幕末の有志大名
幕末史においては、しばしば「有志大名」という用語が使用されます。「有志大名」と呼ばれる大名、もしくは大名に準じる地位の人々としては、例えば水戸の徳川斉昭、薩摩の島津斉彬・島津久光、越前の松平春嶽(慶永)、宇和島の伊達宗城、土佐の山内容堂(豊信)、尾張の徳川慶勝などを挙げることができるでしょう。
私が「有志大名」の代表例として挙げた上記の諸侯たちを、「名君」と呼ぶ研究者もいます。一般的には、「有志大名」という用語よりも「名君」という言葉の方が、馴染み深いでしょう。ですから、島津斉彬や松平春嶽たちのことを「有志大名」ではなく「名君」と呼ぶ人が少なくないのも、理解できる気はします。
ところが、島津斉彬や松平春嶽たちは決して「名君」と呼ばれるべき存在ではなく、「有志大名」と呼称される方がふさわしい存在だと主張している歴史家もいます。その代表例が、『王政復古』(中公新書、1991年)という著書を持つ井上勲氏。井上氏の『王政復古』を読んだ方なら、その著書の中で井上氏が、「名君」と「有志大名」の違いについて論じていることはご存知でしょう。
そもそも井上氏が、漠然と使われがちな「有志大名」という概念を、明確に定義付けて使用し始めたのは、『王政復古』の出版よりも20数年前。1966年に発行された『史学雑誌』第75編第3号に掲載された、「長州藩尊攘運動の思想と構造」という論文(正確には研究ノート)においてでした。この記事では、井上氏が「長州藩尊攘運動の思想と構造」という論文の中で提唱した、「有志大名」の概念について、詳しく紹介してみたいと思います。
「長州藩尊攘運動の思想と構造」の「第三節 3 B 有志大名論-仮説的提唱として-」と題された部分において、井上氏は、「有志大名たりうる条件」(井上氏の論文からの引用は赤文字で行います、以下も一部の例外を除いて同じ)として、7つの条件を提示しています。以下の7つの条件を満たす大名が、井上氏の言う「有志大名」に分類されることになります。
(1) 問題関心の、対外問題あるいは対中央政局といった、全国的問題への志向。
(2) (1)を実質的ささえうるだけの能力。及び状況分析枠への自信。藩内の統合能力。
(3) 他の藩主との個人的接触。
(4) 幕府首脳との個人的接触。
(5) 朝廷内部の者との個人的接触。
(6) 藩主もしくはこれに準ずる資質。
(7) 主として、親藩・外様大名。
以上が、井上氏が「有志大名たりうる条件」として指摘したものです。井上氏によれば、「(1)(2)は個人的内包的能力に於て、(3)(4)(5)は個人的外延能力に於て、(6)(7)は前提条件として、有志大名を考えるメルクマールとなる」とのことです。
(1)について、これの有無によって「名君」と「有志大名」を区別することができると、井上氏は述べています。つまり、「名君」と呼ばれる江戸初期および中期の大名は、藩内統治のみに没頭し、中央政局に積極的に進出しようとする志向がない、その点で「有志大名」とは異なるのだということです。
(2)については言うまでもないような条件ですが、自己の態度決定を藤田東湖や橋本左内などの有能な家臣に求めたからといって、それが有志大名たる性格を損なうものにはならないとのことです。
(5)は「自らを自らの手で正統化できうる資質」であり、(7)は「公式的には幕政に参与できない親藩・外様と幕閣になりうる譜代とは、運動形態に於て、ちがいがあるという意味に於て一つのメルクマールとなりうる」とのことです。
井上氏はさらに、(3)(4)(5)の条件について、以下に引用するような詳しい説明を加えています。引用文中、傍点がふってある箇所がありますので、その部分について赤文字ではなく、青文字で引用してみたいと思います。
藩もしくは藩主が中央政局に介入して、中央政局を一定の方向に誘導するためには、中央政局を構成する多元的な政治勢力の中から情報をえること、及び藩論を国論レベルにまで引きあげることが必要なのである。しかし、全国的問題そのものが、制度化された解決ルールを欠如していたから情報収集と国論操作とを、ともに自らの手で、非制度的に行わなければならなかった。そして有志大名の場合、情報収集の役目は、藩の情報機関を用いるとともに、(3)(4)(5)がそれをひきうけ、国論操作は(4)(5)がひきうける。松平慶永や山内豊信が前藩主でありながらも、藩主を差置いて、中央政局に活躍しえたのも、(3)(4)(5)の条件を彼らがもっていたにほかならない。
以上の説明をした上で、井上氏は、長州藩主・毛利敬親は、特に(2)(4)(5)の点で有志大名としての条件を欠如していたと指摘しています。そのため、長州藩の中央政局への介入は、陪臣の長井雅楽が有志大名的役割を担うという特異な形態になりました。「長井は、(2)(6)を藩主の信頼と自己の才望によって、(3)(4)(5)を彼の個人的入説(=国論操作)と直目付たる役職(=情報収集)によって補おうとしたが、それは自から限界があった」とのことです。
長井の失脚後、長州藩の情報収集と国論操作の役割を担ったのは、言うまでもなく尊王攘夷派と呼ばれる者たちです。「しかし、尊攘派と有志大名とは、その情報源、国論操作の形態、イデオロギー、社会的存在形態のちがいにより、運動形態も異ってくる」のです。
井上氏の「長州藩尊攘運動の思想と構造」という論文は、タイトルにもあるとおり、基本的に長州藩の尊攘派の分析を試みたもの。しかし、「有志大名」についての定義付けを明確にして、「有志大名」が存在する薩摩藩や土佐藩と対比させることによって、「有志大名」不在の長州藩の立場をより鮮明にする効果を井上氏は狙ったわけですね。井上氏の言葉を借りれば、「有志大名の不在という、かなり偶然的な条件が、幕末長州藩を方向づけた、一つの条件」ということになります。
とりあえず私は、井上氏の意見に従って、幕末の中央政局で活躍した大名たちのことを、「名君」ではなく「有志大名」と呼称することにしています。
これは余談ながら、「長州藩尊攘運動の思想と構造」という論文は、井上氏の卒業論文を再構成したものだそうです。井上氏を指導した先生は、『明治初年条約改正史の研究』(吉川弘文館、1962年)などの著書がある下村富士男氏、および『江戸時代とはなにか』(岩波書店、1993年)などの著書がある尾藤正英氏。指導してくれた先輩が、『「死の跳躍」を越えて』(都市出版、1993年)などの著書がある佐藤誠三郎氏と、『昭和初期政治史研究』(東京大学出版会、1969年)などの著書がある伊藤隆氏だということです。今から思えば、井上氏が卒業論文を書いたときの東京大学(井上氏は東京大学出身)は、何とも豪華な環境だったのだなと感じます
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コメント
どうもtera-jiです。
M1のとき学習院にミーハー心で井上先生の史料読解ゼミを聴きに行ったことがありますけど、とにかく該博な先生です。…なんていうか「ああ、これが人文科学者なんだな」と(笑)。
しかしただの「もの知り」ってわけでもないんですよね。僕は昔、エライ先生の言葉の端々にいきなり哲学者の言葉がポッとでてくるぐらいのが教養と勘違いしてました。どうも最近はそうじゃなくて、井上先生なりの教養の結果として、ある問題に接したとき、哲学でも史学でも、たまたまそこにふさわしいカケラをカチッとそこに嵌め込んで考えるような感じとでもいえばいいんでしょうか。
幕末史を語る際には「吾妻鏡」を引き合いにだし(『アエラムック幕末史がわかる』)、たしか『日本歴史』には古代史でエッセーを書き…ついでに遣唐使の墓誌を読み解いたりして、「僕はあれは辞世の句だと思うんですけど…みなさんどうですか?」などといわれましても(^_^;)
そうやって維新史を前近代からの蓄積として視ることができる数すくない方であり、また端々に哲学的な素養を感じるので、あんなふうになにかにとらわれずに自由にものを考えられるのは憧れですね・・・反面、どこまで本当かは留保されるところですが。
ちなみに、『日本史文献事典』での自著解説も、「ハハーッ!m(_ _)m」という感じで味わい深いです。
井上先生は学部当時、井上光貞・佐藤進一・尾藤正英というホントに錚々たる学者のゼミを履修していたと聞くだけで、ため息ものです。このお三方も超越的な存在ですね、、、中大つながりでいえば佐藤さんの『花押を読む』は一種の通史ですし。おそろしい。。。
投稿 | 2006年10月 5日 (木) 15時31分
東京大学の、運動したかった。
ですからきょう内蔵太が出版するつもりだった。
しかしきょう内蔵太は越前まで東京大学は有志へ志向しないです。
投稿 BlogPetの内蔵太 | 2006年10月 5日 (木) 18時28分
>tera-jiさん
コメント、ありがとうございます。
tera-jiさんはさすがに「公議」の問題を研究なさっているだけあって、井上勲氏にもお詳しいですね。
そうですねぇ、井上勲氏の話は私も生で聴いたことがありますが、該博な方ですよね。tera-jiさんがおっしゃるように、ただ知識が豊富というだけではなくて、色々な問題に対して持っている知識をフル活用して思わず「なるほど!」と思ってしまうような話を展開し、あるいはわかりやすいだけではなく面白い例え話を駆使してくださったり。
『日本歴史』の古代史のエッセーというのは、「良香の風景」という文章ですよね。あまり内容は覚えていないのですが、「日本史上の人物と史料」という特集で、他の執筆者の方々は自分の専門に関わるような人物を挙げているのに、井上氏は自分の専門とは全然関係ない古代史のことを語っていて、びっくりしたことだけは覚えています。
まぁ、前近代の知識があそこまで豊富な近代史研究者というのも、珍しいですよね。同時に、凄いです。確かに、だからと言って井上氏が主張していることがすべて正しいかと言えば、決してそんなことはないでしょうけどね。
井上光貞・佐藤進一・尾藤正英…つくづく凄い学問環境ですよね。
投稿 パルティアホースカラー | 2006年10月 5日 (木) 19時36分
どうも、来栖です。
「有志大名」という用語、非常に適切な用語であると思います。「名君」ですと、どうしてもその語を使用する者の主観というか評価が入っている印象を受けます。「有志大名」ですと、あくまでその大名or大名的人物が「志」を持っていたかどうかが重要な基準となりますので、「名君」よりも主観が排除された印象を受けます。
また「志士」の大名版であるとも認識できますので、幕末という時代にマッチした用語であると思います。
井上勲の「長州藩尊攘運動の思想と構造」は残念ながら未読です。パルティアホースカラーさんの説明を読む限りでは、数学的とでも言うべき明確な定義の展開で、今まで漠然と認識していたものが具体的に数式化されたような印象さえ受けます。
歴史家が書いたロマン巨編とでも形容すべき大河小説的要素を『王政復古』から感じ取っていた私としては、こういった数学的でも言うべき歴史解析も自在にこなす井上氏の引き出しの多さに感嘆した次第です。
>伊藤隆氏だということです。
これは、大変ビックリしました。
投稿 来栖ムツキ | 2006年10月13日 (金) 23時07分
>来栖ムツキさん
コメント、どうもありがとうございます。
「有志大名」という用語は、私も「名君」と呼ぶよりも適切だと思っています。「名君」という呼称には、その呼称で呼ばれた人が優れているという認識があるわけですしね。優れているか否かはともかくとして、中央政局に対して強い「志」を持っている大名を「有志大名」と呼ぶのは私もいいと思います。
井上勲氏が提示した「有志大名」の定義は、確か田中彰氏も論文の中で借用していました。「長州藩尊攘運動の思想と構造」は『王政復古』の出版よりも20年以上前の論文なので、井上氏の叙述スタイルや分析方法に色々違いがあって、面白いです。そのため、確かに引き出しの多さは実感しますね。同時に、『王政復古』という力作が生まれたのは、「長州藩尊攘運動の思想と構造」を始めとする論文の積み重ねがあってのことだとも感じます。
伊藤隆氏はちょっとびっくりですよね。世代的に、大学(大学院)の先輩・後輩の関係になるらしいのですよ。
投稿 パルティアホースカラー | 2006年10月14日 (土) 12時28分