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2005年8月29日 (月)

幕末維新-「復古」と「開化」-

慶応3(1867)年12月9日、薩摩藩を中心とする王政復古の政変によって、新政府が成立し、その後、いわゆる「王政復古の大号令」が布告されるのは、よく知られていることだと思います。新政府は、「王政復古」すなわち、天皇が政治を行っていた昔の時代に「復古」することを宣言して誕生しました。

しかし、その後の歴史を見ると、「文明開化」という言葉に象徴されるように、外国との交流は盛んになり、四民平等、廃藩置県などなど…時代は急速に「開化」の方向に向かっていったのでした。「復古」を宣言しながら、実際は「開化」に向かうということに、矛盾を感じる方もいるかもしれません。しかし、それにはちゃんとした理由があったのです。

「王政復古の大号令」には、「諸事、神武創業の始めに原づき(もとづき)」云々という言葉が述べられています。ポイントは、「神武創業」の部分です。「神武」とは、神話上の初代天皇である、神武天皇のこと。つまり、「王政復古の大号令」は、神話上の神武天皇の時代に復古することを宣言しているのです。では、神武天皇の時代とは、いかなる時代だったのでしょうか。それはすぐ後に続く「創業」という言葉が示しています。神武天皇の時代は、「創業」の時代だったのです。「創業」という言葉を、幕末当時の人間がどのような意味に捉えていたか、最後の将軍・徳川慶喜の後年の談話を以下に引用します。この談話は、後で紹介する歴史家の佐々木克氏(京都大学名誉教授)も、引用しています。

中興というと、今までしたことは採らなければならぬ。創業ということになると何もないのだ、規則もなければ慣例もないのだから、善いと思ったことはすぐやれる(『昔夢会筆記』平凡社東洋文庫、213頁)。

つまり、初代の天皇である(あくまで神話上ですが)神武天皇の時代は、規則もなければ慣習もない、これからそういうものを新たに創っていく「創業」の時代だということです。いわば、天皇が統治している以外、何の制度もない、無秩序な状態の時代と言ってもよいかもしれません。何しろ神話の時代ですから、大体が何もわかりません。

だからこそ、「神武創業」の時代に「復古」すれば、何でも新しいことができるわけです。ちなみに、先ほどチラッと紹介した佐々木克氏は、もっと積極的な意味を込めて「『王政復古』の宣言は(中略)『神武創業』に『復古』するのではなく、『神武』が『創業』を始めたように、そのような精神で、何もかも新しく自由に<創業>して行こう、という意味内容であった」と述べています(佐々木克『志士と官僚』講談社学術文庫、2000年、14頁)。いずれにせよ、「神武創業」の時代への「復古」を宣言すれば、今までは伝統やら慣習やらに縛られてできなかった新しいことも、できるわけです。例えば、神武天皇の時代には幕府もなければ武士も公家もいないから、幕府制度の廃止や四民平等などの事業が行えるわけです。そういう意味で、「復古」と「開化」は、無理なく結びつきます。

「王政復古の大号令」によって、幕府制度が廃止されましたが、同時に摂関制度が廃止されたことも見逃せない事実です。摂関制度とは、平安時代の藤原道長の時代から続く、摂政・関白の制度のこと。藤原道長以来、摂政・関白の職に就くのは、藤原氏の子孫である公家にしか認められないようになりました。江戸時代には、五摂家と呼ばれる、藤原の血を引く五つの公家の家の者しか、摂政・関白にはなれないようになります。王政復古の政変を裏で操った、下級公家の岩倉具視は、摂関制度がある限り、どんなに優秀でも、朝廷のトップにはなれない状態だったわけです。しかし、その制度を廃止したことで、徳川慶喜が言うところの「善いと思ったこと」を実行に移せる地位に、誰もがなれるようになったわけです。

鎌倉時代よりも前の時代に復古すれば、幕府制度を廃止できます。そうすれば、地方の下級武士に過ぎない大久保利通などが、国政のトップに立てる論理ができあがるのです。でも、それでは下級公家の岩倉具視が国政に関われません。そのため、藤原道長の祖先である中臣鎌足(大化の改新で有名ですね)の時代よりも、さらに昔の時代に復古することが必要になったわけです。その結果が、「神武創業」の時代への「復古」でした。身分も何もない時代に復古したからこそ、低い身分の大久保利通や岩倉具視が新政府のトップに立つことができたわけです。

幕府どころか、摂関制度も存在しない無秩序な「神武創業」の時代に「復古」したことで、あらゆる「開化」が可能になりました。何しろ、何もない状態の時代に戻ったわけですから。歴史家の井上勲氏(学習院大学教授)、「王政復古の政変は、今を否定することにおいて、根元的そして急進的であった」と述べています(井上勲『王政復古』中公新書、1991年)。そして私は、「王政復古の大号令」を、「日本の歴史をゼロからやり直すことの宣言」だと捉えています。結論になりますが、「王政復古の大号令」は、天皇がいるということ以外の、今ある制度や秩序や慣習などのすべてを否定して、あらゆる「創業」を可能にしたのです。だからこそ、「復古」と「開化」は結びつくわけです。例えば、「鎖国」制度に邪魔されて思うように「開化」が進展しなかった状況が、「鎖国」制度がない時代に「復古」したことで、何の邪魔もなく「開化」できるようになった…ということです。

ただ、この「復古」と「開化」の論理に、当時の人々はなかなか気付かなかったらしく、福沢諭吉ですら、「明治政府は古風一点張りの攘夷政府と思い込んでしまった」と述べています(福沢諭吉<富田正文校訂>『新訂 福翁自伝』岩波文庫、1978年、198頁)。これは、「王政復古」という言葉に騙されて、「神武創業」という言葉のポイントに気付かなかった例だと言えるでしょう。

余談ながら、開明的な志士だと言われる坂本龍馬の「船中八策」には、「古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事」と述べられています。「律令」は、幕末になっても、形骸化したとは言え廃止されてはいないものです。しかし、「神武創業」の時代には「律令」は存在しません。その意味で、「王政復古の大号令」に関与した大久保利通や岩倉具視の方が「今を否定することにおいて、根元的そして急進的」で、龍馬の方が現状肯定的な考え方だったと言えるかもしれません。

私がここで長々と述べたことは、歴史家の研究に多くを依拠しています。興味のある方は、以下の文献をご参照ください。

飛鳥井雅道『文明開化』岩波新書、1985年 
井上勲「幕末・維新期における『公議輿論』観念の諸相」『思想』609号、1975年
井上勲『王政復古』中公新書、1991年
井上勲編『日本の時代史20 開国と幕末の動乱』吉川弘文館、2004年 
佐々木克『志士と官僚』講談社学術文庫、2000年
佐々木克『幕末政治と薩摩藩』吉川弘文館、2004年

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