網野善彦と皇太子・徳仁親王
建国記念の日に歴史家の故・網野善彦氏を取り上げると、なかには反発心を感じる人もいるかもしれません。何故かと言えば、網野氏は生前、以下に引用するような主張を方々で述べられていた歴史家だからです(網野氏の著書からの引用は、青文字で行います)。
この法律(国旗・国家法―管理人注)は、二月十一日という戦前の紀元節、神武天皇の即位の日というまったくの架空の日を「建国記念の日」と定める国家の、国旗・国家を法制化したのであり、いかに解釈を変えようと、これが戦前の日の丸・君が代と基本的に異なるものでないことは明白な事実である。このように虚偽に立脚した国家を象徴し、讃えることを法の名の下で定めたのが、この国旗・国家法であり、虚構の国を「愛する」ことなど私には不可能である。それゆえ、私はこの法に従うことを固く拒否する。
しかし「日本」という国号、国の名前がいつ定まり、「天皇」という王の称号がいつ公的にきまったかについては(中略)大方の見解は七世紀末、六八九年に施行された飛鳥浄御原令とするが、それと異なる見解にしても七世紀半ばを遡らず、八世紀初頭を下らない。「日本」はこのときはじめて地球上に現れたのであり、それ以前には日本も日本人も存在しない。(中略)それゆえ、「日本国」の「建国」をもしも問題にするならば、この国号の定まった時点にするのが事実に即して当然 (網野善彦『日本の歴史00 「日本」とは何か』講談社、2000年、20~21ページ)
強調しておきたいのは、「日本人」という語は日本国の国制の下にある人間集団をさす言葉であり、この言葉の意味はそれ以上でもそれ以下でもないということである。「日本」が地名ではなく、特定の時点で、特定の意味をこめて、特定の人々の定めた国家の名前―国号である以上、これは当然のことと私は考える。それゆえ、日本国の成立・出現以前には、日本も日本人も存在せず、その国制の外にある人々は日本人ではない。(『日本の歴史00 「日本」とは何か』87ページ)
「日本」が国名であることを意識せず、頭から地名として扱い、弥生人、縄文人はもとより旧石器時代人にまで「日本」を遡らせて「日本人」「日本文化」を論ずることも、ふつうに行われているが、これは「日本」が始めもあれば終りもあり、またその範囲も固定していない歴史的存在であることを意識の外に置くことによって、現代日本人の自己認識を著しくゆがめ、曖昧模糊たるものにしているといわなくてはならない。 (『日本の歴史00 「日本」とは何か』344ページ)
上記のような網野氏の主張に対し、絶対に認められない(認めたくない)という人もいれば、全面的に賛成という人もいるでしょうし、言いたいことは何となくわかるけれど心情的に同意できないとか、そこまで厳密に考える必要はないと感じる人もいるかもしれません。しかし、「日本」というものについて考えるときに、網野氏の上記の主張は、賛成であれ反対であれ、一考に価するものだと思います。そう思ったので、反発心を感じる人もいるであろうことを予想しつつも、あえて網野氏の見解を建国記念の日に取り上げました。
網野氏の主張の是非はともかく、彼がもしも今も生きていたら、皇位継承問題などで積極的な発言をされたのだろうと思います。特に、「神武天皇以来2600年続いている」男系の血筋を絶えさせるべきではないと主張する勢力(恐らく、多くの歴史家と相容れない勢力)に対して、いかなる批判を展開したか、個人的に興味のあるところです。
ところで、そんな網野善彦氏が、さきほど長々と引用した著書『日本の歴史00 「日本」とは何か』の中で、現在の皇太子・徳仁親王のことを、「堅実な学風を持つ日本中世史家」(同書116ページ)と、好意的とも受け取れる言葉で評価しています。
もしかしたら知らない人もいるかもしれませんが、皇太子・徳仁親王は、歴史研究に深く携わり、現在でも学習院大学史料館客員研究員として、精力的に論文を発表している歴史研究者です。専門は日本中世の交通史・流通史。
その点で、歴史好きな私は皇太子に親しみを感じているのですが、それはともかく、皇太子・徳仁親王の代表的な論文には例えば、「忘れられた車図--陽明文庫所蔵『納言大将車絵様』および『車絵』について」(『学習院大学史料館紀要』第12号、2003年。木村真美子氏との共同執筆)、「室町前中期の兵庫関の二、三の問題」(『中世日本の諸相』下巻、吉川弘文館、1989年)などがあります。
網野善彦氏に「堅実な学風」と評され、現在でも精力的に歴史研究を進めている(最新の論文は上記の2003年のもの)皇太子・徳仁親王は、「神武天皇以来2600年続いている」男系の血筋云々という主張に対して、本音の部分ではどう思っているのか、非常に興味があります。また、もしも聞くことができるならば、自身の「皇太子」という立場についてもどう思っているのか、聞いてみたいです。
徳仁親王には、学生時代に英国のオックスフォードに留学した際の体験を綴った、『テムズとともに‐英国の二年間‐』(学習院教養新書、1993年)という著書があるのですが、その著書を読んでいると、自身が置かれている立場についてどのように思っているのか、率直な気持ちを聞きたいという気持ちがますます高まってしまいます。
例えば、英国で初めて「ディスコ」というものを体験した徳仁親王は、『テムズとともに』の中で、次のように述べています(『テムズとともに』の引用は赤文字で行います)。
女子学生と向かい合って踊ったりしたので、退屈するようなこともなかった。ディスコを後にしたのは夜中の二時を回っていた。私にとって生涯最初で最後のディスコであったかも知れない。(『テムズとともに』102ページ)
また、徳仁親王はオックスフォードでテムズ川の水上交通史について研究し、また本来の専門が日本中世の交通史であることは先ほど述べました。では、何故それらのテーマを選んだかについて述べた次の言葉は、かなり印象深いです。
そもそも私は、幼少の頃から交通の媒介となる「道」についてたいへん興味があった。ことに、外に出たくともままならない私の立場では、たとえ赤坂御用地の中を歩くにしても、道を通ることにより、今までまったく知らない世界に旅立つことができたわけである。私にとって、道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割を担っていたといえよう。(『テムズとともに』150ページ)
そして、留学期間を終える直前のときの心境を、徳仁親王は次のように記しています。
再びオックスフォードを訪れる時は、今のように自由な一学生としてこの町を見て回ることはできないであろう。おそらく町そのものは今後も変わらないが、変わるのは自分の立場であろうなどと考えると、妙な焦燥感におそわれ、いっそこのまま時間が止まってくれたらなどと考えてしまう。(『テムズとともに』211~212ページ)
上記のような文章を読んだ後、また、歴史家としての面を持っていることも考慮するとなおさら、皇太子・徳仁親王は自身の立場や皇位継承問題について一体どう考えているのだろうなぁと、つい思ってしまいます。
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コメント
『テムズとともに』、実に懐かしいです。
私も読みましたが、皇太子の飾らない人柄と思慮深い面がダイレクトに伝わってきたのと同時に、ダイレクトに伝わって来るという事自体にある種の驚きがあったのを覚えています。
それだけ、率直な内容であったということですね。
変な言い方かもしれませんが、「皇族も人の子」ということでしょうか。
網野善彦については、彼の著作・発言を全て知るわけではありませんが、私にとっては「なるほど!あんたは凄い!」と思う時と、「アホか?」と思う時がある人物です。
「日本」、「日本人」の定義については、私は網野氏とちょっと意見が違います。しかし、"「日本国」の「建国」をもしも問題にするならば"という言い回しには好感を持ちます。何故なら、日本に建国記念日があるのは変だと思っているからです。
投稿 来栖ムツキ | 2006年2月12日 (日) 00時24分
>来栖ムツキさん
コメント、どうもありがとうございます。
来栖ムツキさんも『テムズとともに』を読まれていましたか。あの本は、皇太子の人柄が伝わってきて、いいですね。確かに率直ですし、「皇族も人の子」という意見に同感です。
網野氏について、「なるほど!あんたは凄い!」と思うときと「アホか?」と思うときがあるという気持ちは、何となくわかります。私も、思わず唸ってしまうときと、そこまで言い切れるのかなぁと感じるときがありますから。
日本に建国記念日があるのは変と思う気持ちに、私も同感ですよ。
投稿 パルティアホースカラー | 2006年2月12日 (日) 09時02分