坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺前後の政局‐史料の中に見える薩摩藩士たちの言葉‐
私は以前、「龍馬暗殺について~歴史学者(幕末政治史研究者)の意見を参照することのすすめ~」という記事で、龍馬暗殺前後の時期の政局について、幕末政治史を専門に研究している学者の方々が、どんな認識を持っているのか紹介しました。記事を読んでもらえればわかりますが、学者の方々は、薩摩藩の武力討幕路線と土佐藩(龍馬を含む)の大政奉還路線を絶対的に対立するものとしては捉えていないと述べました。
ついで私は、大政奉還を推進する龍馬は討幕の邪魔だから、薩摩は龍馬暗殺に関与したと主張する非学者の方々、および、その非学者の方々の意見を信じる人々の意見を批判しました。例えば、「坂本暗殺の犯人は新選組、あるいは京都見廻組とされてきたが、昨今は薩摩黒幕を示唆する見方が有力である」(星亮一『幕末の会津藩』中公新書、2001年、188頁)というような見解は誤りであると私は述べました。
その上で、多くの学者はちゃんと当時の人々が残した記録・文書(史料)を読んだ上で自説を述べているのだから、史料を読まずに自説を主張している可能性のある非学者の方々の意見だけではなく、学者の意見もちゃんと聞かなければ、龍馬暗殺の真相は決してわからないということを提起しました。
でも、もっと言えば、学者は史料を論拠にして自説を組み立てているわけですから、その史料を読んで議論する人が増えれば、もっと有意義なわけです。そこで、学者の方々が自説を主張する上で著書や論文に引用している史料を、いくつか紹介してみたいと思います。とは言っても、当時の記録を無作為に何でもかんでも紹介していたら煩雑になってしまいますので、ここでは、大政奉還~龍馬暗殺前後(慶応3年10月~11月の時期)の薩摩藩士の言葉や考えを記録した史料のみを紹介します。特に、当時の薩摩藩内が武力討幕一本でまとまっていたわけではないということを証明できる史料を紹介します。
まず、「討幕の密勅」の請書に署名した三人の薩摩藩士が、西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀の三人だったことを最初に確認しておきます。つまり、この三人が薩摩藩内のいわゆる武力討幕派のリーダーです。その一人の小松は、将軍・徳川慶喜から大政奉還を行う決意を聞いた10月13日、大久保利通に宛てた書簡の中で、以下のように述べています。青い文字の部分が、史料の引用、緑の文字はその史料の出典です(以下同)。
王政復古之義十分に相立、実に意外之事に御座候。
(『大久保利通関係文書』マイクロフィルムR10〔国立国会図書館憲政資料室蔵〕。ただし、私はこの史料を高橋秀直氏の論文「王政復古への政治過程」12頁から孫引きしました)
歴史家の高橋秀直氏は、この小松の言葉をもって、「小松が真に大政奉還を評価していた」と主張します(高橋秀直「王政復古への政治過程」『史林』84-2<通巻426号>、2001年、14頁)。確かに、小松が大政奉還によって、「王政復古之義十分に相立」と認識し、しかもそれを大久保に知らせていることは注目すべきことかもしれません。しかも、小松はこの後も、西郷や大久保と一緒に行動しています。
西郷・大久保・小松の三人は大政奉還後の10月17日、「討幕の密勅」を携えて鹿児島に戻るため京都を出立します。鹿児島にある軍事力を動員するための説得に向かったのです。討幕派のリーダー三人がいなくなった後の薩摩藩京都屋敷を指導していたのが、伊地知正治と吉井友実でした。そのうちの一人・伊地知は、11月に執筆した意見書で、以下のような見解を述べています。
伊地知は、「徳川前日の重罪悔悟、時勢之沿革を観察し政権を奉還」と述べ、慶喜の大政奉還をそれなりに評価した上で、「徳川預知行高御減少之儀、先ツ如何ニ御座候」と、徳川家の領地を削減すべきだという意見への疑問を表明しています。続けて、「領地等之儀は是迄之通ニ而、治乱之御入費筋、悉彼(徳川慶喜‐管理人註)ニ仰付候方ニも可有之御座哉ト奉存候」と述べています(以上、引用した史料は、立教大学文学部史学科日本史研究室編『大久保利通関係文書』一巻<吉川弘文館、1965年>60~64頁に収録されています)。要するに伊地知は、徳川家の領地を削減せよという意見には反対で、なおかつ新しくできるであろう政府内で慶喜に指導的地位を与えるべきだと述べているわけです。また、この伊地知の意見書は吉井友実が岩倉具視に提出しています。そのため、高橋秀直氏は、「これは伊地知の個人的見解ではなく在京薩討幕派の見解と見るべき」だと主張しています(前掲論文、18頁)。
また、吉井は、「上様(徳川慶喜‐管理人註)におゐては可奉疑様は無之」との認識を示しています。この史料は、越前福井藩の青山小三郎が11月24日に吉井から聞いた話を、同じく越前藩の中根雪江が自身の日記である「丁卯日記」に記したものです(日本史籍協会叢書『再夢紀事・丁卯日記』<東京大学出版会、1988年>242頁)。これら伊地知と吉井の史料は、歴史家の家近良樹氏も著書で引用しています(家近良樹『幕末政治と倒幕運動』<吉川弘文館、1995年>240頁)。
以上、ご紹介しましたように、薩摩藩内には、大政奉還を高く評価する意見も少なくありませんでした。少なくとも、西郷や大久保は、これらの意見を考慮しつつ行動しなければならなかったのは確かでしょう。大政奉還~龍馬暗殺の前後の薩摩藩は、必ずしも討幕路線で方針がまとまっていたわけではなかったということだけ述べておきます。西郷や大久保が薩摩藩の組織的な力を利用しつつ自己の目的を貫徹するためには、自分の藩の中の声にも考慮しておかなければ、自分の指導力を確保できないということです。西郷や大久保が、自分の藩の中に大政奉還に賛成する人が少なくない状況で、大政奉還の立案者・坂本龍馬を暗殺したらどうなるか、それを考えてみても、龍馬暗殺に薩摩藩関与の可能性は考えにくいのではないかと思います。
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