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2006年10月18日 (水)

公武合体体制

幕末維新史研究においては、幕末期を単に明治への過渡期と見るのではなく、日本が近代的統一国家として成立するための重要な時期だったとして、積極的に評価する研究の方向が存在します。

その観点から歴史家の大久保利謙氏は、「幕藩体制」と「明治政府」との間に「幕末政治」期を設定する必要があると考え、老中・阿部正弘以降の幕末期の政治体制を「公武合体体制」という概念で捉えることを提唱しました。

大久保氏が「公武合体体制」という概念を提唱したのは、「幕末政治と政権委任問題‐大政奉還の研究序説‐」という論文においてです。その論文は最初、立教大学史学会が発行する『史苑』第20巻第1号(1959年)に収録され、その後、補訂された上で『論集日本歴史8 幕藩体制Ⅱ』(有精堂、1973年)に再録され、『大久保利謙歴史著作集1 明治維新の政治過程』(吉川弘文館、1986年)にも収録されました。

大久保氏は「公武合体体制」について、以下のように述べています。長いですが、引用してみます。なお、引用は『論集日本歴史8 幕藩体制Ⅱ』から、赤文字で行います。

「公」が朝廷であることはいうまでもないが、「武」についてはいささか説明を要する。「武」は、幕府のみならず武家全般をさすのであるが、幕末政局で幕府に対立して一方の政治的な勢力となったのは、いわゆる雄藩である。そこで「武」は「幕府」と雄藩にわけて、両者をそれぞれ、勢力の中心としなければならない。その他にも二百余の諸藩があったので、譜代あり、外様ありその数も多いが、譜代はだいたい幕府の勢に追従し、外様には去就の明らかでないものが多かった。そこでこの体制は、朝廷(公)―幕府(武)―諸雄藩(武)の三勢力のバランスオブパワーとして出現したものであり、したがって幕末の政局はこのバランスの推移ないしその質的の変動の過程で、結局それが一旦慶応三年十月の大政奉還へと帰着したものと考えるのである。幕藩の政治体制が幕府を頂点とする将軍―譜大名の上下の力関係であったのに対して、この体制は三勢力の横の連繋的関係であるという対照があり、両者は政治体制として、その構成において前後の段階を劃している。そしてこの公武合体の政治体制は幕府が独裁的地位を放棄し諸勢力と横の連繋によって連合政権的なものへすすむ方向をとったから、この体制は方式として合議制の政体ということになる。
(『論集日本歴史8 幕藩体制Ⅱ』288~289ページ)

大久保氏が提唱した「公武合体体制」という概念は、幕末維新史研究に結構な影響を与えたようで、その概念を借用する研究者もいます。田中彰氏はその代表格で、例えば『岩波講座日本歴史 近世5』(岩波書店、1977年)に収録された「幕府の倒壊」という論文では、大久保氏が提示した「公武合体体制」の概念を全面的に肯定した上で叙述を進めています。なお、田中氏の「幕府の倒壊」は、田中彰氏の著書『幕末維新史の研究』(吉川弘文館、1996年)に再録されています。

ただし、大久保氏や田中氏のように、幕末期全体を「公武合体体制」と呼ぶことにについては、三谷博氏の批判があります。以下に、青文字で引用します。

幕末のように、始期と終期で政治構造がかなり変動した時代を、全体として「体制」と呼ぶのは無理があり、相対的に安定した関係が存在した時期に限定して用いるべきであろう。(三谷博『明治維新とナショナリズム』284ページ)

三谷氏は、元治元年(1864)、将軍の上洛を機に成立した政治体制を「公武合体体制」と呼んでいます。一会桑と中川宮朝彦親王と二条関白を媒介に、幕府と朝廷が協調して政治秩序の保守にあたった時期を、三谷氏は「公武合体体制」と呼んだのです。

原口清氏は、また別の意味で「公武合体体制」という用語を使用しています。原口氏の見解を、以下に緑文字で引用します。

幕藩体制は、これを公武関係という特定の側面からみる場合には、本来的に、公武合体体制ということができよう。本来的な公武合体体制は、幕府が、表面的には朝廷を尊崇しながらも、実質的には禁中並公家諸法度その他の諸法規を通じて完全に公家を統制下におく幕主朝従の形態をとっており、また諸侯は将軍=譜代大名の幕府権力の独占下において完全にその統制下におかれ、朝廷への接近は堅く禁じられていたのだから、公武関係は現実には朝廷と幕府との二者間においてのみ存在し、諸侯はその間に介入する余地はなかった。
(原口清「参預考」『名城商学』第45巻第1号、118ページ)

原口氏は大久保氏や田中氏と違い、「幕藩体制」が幕末になって「公武合体体制」に変わるのではなく、「幕藩体制」と「公武合体体制」は次元を異にして並存していたと捉えたのです。それが、原口氏の言う本来的な公武合体体制です。幕末期にはむしろ、その公武合体体制の枠組みが崩れ、再編公武合体体制の構想が新しい国是樹立の問題として浮上してきたのだと認識しています。原口氏の提示する公武合体体制の概念に賛意を表する研究者としては、白石烈氏が挙げられます。

以上ご紹介したように、「公武合体体制」という用語の使い方には研究者によってバラつきがあります。その使い方だけでも、各研究者が幕末史をどのように考えているのかがわかる場合があるということだけ、まとめとして述べておきます。

<参考文献>
・大久保利謙「幕末政治と政権委任問題‐大政奉還の研究序説‐」『歴苑』第20巻第1号、1959年(のち、『論集日本歴史8 幕藩体制Ⅱ』有精堂、1973年、および『大久保利謙歴史著作集1 明治維新の政治過程』吉川弘文館、1986年に再録)
・後藤致人「『孝明新政府』における新選組の位置」『歴史読本』第49巻第3号、2004年
・白石烈「『公武合体』をめぐる会津藩の政治活動」『史学研究』第235号、2002年
・田中彰「幕府の倒壊」『岩波講座日本歴史 近世5』岩波書店、1977年(のち、田中彰『幕末維新史の研究』吉川弘文館、1996年に再録)
・田中彰『日本の歴史15 開国と倒幕』集英社、1992年
・原口清「参預考」『名城商学』第45巻第1号、1995年
・三谷博『明治維新とナショナリズム』山川出版社、1997年

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