一会桑政権に最初に注目した研究の紹介‐井上勲「将軍空位時代の政治史」‐
一会桑政権ないし一会桑権力とは、禁裏守衛総督兼摂海防禦指揮の一橋慶喜(徳川慶喜)、京都守護職の会津藩主・松平容保、京都所司代の桑名藩主・松平定敬の三人で構成されていて、京都において活躍したことは、今や幕末史を語る上では欠かせない存在です。
そして、この一会桑についての研究者としては大阪経済大学助教授の家近良樹氏が有名で、家近氏の一会桑研究としては、『幕末政治と倒幕運動』(吉川弘文館、1995年)や『孝明天皇と「一会桑」』(文春新書、2002年)などの著書があります。特に、後者の『孝明天皇と「一会桑」』は一般向けの新書という体裁で入手も容易なため広く読まれているようで、ネットで検索をかけると結構な数のサイトが出てきます。
しかし、家近氏は一会桑を本格的に研究し始めた研究者ではありますが、一会桑政権の重要性を最初に指摘したのは家近氏ではありません。一会桑政権について恐らく初めて言及したであろう研究のことは、一般にはあまり知られていないかと思います。
その研究とは、井上勲氏(学習院大学教授)の論文「将軍空位時代の政治史‐明治維新政治史研究‐」(『史学雑誌』第77編11号、1968年)です。
井上勲氏の「将軍空位時代の政治史」という論文は、慶応2(1866)年7月20日に将軍・徳川家茂が病死し、徳川慶喜が将軍に就任する同年12月5日までのいわゆる将軍空位期の政治史を分析したものです。井上氏自身の言葉を借りれば、「慶応二・三年の停滞的中央政局の原初的形態ともいえる、将軍空位時代の政治史、将軍空位時代を構成した政治的諸勢力体、及びそれぞれの政治的方向性を分析しようとするもの」(2頁)です。
したがって、井上氏の論文は元治元(1864)年に成立した一会桑政権そのものを分析した論文ではないのですが、少しだけ一会桑に関する記述があります(後で引用します)。しかしながら、井上氏の論文が一会桑について最初に言及した研究だというのはどうやら確かなようで、その事実については今月に発売されたばかりの久住真也『長州戦争と徳川将軍』(岩田書院、2005年)という研究書も序章で指摘しています(私は久住真也氏の本をパラパラと立ち読みしました)。
私自身も数年前、大学の先輩に、「一会桑政権ということを最初に言い始めたのは井上勲氏と宮地正人氏の二人だよ」という話を教えていただいたことがあります。宮地正人氏は、『天皇制の政治史的研究』(校倉書房、1981年)という研究書で一会桑政権について言及しています。
井上勲氏の論文が出たのは1968年、宮地正人氏の本が出たのは1981年…それ以前には、一会桑政権の存在は歴史家の間でも議論されていませんでした。その証拠に、歴史家・松浦玲氏が1975年に出した『徳川慶喜』(中公新書、1975年)という本では、一会桑政権に関する言及はありません。松浦氏が慶喜の評伝を出した1975年には、まだ一会桑という用語は市民権を得ていなかったと言えるでしょう。
一会桑政権の存在は、1968年に井上勲氏によって恐らく初めて指摘され、広く知られるようになったのは最近になってからのことです。家近良樹氏が、「一会桑権力に関しては、現在でもその存在を特に認めようとはせず、倒幕に至るまでの中央政局を朝廷―幕府―諸藩三者のあり方如何によって分析する傾向が相変わらず根強い」(『幕末政治と倒幕運動』56頁)と指摘するような状況が近年まで続いていたのです。繰り返しになりますが、家近氏のこの本が出たのが1995年です。
ともあれ、現在は一会桑政権は幕末史を語る上での常識的知識となりつつあります。「一会桑政権」・「一会桑権力」・「一会桑勢力」など、呼称の仕方について色々と議論がありますが、ともかく一会桑という幕府本体とは別個に動いていた勢力がいたこと自体は、幕末史の常識的知識となりつつあります。最近では、宮地正人氏が新選組の近藤勇と一会桑政権の関係を重視する研究を発表しています(宮地正人『歴史のなかの新選組』岩波書店、2004年)ので、幕末史そのものについては詳しくないと思われる一部の新選組ファンの方々にも、徐々に一会桑の認識が広まっていくかもしれません。
また、幕末の志士たちが残した史料にも、「一会桑」あるいは「市会桑」や「橋会桑」などという表記が頻繁に出てきます。例えば坂本龍馬は、池内蔵太に宛てた慶応元年10月3日付の書簡に、「一、会、桑、暴に(にわかに)朝廷にせまり、追討の命をコフ」云々と記しています(平尾道雄監修、宮地佐一郎編集・解説『坂本龍馬全集』光風社、1978年、71頁)。このような史料から、幕末当時の志士たちも一会桑を重視していたことがわかります。
では、遅くなりましたが、一会桑政権について最初に指摘したと思われる井上勲「将軍空位時代の政治史」という論文が、一会桑政権のことをどのように定義しているか、それを紹介しておきましょう。井上氏によれば、「元治元年から徳川慶喜政権成立にいたるまで、京都にあって中央政局における幕府勢力を代表する役割を果した、一橋慶喜・松平容保・松平定敬の三者からなる政権」(同論文13~14頁)とのことです。
井上氏の一会桑に関する基本的な見解は、その後の著書『王政復古』(中公新書、1991年)や論文「開国と幕末の動乱」(井上勲編『日本の時代史20 開国と幕末の動乱』吉川弘文館、2004年)においても変わっていません。
一会桑については、呼称や成立時期・終焉時期・中心人物など、様々な点において色々と議論されています。各研究者によって見解がかなり異なります。それらの諸相を理解する上で、久住真也『長州戦争と徳川将軍』は便利な本だと感じた(立ち読みした上で感じた)ことを、最後に述べておきます。
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» 幕府長征の意味 [温故知新]
岩田書院から久住真也の本が今月中に出版される予定のようだ。久住は幕府のいわゆる長州征伐(=長州戦争)に関する論文を発表している研究者である。アカデミズムの研究者による薩摩サイドや長州サイドの研究は多いが、幕府サイド・佐幕サイドの研究は以外と少ない。
しかし、長州戦争は幕府の命運を決めた出来事である。新選組ファンの場合は、近藤 勇が広島出張から帰った後、彼自身が対長州強硬派であるにも関わらず、長州と戦争しても負けるだろうという予測(「御必勝の策必至と無之」)を会津藩に報告していたことを思い出すだ.... [続きを読む]
受信: 2005年11月10日 (木) 23時23分



コメント
京都を記述しなかった。
投稿 BlogPetの内蔵太 | 2005年10月30日 (日) 14時55分
残念ながら、井上勲については中公新書の『王政復古』しか読んだことがありません。確かに、この本には「一会桑」が事実上の中央政権であった、という井上勲の認識が書かれていました。
なるほど、「将軍空位時代の政治史」では、一会桑が「幕府勢力を代表する役割を果した」と論られているのですか。このあたりから始まって、家近良樹が研究し、一会桑の「単なる幕府の代表」とは違う側面に光を当てるに至ったということなのでしょうね。
ところで、久住真也の本を御覧になったのですね!
当方は残念ながら、今だ、お目にかかってません。神保町にでも行かないと無理かもしれませんね。
私も久住真也の新著についてブログに書いておりますので、TBさせていただきます。
投稿 来栖ムツキ | 2005年11月10日 (木) 23時14分
> 来栖ムツキさん
コメント、どうもありがとうございます!
一会桑研究は、井上勲氏から始まって家近良樹氏でかなり洗練されたと言えるのではないかと思います。もちろん、まだまだ議論されると思いますが。
久住氏の本は、書店でたまたま見つけて、序章のあたりだけ立ち読みしました。さすがに定価で買おうとは思いませんでしたが。でも、読む価値のある本だと感じましたよ。
私も、TBさせていただきますね。
投稿 パルティアホースカラー | 2005年11月11日 (金) 00時31分