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2005年11月10日 (木)

松浦玲「民間『浪士』と維新期の『改革』」

藤原書店が発行している雑誌『環』の13号(2003年)は、「今、「明治維新」を問う」という特集を組みました。

その『環』13号には、藤田覚「近世天皇の政治的君主化とその限界―孝明天皇」や、菊池勇夫「北方史を縛る国家意識」、源了圓「熊本実学派と大久保利通―明治維新における中央と地方」、笠原英彦「明治官僚制の成立」、松尾正人「廃藩置県断行と府県政」、子安宣邦「だれが維新を語るのか」、吉田俊純「水戸学と明治維新」、鬼頭宏「歴史人口学からみた幕末維新期の日本」などなどの、興味深い論稿が多数収録されています。

そして、『環』13号には、松浦玲氏の、「民間『浪士』と維新期の『改革』」という論稿も収録されているのです。松浦氏の論稿は、以下の青文字の言葉から始まります。青文字部分が松浦氏の論稿からの引用です。

浪人と浪士は違うというところから始めたい。ただし違うと言っても、犬と猫、ヒトとゴリラのような厳然とした種別があるわけではない。浪人と浪士はしばしば全く同じ意味に使われる。同一人物が浪人と呼ばれたり浪士と書かれたりする。そういうところへ強いて区分を持込むのだから無理無体な話だけれども、幕末維新期の史料を見ていると、ここは浪人ではなくて浪士だなと特別に目印を付けておきたい気分が生じることがある。

松浦氏は、特別に「浪士」だなと目印をつけておきたい好例が、文久2(1862)年の幕府による「浪士」募集だと言います。清河八郎が絡み、近藤勇・土方歳三・沖田総司や芹沢鴨も応募した、新選組ファンにはお馴染みの「浪士」募集のことです(浪士組が上洛するのは文久3年)。そして松浦氏は、「『牢人』の系譜を引く『浪人』には不本意に禄を離れ再仕官を求めるというイメージが強烈だけれども、『浪士』の語にはその色が薄い。『浪士』には仕官とは別の目的を持って行動中という響きがあり、出身は武家も武家以外も含む」という意見を述べておられます。松浦氏によれば、近藤勇や土方歳三も、「禄を離れた『牢人(浪人)』ではないけれども『浪士』だった」とのことです。

松浦氏の意見は、かなり面白いと思います。実際、「浪人」と「浪士」という言葉は特に厳密な違いを考えることなく混用してしまう場合が多い(幕末当時の人も)ですが、松浦氏の言うように、「仕官」と絡めて考えるとだいぶイメージが変わってくるような気がします。松浦氏の意見に従えば、例えば仕官とは別の理由で脱藩して活動した坂本龍馬や中岡慎太郎は「浪士」であって「浪人」ではないということになりますよね。

松浦氏が「民間『浪士』と維新期の『改革』」という論稿で示した論点や見解は、松浦氏の著書『新選組』(岩波新書、2003年)にも十分に活かされています。松浦氏の『新選組』を愛読されている方は、この論稿も併せて読まれてはいかがでしょうか。

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受信: 2005年11月10日 (木) 09時36分

コメント

これは新選組愛好者としては読まねばならぬモノですな!新選組の本を出した松浦玲も宮地正人も、新選組、特に近藤の志士的要素というものに留意してますね。
実は、こういう見方をする研究者は今まで少なかったように思えます。しかし、私は自分のサイトのブログにも以前に書いたのですが、明治期に記録された史談会での旧幕臣の新選組話にも、新選組を志士的な浪士集団であるとしているものがあるのですよ。この旧幕臣は実際に新選組と接触した経験があり、一方で新徴組とも関わりがあったため、両者を比較して、新選組が新徴組より志士集団的性格が強かったことを語っています。
松浦玲はさすがに新選組の本を出しただけあって、彼らに「士」の部分があることを認めているのですね。何をして「人」が「士」になるのかという部分への拘りは、さすが思想史をやっている研究者らしいな、と思いました。
どうにか、読めるように手を尽くしたいと思います。御紹介、ありがとうございました。

投稿 来栖ムツキ | 2005年11月10日 (木) 22時50分

> 来栖ムツキさん

コメント、ありがとうございます!!
「読まねばならぬモノ」ですか(笑)。そう思っていただける方がいるならば、紹介した甲斐があったというものですので、嬉しく思います。
近藤の志士要素というのは、確かに松浦さんや宮地さんが言うまであまり指摘している人を見かけたことがありませんね。それが、近藤が軽視されていたことと関係しているのでしょうね。むしろ幕末当時の人のほうが新選組を志士的集団と捉えているのは面白いですね。
『環』という雑誌は必ずしも学術雑誌というわけではないので、置いてある書店もあると思います。所蔵している図書館もあるかもしれません。どうしても見つからない場合は、藤原書店のサイトから注文できるようですので、そちらを利用してみてはいかがでしょうか。

投稿 パルティアホースカラー | 2005年11月11日 (金) 00時23分

 御紹介の『環』13号の松浦論稿を読みました。パルティアホースカラーさんには本当に感謝です。論旨も実に松浦玲らしいし、彼のこだわる部分に非常に共感出来るので、これは「読んでよかった!」と実感した論稿でした。
 個人的には藤田覚の論稿も良かったです。論旨自体は彼の『幕末の天皇』とあまり変わりありませんが、松浦論稿とある意味、対になっているというか、前近代の身分制というものの問題点を改めて考えさせられましたね。

投稿 来栖ムツキ | 2005年12月 1日 (木) 00時01分

>来栖ムツキさん

コメント、どうもありがとうございます。
そんなに感謝していただけると逆に恐縮ですが、喜んでもらえたなら良かったです。紹介した甲斐がありました。

藤田さんのは、以前に一度読んで以来読んでいないのですが、確かに『幕末の天皇』と同じような論旨だったと記憶しています。でも、藤田さんも面白いですよね。
前近代の身分制、なかなか難しい問題ですよね。でも、来栖ムツキさんがそういう問題を考える上で刺激を得られた、もしくは参考になったのであれば、紹介して良かったです。

投稿 パルティアホースカラー | 2005年12月 1日 (木) 20時42分

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