「薩長同盟」を「薩長盟約」と言い換える
幕末に少しでも興味のある方ならば、「薩長同盟」あるいは「薩長連合」という用語はご存じだろう。慶応2(1966)年1月、坂本龍馬の仲介で、薩摩藩と長州藩の代表の間で結ばれた密約のことである。
だが、近年、幕末史研究者の中に、この「薩長同盟」ないし「薩長連合」を、「薩長盟約」と言い換える人が増えてきているようだ。それには、理由がある。
かつての幕末史の研究においては、「薩長同盟」は討幕のための軍事同盟ないし攻守同盟と捉える見解が一般的であった。しかし、青山忠正「薩長盟約の成立とその背景」(『歴史学研究』557号、1986年)という研究を皮切りに、「薩長同盟」に関する研究が進んだ。その結果、「薩長同盟」を薩長両藩の軍事同盟として捉える見方は否定的となり、薩摩藩が、朝敵となってしまった長州藩の政治的復権を実現できるように、色々努力するという行動方針を、木戸孝允に対して約束したもの(盟約)だという説が有力になってきたのである。
つまり、薩摩と長州の双務的な契約関係を定めた「同盟」ではなく、薩摩が長州に行動方針の実行を約束した「盟約」だということになってきたのである。
薩摩藩研究で知られる芳即正(かんばしのりまさ)氏は、『坂本龍馬と薩長同盟』(高城書房、1998年)という本で「薩長同盟」について分析したときには、書名にもあるように、まだ「薩長同盟」という呼び方を使用していた。しかし芳氏は、その後、「薩摩藩と薩長盟約の実行」(明治維新史学会編『明治維新の新視角-薩摩からの発信-』高城書房、2001年)という論文において、「薩長盟約」という呼称を使用し始めた。
三宅紹宣氏も、「薩長盟約の歴史的意義」(『日本歴史』647号、2002年)という論文で、「薩長盟約」の呼称を使用し、佐々木克『幕末政治と薩摩藩』(吉川弘文館、2004年)も、「薩長盟約」の呼称を使っている。このまま、「薩長盟約」という呼称を使う学者が増えれば、いつか、日本史の教科書の「薩長同盟」ないしは「薩長連合」という用語は、「薩長盟約」に変わるかもしれない。
ただ、すべての幕末史研究者が「薩長盟約」という呼称を使い始めたわけではない。例えば、家近良樹『孝明天皇と「一会桑」』(文春新書、2002年)や、井上勝生『日本の歴史18 開国と幕末変革』(講談社、2002年)、宮地正人『歴史のなかの新選組』(岩波書店、2004年)などは、「薩長同盟」の呼称を使い、井上勲「開国と幕末の動乱」(同編『日本の時代史20 開国と幕末の動乱』吉川弘文館、2004年)は、「薩長連合」の呼称を用いている。つまり、「薩長同盟」や「薩長連合」という呼称自体を変更することまでしなくていいと考える研究者もいるわけだ(その点については、特に松浦玲氏が、『歴史群像シリーズ74 幕末大全下巻 維新回天と戊辰戦争』<学習研究社、2004年>の中で明確に述べています)。
結論、「薩長同盟」ないしは「薩長連合」が「薩長盟約」という呼称に変わるのか否かは、今後の研究次第かもしれない。各研究者の判断・解釈次第で、歴史の見方はずいぶんと変わる。教科書に書かれていることは絶対ではない。研究が進めば、必死で暗記した物事や用語も、教科書に載らないものになってしまうかもしれない。
なお、「薩長盟約」という呼称を最初に使い始めた青山忠正氏は、最近の著書『明治維新と国家形成』(吉川弘文館、2000年)の中で、「島津家盟約」という呼称を使用している。
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コメント
同盟と盟約との違いは そんなに違うものでしょうか?
西郷は薩摩藩の 桂は長州藩の意を体して、龍馬は外国の意を体して、書面にサインしたのです。
言葉の綾だけじゃないでしょうか?
投稿 sinsin8 | 2005年8月22日 (月) 13時54分
私も、同盟と盟約の言い方を細かく区別しなくてもいいんじゃないかな~という考えです。実際、こだわっていない研究者もたくさんいます。
でも、同盟と盟約の言い方にかなりこだわっている研究者も実際にいて、それにはそれなりの理由もあります。歴史家の芳即正氏は、著書の中で以下のように述べています。
「今日の考えからすると同盟といえば、双方で同文の文書に署名捺印をして取り交わす国際的取り決めを想像する。しかしこの時の取り決めはそのようなものではなく、話し合いでいろいろ取り決めたものの、何も文書を取り交わすようなことはしなかった。だから木戸は『盟約』といっている。」
(『坂本龍馬と薩長同盟』91頁)
引用した芳氏の言葉の中にもありますが、薩長同盟の西郷と木戸の会談のときには、文書の作成・サインなどはしておりません。西郷(薩摩)が、長州のために色々と頑張るということを、口約束しただけなのです。だから、双方で文書を取り交わすようなイメージがある「同盟」という言葉よりは、約束することを意味する「盟約」という言葉を使った方が、適切なのではないかと考える研究者もいるということです。
龍馬がサインしたのは、木戸が龍馬にあてて書いた手紙です。同盟締結の席で、文書を取り交わさなかったので、木戸はそのときの話し合いの内容を確認したくて龍馬に手紙を書いた。龍馬は、木戸が送ってきた手紙に、「ここに書いてある内容で間違いない」と確認のサインをして、木戸に送り返した…ということです。
だから、言葉の使い方にこだわらない研究者もいれば、言葉を厳密な意味で使おうとする研究者もいる…とお考えください。
ほかにも、最近では、「討幕」とか「公武合体」という言葉は意味が曖昧なので使わない、そんな曖昧な言葉を使っていたら研究が進まない…と考えている研究者もいるぐらいなのです。
投稿 パルティアホースカラー | 2005年8月22日 (月) 20時56分
はじめまして。浮舟と申します。
トラックバックありがとうございます。
なるほど、薩長盟約という言い方もあるのですね~。
確かに微妙に意味が違ってくるので、歴史的なテクニカルタームの言い方というのは難しいですよね。
家近氏の本はまだ未読ですが、そのことを念頭に置きながら読んでみようと思います。
投稿 浮舟 | 2005年8月22日 (月) 21時28分
>浮舟さん
コメント、ありがとうございます。
言葉の使い方によって、歴史の解釈も変わってくるということでしょうかね。
でも、せっかく定着している「薩長同盟」という言葉を変える必要まであるのか?という意見もあります。
確かに、難しいですね。
家近氏の本は最近の研究の成果をうまく取り入れていて、面白い記述も多いので、ぜひ読んでみてください。
投稿 パルティアホースカラー | 2005年8月22日 (月) 22時31分
ネットサーフィンをしていていつの間にかこのブログへたどりつきました。
薩長同盟、薩長盟約など色々ありますが、私の見方は「薩長談論」ではないかと考えております。
4年前にホームページで公開したものを、ご参考に紹介します。
談論、坂本龍馬自身が「談論」と言っておりますので、尊重してあげても良いのでは??
投稿 幕末千夜一夜 | 2006年8月20日 (日) 22時59分
>幕末千夜一夜さん
はじめまして。
コメント、ありがとうございます。
なるほど、確かに龍馬は木戸孝允宛の書簡の中で「談論」と言ってますね。尊重してあげたい気はします。
でも、私は「同盟」か「盟約」でいいだろうと思っています。「談論」は話し合うこと・議論することを意味し、龍馬が言う「談論」の結果として、木戸が龍馬に裏書を求めた六か条ができたと思うからです。
西郷・木戸会談の席上では六か条にはまとまってなく、成文化もされなかったでしょうが、そこで六か条と同じ内容の話がされたことは間違いないと思うからです。少なくとも、薩摩が長州を援助していく方向性は約束されたでしょう。その約束を「盟約」なり「同盟」なり呼ぶことは可能だと思います。「談論」の結果として、薩摩が長州を援助していく約束=盟約ないしは同盟が結ばれたと考えてよいかと、私は思います。
投稿 パルティアホースカラー | 2006年8月21日 (月) 20時40分
コメントありがとうございます。
同盟、盟約、談論、後世の人たちが色々言っていますが、多分当時の彼らは様子見、様子見で自分たちの方針を進めていたと思います。
今でも新しいことは、自分たちでも疑いながらやりますから。
当時の出来事を沢山集めて、KJ法見たいな方法で頭をひねると、面白いかもしれないと思っております。これが歴史の面白さのような気がします。
蛇足ですが、歴史文書をXMLで整理・分析するようなことをどこかでやっていませんでしょうか。
投稿 幕末千夜一夜 | 2006年8月21日 (月) 23時00分
>幕末千夜一夜さん
再度のコメント、どうもありがとうございます。
>当時の彼らは様子見、様子見で自分たちの方針を進めていたと思います
これについては、その通りですね。今でもそうですが、確固とした動かしえぬ目標を定めて、その目標に向かって一直線に突き進んでいる人は少数派でしょうから。
幕末千夜一夜さんの仰るとおりだと思います。
>歴史文書をXMLで整理・分析するようなこと
これについては、私は存じておりません。お力になれず、申し訳ないです。
投稿 パルティアホースカラー | 2006年8月22日 (火) 19時37分
管理人さん、今晩は。
靖国問題から、幕末へジャンプしました。(^^ゞ
ご存知でしょうか、ハンドル名の暢夫とは、高杉晋作の渾名(通称)です。要するに、出身地でもあります、長州びいきですね。
薩長同盟といえば、坂本と桂が主役となっていますが、個人的見解としては、影の主役は西郷と高杉なのです。定説では否定的ですが、高杉が北九州に隠遁していた間に、西郷と極秘に会っていたと踏んでいます。実はそこで、事前交渉は済んでいた訳です。この交渉がなかったら、当時幕府征長軍に恭順し、藩内に幕府監察団を迎えていた情勢で、いかな高杉が狂児であっても、内乱を起こすことなど自殺行為ですから。(太平洋戦争を起こした、大日本帝国とは違いますので)実際、幕府征長軍は、内政不干渉を唱えて、広島から軍を進めませんでした。こんな大どんでん返しは、征長軍軍監超マジシャン西郷の他には、誰にも真似のできない大技です。これこそ、幕府最大の悲劇でしたが。
しかしながら、冷静に盟約の中身を分析すると、全くの片務条約ですから、薩摩藩は洞ヶ峠を決め込んでいただけとも解釈されます。当時の大勢は、四カ国連合艦隊に完膚なきまでに叩かれた長州が、幕府連合軍に勝てるはずがないと思われていましたから。
投稿 暢夫 | 2006年8月26日 (土) 19時38分
>暢夫さん
こんばんは。
コメント、どうもありがとうございます。
そう言えば、高杉晋作には「暢夫」という名がありましたね。いや、言われるまで全く気付いておりませんでした。言われて「あ~、そう言えば」と思った次第です。
坂本龍馬と桂小五郎(木戸孝允)がクローズアップされるのは、薩長同盟の内容を記した書簡をやり取りしていることと、2人が実際の交渉に立ち会ったことが最大の理由ですよね。その裏で、高杉晋作が活躍していたことは、私にもわかります。高杉と西郷が本当に会談したのかどうかは定かではありません(私はそのあたりの経緯を詳しく調べていないので、どちらとも言えません)が、少なくとも高杉が何かしらの動きをしていたであろうことは想像できます。
>幕府征長軍は、内政不干渉を唱えて、広島から軍を進めませんでした
この点は、確かに西郷の活躍が大きいですね。
盟約の解釈は難しいところですよね。私も色々悩んでいて、色んな方々の意見を聞いて、未だに考えている状況です。ただ、長州が負ける可能性が高いと思われていたことは、盟約の内容を見てもわかりますよね。長州が負けた場合にどうするか、色々と対策が講じられているようですから。
投稿 パルティアホースカラー | 2006年8月27日 (日) 00時55分
また、お邪魔します。
薩長同盟、盟約、談論のお話ですが、
同盟・盟約と言いますと、薩摩と長州の「責任者、代表者」同士が文書等で調印している、というイメージです。
突き詰めると、薩摩と長州の政治的代表者は、当時誰であったのか、政策決定の仕組みがどうであったのか、これがポイントのような気がします。
蛤御門以来、薩摩と長州は同盟などという状況はなかったと思います。しかし、同盟しなければならない事情を理解している一派(桂ら)の時勢を見た一部の活動が薩長談論を計画し、この流れが時勢に合致した(時勢を作った)ため、後に薩長同盟という形になってしまった。のではないでしょうか。
われわれは結果を知っていますが、桂らは信じたところを進んでおり、結果は見えませんので、同盟は大げさでしょうということになります。
投稿 幕末千夜一夜 | 2006年8月27日 (日) 08時04分
>幕末千夜一夜さん
コメント、ありがとうございます。
>同盟しなければならない事情を理解している一派(桂ら)の時勢を見た一部の活動が薩長談論を計画し、この流れが時勢に合致した(時勢を作った)ため、後に薩長同盟という形になってしまった。のではないでしょうか
これは、確かにそうだと私も思います。この点、異論はありません。幕末千夜一夜さんが繰り返し述べているように、桂・西郷・龍馬らの会談は「談論」なのかもしれません。その会談の時点でまさに薩長同盟そのものが成立したとは私も思いません。でも、その会談で「後に薩長同盟に成長していくための前提となる約束」が交わされたことは間違いないと思います。
その後、薩摩藩は桂がまとめた六ヶ条の内容にたがわぬ動きをしていますし、島津父子・毛利父子の間でやり取りも出てきます。その段階まで来れば、薩長同盟なり盟約なりと呼称するのは構わないと思うんですよね。まさに、「後に薩長同盟という形になってしまった」のだと思います。
当時の人々は結果をわからず行動していたのは確かですが、後世の私たちは、桂や西郷の「談論」の結果を、歴史用語として「薩長同盟」と呼称するのは全く問題ないと思います。
投稿 パルティアホースカラー | 2006年8月27日 (日) 13時19分
また、お邪魔します。
薩長同盟は、まず外交担当者による根回し、その後、藩責任者による承認(追認?)という流れの中に、日本流根回しが感じられ、根回しが「同盟」と言うのにチト違和感があるのです。
国際的慣行から見るとどうなんでしょうか。
(日本史に国際的慣行は不要??)
色々お騒がせでした。
投稿 幕末千夜一夜 | 2006年8月28日 (月) 20時04分
>幕末千夜一夜さん
コメント、ありがとうございます。
「同盟」という言葉に違和感を抱かれるお気持ちはよくわかります。現在の国際的慣行などを考えれば、薩長同盟は「同盟」と呼ぶにはふさわしくないかもしれません。
実際、「薩長盟約」という用語を使う研究者は、文書の調印手続きがないことを重視して「盟約」と呼んでいるわけですから。
しかし、中には「薩長同盟という用語は一般にも定着しているのだから、わざわざ変える必要はない」と考える研究者もいます。
私も、内容・中身や成立過程などの考察は重要だと思いますが、呼称についてはこだわりすぎなくても良いかと思っている立場です。
投稿 パルティアホースカラー | 2006年8月29日 (火) 19時43分