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2005年12月30日 (金)

会沢安「迪彜篇」

水戸学と言えば、幕末の尊王論の火付け役となった学問として知られていますが、同時に徳川将軍家が全国統治を行っている幕藩体制を擁護する論理をも持っていたことは、しばしば見過ごされます。

そんな水戸学の、幕藩体制擁護の側面は、「新論」の作者として知られる会沢安(正志斎)の、「新論」とは別の著述「迪彜篇」(「てきいへん」と読む)の中の一節に、端的に表れています。その部分を引用してみようと思うのですが、その前に、あまり知られていないと思われる「迪彜篇」について若干の解説を。

「迪彜篇」は水戸藩士・会沢安が天保4(1833)年に著述し、天保14(1843)年に刊行されました。「迪彜篇」というタイトルは、彜(=常)の教え(日常生活の規範となる道徳の教え)によって、人々を迪(=導)くために書かれた書を意味しています。その「迪彜篇」の中で、当時の幕藩体制下の三つの忠誠対象である天皇・将軍・藩主について、次のような論理が展開されています(引用は青文字部分)。引用は、塚本勝義訳註『新論・迪彜篇』(岩波文庫、1931年)から行いました。

天子は天工に代りて天業を弘め給ふ。幕府は天朝を佐けて天下を統御せらる。邦君はみな天朝の藩屏にして、幕府の政令を其の國國に布く。是が臣民たらん者、各々其の邦君の命に從ふは、即ち幕府の政令に從ふの理にて、天朝を仰ぎ、天祖に報い奉るの道なり。その理易簡にして、其の道明白なり。(『新論・迪彜篇』267ページ)

天子」は天皇、「天朝」は朝廷、「邦君」は藩主だと思っていただければ、意味がわかりやすくなるかと思います。ここで会沢が述べている論理に従えば、自分の藩の藩主の命令に従うことが、幕府の命令に従うことにもなり、それが天皇・朝廷のためにもなるのだということになります。

会沢によれば、藩主への忠誠が、そのまま天皇への忠誠につながります。それが、水戸学の言う尊王です。ここでは、藩主の存在と将軍・幕府の存在が丸ごと肯定されていることが重要でしょう。

会沢は尊王論を唱えたというイメージが強いですが、尊王論と同時に、幕府が全国統治を行っているという現存の秩序を擁護しようとしていたことを、見過ごすべきではないと思います。

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コメント

 私もそれほど詳しいわけではありませんが、最初の頃の水戸学はまさに「幕藩体制を擁護する論理」の面が強かったように思えます。
 しかし、基本的に水戸学は水戸という徳川御三家の中の「外様」とでもいうべき所から興された学問であるという宿命から逃れらることが出来なかった思想であるとも解釈しています。
つまり、御三家・御三卿の中の「外様」であるがゆえに、徳川絶対主義になることが出来なかった宿命とでも言うのでしょうか。徳川の擁護は出来ても、「徳川絶対主義になれない徳川」で在り続けたからこそ、真の「外様」である長州の志士などにも影響を与えたのだと思います。
 もし、水戸からもっと早く将軍が出ていれば、それが水戸学へも影響を与えたのではないかと推測します。将軍になれない「外様」、国政に参加できない「外様」。除外された者同志が自らの存在意義を求めて奇妙に結びついたのが幕末だったのかもしれません。

投稿 来栖ムツキ | 2005年12月31日 (土) 00時27分

>来栖ムツキさん

コメント、どうもありがとうございます。

水戸徳川家は確かに、血筋の点で将軍家に一番遠いので、徳川家の中では「外様」と言える立場ですよね。それは水戸学に限らず、幕末の水戸を考える上で重要な視点だと思います。

そして、だからこそ水戸学は長州などにも受け入れられたという意見にも同感です。

投稿 パルティアホースカラー | 2006年1月 2日 (月) 23時36分

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