶応3年の時点で常識的な考え方になっていました。龍馬は、その常識となっていた考え方を、実行に移しただけなのです(注5)

そもそも、土佐藩の大政奉還運動の端緒となったとされる「船中八策」にしても、龍馬の発案ではない可能性も、最近では指摘されています(注6)。その当否については、今後の議論・研究次第ですが、慶応3年に龍馬が果たした役割については、過大評価されている面があるような気がしています。

司馬遼太郎氏の小説『竜馬がゆく』では、龍馬1人の活躍で大政奉還が実現したかのような書き方がなされていますが、史実でもそうだったのでしょうか。龍馬の活躍を否定するわけではありませんが、私は龍馬よりもむしろ、後藤象二郎の活躍が大きかったと主張したいです。龍馬は、後藤象二郎を側面から援助していたに過ぎません。

だとすれば、もしも西郷や大久保が、武力討幕の邪魔者を暗殺しようと企むのであれば、龍馬ではなく後藤を狙うのが妥当ではないでしょうか。私には、どうしても、そのように思えてならないのです。龍馬を殺して、薩摩藩にメリットがあるとは到底思えないのです。

まず、龍馬を殺したことがバレたら、薩摩藩は土佐藩に見放されるのは確実でしょう。協調も何もあったものではありません。それは、武力討幕をやりにくい状況にするだけです。そんなリスクを冒してまで龍馬を殺すメリットがあるようには思えません。

とりあえず、「薩摩藩黒幕説」を支持されている方には、一度ちゃんと幕末史の勉強をしていただきたいと思います。幕末政治史(特に慶応三年政治史)のことをある程度理解できれば、薩摩藩が龍馬を暗殺する可能性は限りなくゼロに近いということを、わかっていただけると思います。別に史料を読まなくてもいいのです。比較的新しく、まともな概説書を読むだけでいいのです。

単純に、龍馬暗殺の問題だけでも、桐野作人氏が今年、説得力のある議論で薩摩藩黒幕説を否定した論考を、発表されています。新人物往来社から発行された、今年の『歴史読本』7~9月号に掲載されています(注7)。ぜひ、それをお読みください。

この記事で書いたことは、私が龍馬暗殺論議について常々考えていることの一部です。NHKの番組で龍馬暗殺が扱われたということに触発されて、少し披露してみました。薩摩藩黒幕説には根拠がないということを、少しでも多くの方にわかっていただきたいので、今後も、龍馬暗殺に関する記事を書くことはあると思います。もしよろしければ、「注」の下に掲載した過去記事もお読みください。


1…井上勲「大政奉還運動の形成過程(一)」(『史学雑誌』81-11、1972年)を参照。
2…家近良樹『幕末政治と倒幕運動』(吉川弘文館、1995年)、高橋秀直「「『公議政体派』と薩摩倒幕派-王政復古クーデター再考-」(『京都大学文学部研究紀要』41号、2002年)を参照。
3…私はまだちゃんと読んでいませんが、最近、高橋裕文氏が薩摩藩内の武力討幕反対勢力の分析をしているようです。高橋裕文「武力倒幕方針をめぐる薩摩藩内反対派の動向」(家近良樹編『もうひとつの明治維新』有志舎、2006年)を参照。
4…例えば、新選組の近藤勇は、大政奉還という事態を歓迎せず、状況を大政奉還前に戻そうと画策していたようです。宮地正人『歴史のなかの新選組』(岩波書店、2004年)150ページ参照。
5…松浦玲『検証・龍馬伝説』(論創社、2001年)を参照。
6…松浦玲「『万機公論ニ決スヘシ』は維新後に実現されたか?」(『新・歴史群像シリーズ④ 維新創世坂本龍馬』学習研究社、2006年)を参照。詳しくは、
「「船中八策」作成に坂本龍馬が関与していない可能性」という記事をお読みください。
7…桐野作人「龍馬遭難事件の新視角-海援隊士・佐々木多門書状の再検討- 第1回・第2回・最終回」(『歴史読本』2006年7・8・9月号)

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2006年11月 7日 (火)

ディズニーのクリスマス 2006年

Photo_38今日から、東京ディズニーランド(以下、TDL)では「クリスマス・ファンタジー」、東京ディズニーシー(以下、TDS)では「ハーバーサイド・クリスマス」が始まりました。今年の東京ディズニーリゾートのクリスマスはどんな感じになっているのか、とても楽しみです。

もっとも、「ディズニー・クリスマスドリームス・オン・パレード」と「ビッグバンドビート~クリスマス・スペシャル~」は先週から始まっていて、それについての感想は、「ビッグバンドビートとドリパレのクリスマス」という記事に書きました。特に、ビッグバンドビート(BBB)は良かったです。

今日は、何らかの理由で中止にさえなっていなければ、TDLではエレクトリカルパレードのクリスマススペシャルバージョンやトウィンクル・ホリデーモーメントなどが始まり、TDSではキャンドルライト・リフレクションズやオーバー・ザ・ウェイブのクリスマスバージョンなどが始まっているはず。一体、どのようになっているのでしょうか。楽しみです。

Photo_41 ところで今年は、ディズニーストアで販売されているクリスマスグッズにも、なかなか良いものが揃っているような気がします。冒頭に掲げたグーフィーの写真や、左のチップ&デールの写真などは、その例です。ピートが描かれたグッズもあって、かなり良いことだと思います。

今月の中旬には、サンタグーフィーのビッグフィギュアも発売されるらしいです。お金に余裕があって、部屋に大きいフィギュアを置くスペースがあって、グーフィー大好きな方には、たまらないですね。ちなみに私はグーフィー大好きではありますが、残念ながら、お金と部屋に余裕がないのです。

クリスマスとは関係ない話ですが、今月の11/18はミッキーマウスの誕生日。ディズニー・チャンネルとトゥーン・ディズニーでは、チャンネルをクロスして、ミッキーの活躍するアニメを拡大放送するそうです(詳しくはコチラ)。なかには、『ギャロッピン・ガウチョ』や『ミッキーの二挺拳銃』など、貴重な短編作品の放映があるのですね。ディズニー・チャンネルやトゥーン・ディズニーに加入されている方は、チェックしてみてはいかがでしょうか。

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2006年11月 6日 (月)

ジャイアンは面白い

最近、休日など時間のあるときに、ドラえもん映画のDVDをレンタルしてきて見ることがあります。例えば、ここ2~3週間ほどで、『のび太と鉄人兵団』、『のび太と竜の騎士』、『のび太のパラレル西遊記』、『のび太の日本誕生』、『のび太のドラビアンナイト』を見ました。

ドラえもんの長編映画は元々大好きでしたが、改めて見るのは久しぶりな作品ばかりです。どの作品も楽しめたのですが、子供の頃は気付かなかった新たな魅力に気付いてしまいました。それは、ジャイアンの言動が面白いということです。

元々、普段はいじめっ子のジャイアンが、映画になると勇ましく仲間想いのいい奴に変貌することを指摘する人は少なくありませんでした。ジャイアンは、映画になるとTVとは異なる魅力を見せてくれるのです。しかし、今回気付いたジャイアンの新たな魅力は、それだけでは語れません。彼の言動を注意深く聞いていると、ときおり物凄く面白いことを言うのです。

例えば、『のび太の日本誕生』。この作品では、7万年前の中国大陸にいたククルという少年が、時空乱流に巻き込まれ、現代世界にタイムスリップしてきてしまいます。ジャイアンとスネ夫は、そのククルを、のび太の部屋で見つけました。ジャイアンはククルに何者なのか尋ねますが、当然、言葉は通じません。そこで、ジャイアンは冷静に言いました。「外人だぜ、スネ夫~」と。

相手が原始人の格好をしていようが、言葉が通じなかろうが、ジャイアンは冷静です。あくまで冷静に、自分の目の前にいるククルが言葉の通じない外人であることを認識し、さして驚くこともなく、対策をスネ夫に相談するのです。

この場面、昔見たときは別に何とも感じなかったのですが、今回は妙に面白く感じてしまい、笑ってしまいました。ジャイアンの冷静かつ素直な言動が、私のツボにはまったのです。

その後、ククルはドラえもんたちに、自分の村が「暗闇族」と呼ばれる連中に襲撃されたことを語ります(このとき、すでに「翻訳こんにゃく・お味噌味」で言葉が通じる状態)。それを聞いたジャイアンは、ククルに詰め寄ります。「何で戦わないんだ、その真っ暗族と!!」。ここでスネ夫は、「ジャイアン、暗闇族」と冷静にツッコミます。このやり取りが、また面白いのです。

また、7万前の日本で空を飛びまわるトキの群れを見たスネ夫は、「これが20世紀にはほとんど絶滅しちゃうんだもんね」と言います。それへのジャイアンの応答は、真顔で「残念だなぁ」と言うことでした。ジャイアンの真顔が笑えます。

『のび太のパラレル西遊記』では