2009年3月20日 (金)

共同研究 明治維新

だいぶ古い本ですが、思想の科学研究会編『共同研究 明治維新』(徳間書店、1967年)という、論文集があります。

この論文集の特徴としては、執筆陣が、日本史や明治維新の研究を専業としている人々ではないこと。例えば、執筆に参加している人々は、専門が哲学の研究者であったり、中国文学の研究者であったり、評論家だったりジャーナリストだったりと、様々な分野で活躍している人々です。

そのような、様々な分野で活躍している人々の「共同研究」という形で生まれた論文集の意義の1つとして、執筆者の1人である市井三郎氏は、序文において、次のように述べています。

そもそも学問は、異なった諸意見の活発なぶつけあいと、理性的な相互批判によってのみ前進するものだが、価値と事実判断とがわかち難くむすびつく歴史という分野では、そのような交流がもっとも困難であることはよく知られている。われわれは市民サークルであることの非拘束性を活用して、学界では望み難い度合にまで、この交流を実現することに努力しえた。

専門の研究者が参加していない論文集だけに、面白いテーマの論文も収録されているのが、個人的に楽しいところでもあります。以下、執筆者と収録論文を緑の文字で記します。

●中沢護人「二宮尊徳論―国内市場の開発」
●布川清司「農民の意識と行動―幕末・先進地域・一旗本領農民の場合」
●市井三郎「維新変革の思想―長州尊攘派の思想的系譜」
●林竹二「幕政改革と『共和』政治運動―横井小楠の『共和』政治思想とその展開」
●西春彦「生麦事件と維新の国際関係」
●葦津珍彦「禁門の変前後」
●浅井昭治「足利将軍木像梟首事件」
●しまね・きよし「幕末・維新における幕臣―川路聖謨・勝海舟を主軸にして」
●筑波常治「島津久光論―革命における旧支配層開明派の役割」
●佃實夫「維新の傍流―阿波藩の場合」
●判沢弘「宮島誠一郎と雲井竜雄―米沢藩の場合」
●久米茂「江藤新平論―佐賀藩の場合」
●大江満雄「浦上キリシタン農民の論争性―維新政府の象徴押しつけにたいする抵抗について」
●鶴見俊輔「明治天皇伝説」
●竹内好「明治維新と中国革命―孫文について」

『共同研究 明治維新』は何しろ40年以上前に刊行されたものなので、上記の収録論文のうち、それぞれの執筆者の著作集などに再録されている論文もあります。

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2009年2月 7日 (土)

紹介しておきたかった幕末維新史関連書籍5冊

非常に久々の更新となってしまいましたが、そんなことはまるでお構いなく、記事を書きます。

今回は、昨年から今年にかけて刊行された書籍で、なおかつ自分でもすでに購入済みの書籍のうち、幕末維新史に関係するものを5冊紹介しておこうと思います。長らく更新していなかったために、そのうち紹介しようと思っていながら、紹介できなかった書籍たちのうちの5冊です。

まずは、小高旭之『幕末維新埼玉人物列伝』(さきたま出版会、2008年)。

この書籍は、8ページの凡例を引用すると、「幕末から明治にかけての時代に足跡を残した埼玉県出身の人物を、関連する事象などを交えながら人物ごとに解説した」書籍と言えます。今では埼玉県と呼ばれている地域に生まれた幕末維新期の人物たち47人について、紹介しています。

紹介されている人物は例えば、明治の実業家として知られる渋沢栄一、彰義隊を援助した覚王院義観、浪士組に参加して上洛した根岸友山、江戸の薩摩藩邸に匿われていた浪士たちの一員である権田直助や桜国輔など、多岐にわたっています。有名な人物だけではなく、あまり有名とは言えない人物も数多く紹介していますので、いわゆる草莽の志士に興味がある方なら楽しめると思います。

著者の小高旭之氏には他に、『漂白の志士 北有馬太郎の生涯』(文芸社、2001年)や『埼玉の浪士たち 「浪士組」始末記』(埼玉新聞社、2004年)といった著書があります。

続いて紹介するのは、中村武生『京都の江戸時代をあるく‐秀吉の城から龍馬の寺田屋伝説まで‐』(文理閣、2008年)。

「京都の歴史と文化財保護問題」というHPがある歴史地理研究者である著者の、3冊目の著書。2006年から2007年にかけて、『京都民報』で連載していた記事を修正・加筆したものです。

全部で50話構成となっていて、副題にもるように、幕末期だけではなく江戸時代全般について扱った内容ですが、全50話のうち半分ほどは、幕末期の話題となっています。

なかでも注目なのは、46話~59話まで費やして語られる「寺田屋伝説の虚実」。坂本龍馬の定宿として有名な寺田屋について論じたもの。現在の寺田屋の建物は、幕末当時の建物ではなく、再建されたものであるという説を提唱し、なおかつ深く論じたもの。現在の寺田屋が幕末当時の建物ではないということは、幕末史に興味のある人には元々それなりに知られていた話ではありますが、中村氏の文章はその話をさらに深く語り、説得力ある内容になっています。

3冊目は、松浦玲『坂本龍馬』(岩波新書、2008年)。

坂本龍馬という人物は、司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の影響もあって、幕末維新期に活躍した人物たちの中でも特に人気が高く、知名度もある人物だということに異論はないでしょう。そんな坂本龍馬をメインに扱った書籍も数え切れないぐらい刊行されています。

ところが、数え切れないぐらいぐらい刊行されている龍馬関連書籍は玉石混交。薄っぺらい内容のものも少なくありません。しかしながら、松浦玲氏は横井小楠や勝海舟の研究者として名高い幕末研究者ですので、この本は龍馬の生涯を手堅くコンパクトに、しかも最新の研究成果を取り入れつつ、非常に安心できる内容に仕上げています。

龍馬の実像を知りたい人や、2010年の大河ドラマ『龍馬伝』に向けて龍馬本を読んでおこうという方に、まずオススメしたい1冊です。著者の松浦氏には『検証・龍馬伝説』(論創社、2001年)という著書もありますので、そちらもオススメです。

続いては、町田明広『島津久光=幕末政治の焦点』(講談社選書メチエ、2009年)。

この書籍のタイトルにある、島津久光を「幕末政治の焦点」とする視点に、私は非常に共感します。著者の町田氏は本書の冒頭で、「本書で論じたいのは、久光の梃子的活躍なくして、幕末は決して回天しなかったということである。まさに隠れて忘れさられている綺羅星なのだ。久光あっての幕末史であり、また久光なくして幕末は語ることができないはずである。特に文久期以降、元治期前半までの中央政局は、久光の存在を抜きにして、その多くを描き出すことは叶わないのだ」と述べていますが、全く同感です。

この本は、文久期の幕末政治史を主な研究対象にしている著者の初めての著書である点でも注目です。

最後は、宮地正人・伊藤克司・小林丈広・多田敏捷・宮川禎一『新選組の論じ方‐新選組史料フォーラムから‐』(新選組史料フォーラム実行委員会、2009年)。

この書籍は、2004年に東京都日野市で開催された「新選組史料フォーラム」の各報告者が、そのときの口述記録を手を加え、あるいは全面的に書き下ろした論考で構成されています。

個人的に一番面白かったのは、宮地正人氏の「新選組の論じ方」という論考。その構成は、「はじめに」、「一、新選組の影の担い手山崎丞」、「二、新選組の研究課題」、「三、剣術遣いの群をどうおさえるか」、「四、東国勤王派論」、「おわりに」となっています。宮地氏が著書『歴史のなかの新選組』(岩波書店、2004年)で取り上げられなかった問題点を含め、新選組を歴史学の研究対象として扱う上での様々な論点が提示された論考です。

そのほか、伊藤克司「水野弥太郎親分と新選組・赤報隊」も読み応えがあり、本書の中でもっとも多くのページ数が割かれている論考です。

この書籍は一般書店では販売しておらず、山口県のマツノ書店でのみ取り扱っています。もちろん、ネット上での購入も可能です。

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2008年11月18日 (火)

ミッキーマウスの眉毛

近年のディズニー・アニメーションに登場するミッキーマウスの顔には、眉毛が描かれていません。しかしながら、東京ディズニーランドなどのテーマパークで会えるミッキーの顔には眉毛があります。恋人であるミニーマウスも同様に、最近のアニメーションでは眉毛なしの顔で登場し、パークには眉毛がある状態で現われます。

上記のことを元々知っていれば、別に改めて気にするほどのことでもないのですが、ふとした拍子に気付いて物凄く気にされる方もいるようです。「何故パークで会えるミッキーには眉毛があるのに、アニメでは眉毛がない場合が多いのか」と。

これは簡単に言ってしまえば、ミッキーは時代や作品によって色々な役を演じるので、眉毛があったり、あるいは眉毛がなかったりするとしか言えません。眉毛がある顔とない顔でどちらが正しいかと聞かれた場合でも、両方正しいとしか答えられません。ただ、最近はアニメーションでは眉毛なし、パークでは眉毛ありということになっているみたいです。ディズニー関連商品に登場するミッキーはアニメーションの顔を元にして描かれているため、眉毛なしの場合が多いものと思われます、多分。

ただ、ディズニー・グッズの中にも、数はそんなに多くないとは思いますが、眉毛があるミッキーも存在します。アニメーションの中で、ミッキーの顔に眉毛が描かれていた時代もあるからです。しかし、眉毛付きミッキーが活躍した作品は多くはありません。TV作品は除いて映画だけで言うと、眉毛付きのミッキーが登場する作品は下記の3つだけだと思います。

・『プルートの誕生祝』(1952年)
・『プルートのクリスマス・ツリー』(1952年)
・『ミッキーの魚釣り』(1953年)

最後の『ミッキーの魚釣り』は、1928年の『蒸気船ウィリー』から続いていた”ミッキーマウス・シリーズ”の最後となった作品です。”ミッキーマウス・シリーズ”とは、ミッキー主演の短編アニメーション映画のシリーズ。つまりミッキーは、自身のシリーズの最後と、その数本前の作品で、眉毛付きの顔を披露していたことになります。

1953年の『ミッキーの魚釣り』で自身のシリーズが終了したミッキーは、本格的な活躍の場をテーマパークに移し、銀幕からは姿を消します。ミッキーが再び映画で活躍する姿を見せてくれたのは、1983年の『ミッキーのクリスマスキャロル』です。この作品でのミッキーは、眉毛がない顔に戻っています。その後の映画でも、ミッキーは眉毛なしです。

ちなみに、眉毛付きのミッキーを見ることができる『プルートのクリスマス・ツリー』には、ほんの少しだけですが、ミニーマウスも登場します。しかも、ミニーもミッキーに合わせて、眉毛付きの顔で登場します。私の知る限り、ミニーが眉毛付きの顔で登場する映画は『プルートのクリスマス・ツリー』だけです。その意味では、かなり貴重だと思います。

ちなみに、本日はミッキー・ミニーの80年目のスクリーン・デビュー日です。

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2008年10月10日 (金)

ピートはミッキーの先輩

ディズニーランドでは多くのディズニーキャラクターに会えますが、だからと言って、すべてのディズニーキャラクターに会えるわけではありません。『わんわん物語』や『バンビ』に登場したキャラクターに会いたいと思っても、今のところ不可能です。海外のパークには登場するものの、日本のパークには出てきてくれないキャラクターもいますね。

今のところ出てきてくれないキャラクターの中で、私が特に会ってみたい(見てみたい)と思うのが、ミッキーマウスの宿敵・ピートです。東京ディズニーランドのエレクトリカルパレードには、映画『ピートとドラゴン』のピートが登場していますが、もちろん別人。私が会いたいのは、山猫のピートです(『ピートとドラゴン』のピートも好きですが)。

ところで、このブログでも何度か言及したことがあるような気がしますが、ピートはミッキーマウスよりも長い歴史を持ったキャラクターです。ミッキーのデビューは1928年の『蒸気船ウィリー』で、ピートも同映画に出演していますが、ピートのデビューはもっと早い時期なのです。

ピートのデビュー作は、短編映画『Alice Solves the Puzzle』(アリス・コメディ・シリーズの1作)だそうです。1925年公開の作品なので、ピートはミッキーより3年早くデビューしたことになります。その後もピートはアリス・コメディ・シリーズや、しあわせうさぎのオズワルド・シリーズに出演し、ミッキーマウスの宿敵となるに至ります。

ただ、デビュー当時のピートが『蒸気船ウィリー』以後と大きく異なるのは、『蒸気船ウィリー』以後のピートが山猫のキャラクターであるのに対して、デビュー当時のピートは熊だということ。それに、その後の作品では狼のようにも描かれているということ。ピートは『蒸気船ウィリー』以降、ネズミのミッキーに対して、猫のキャラクターに変わったわけですね。

それから、初期のピートは片足が義足になっていて、そのためペグレグ・ピートと呼ばれることもあるようですが、途中で義足は描かれなくなります。義足があることで左右非対称になると、作画の効率が悪いからだそうです。そのため、現在のピートは義足なしで描かれることが多いですが、確か『ミッキー、ドナルド、グーフィーの三銃士』(2004年)には、義足を付けたピートが登場していますね。

しかし、ピートはミッキーの宿敵であり、ドナルドダックやグーフィーが主演した短編作品にもよく出ているというのに、何故パークでは会えないのでしょうか。長年の疑問です。出演した短編アニメーションが1本しかないクラリスや、ピート以上にマイナーと思われるクララ・クラックなどの短編キャラクターもパークに登場しているので、ぜひピートにも出てきてもらいたいと思っています。

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2008年10月 4日 (土)

アメリカ人女性が見た幕末

『山梨国際研究:山梨県立大学国際政策学部紀要』第2号(2007年)に、戸田徹子「マーガレット・バラの語る幕末日本」という論稿が掲載されています。

マーガレット・バラとは、宣教師の夫人として幕末の日本にやってきたアメリカ人女性だそうです。1861年(文久元年)~1866年(慶応2年)の間、日本に滞在し、その後1870年(明治3年)に再来日したそうです。

戸田徹子氏の文章は、そんなマーガレット・バラが1908年に出版した著書(当時の書簡も収録し、日本滞在時の出来事を綴ったもの)をもとに、幕末から明治初期に来日したアメリカ人女性宣教師たちが幕末の日本をどのように見ていたのか分析しています。

ちなみに、マーガレット・バラの著書の邦訳版が、川久保とくお訳『古き日本の瞥見』(有隣堂、1992年)です。

戸田徹子氏の文章はインターネット上でも閲覧することが可能で、下記のリンクをクリックすることで、PDFが開きます。

マーガレット・バラの語る幕末日本(国立情報学研究所・論文情報ナビゲータCiNii)

マーガレットは、薩英戦争で薩摩藩もしくは幕府に賠償金を求めるイギリスの態度や、長州藩による外国船砲撃で賠償金を求める、アメリカを含む西洋列強の態度を批判しているのが印象的でした。

興味のある方はぜひ読んでみてください。

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2008年9月27日 (土)

ミッキー・ミニーとチップ&デール

今年はミッキーマウスとミニーマウスがデビュー80周年、そしてチップとデールがデビュー65周年。ディズニーの短編アニメーション映画でデビューしたネズミのキャラクターとリスのキャラクターが、ともに節目の年です。

そこで、今回はミッキーマウスおよびミニーマウスと、チップ&デールが共演している短編映画(一部、中編を含む)をピックアップして、ミッキー・ミニーとチップ&デールが、映画の中でどのように絡んでいるか見てみます。

ミッキーとミニーのデビュー作は広く知られているように、1928年の『蒸気船ウィリー』。対するチップ&デールのデビューは15年遅れて、1943年の『プルートの二等兵』です。したがって、ミッキー・ミニーのカップルと、チップとデールのコンビが共演しているとすれば、1943年以降の作品ということになります。

そして、ミッキーおよびミニーと、チップ&デールが出演している映画は、恐らく以下の作品しかないと思われます。下記のうち、赤文字で記した作品にはミッキーとミニーが2人とも出演しているものの、青文字で記した『リスの山小屋合戦』にはミニーは出ていません。

・『リスの山小屋合戦』(1946年)
・『ドナルドはデイジーにくびったけ』(1950年)
・『プルートのクリスマスツリー』(1952年)
・『ミッキーのクリスマスキャロル』(1983年)

劇場公開された作品のうち、ミッキーあるいはミニーと、チップ&デールが共演している映画は上記のわずかな数しかありません。しかも、『ドナルドはデイジーにくびったけ』はミッキーとミニーはほんの一瞬だけ出てくるだけなので、チップ&デールとの直接的絡みはありません。また、『ミッキーのクリスマスキャロル』でも、ミッキー・ミニーと、チップ&デールは同じ場面には出てこないので、これまた直接的な絡みはありません。

『リスの山小屋合戦』には、ミニーは出演していません。ミッキーとプルートが山小屋にやってきたため、平穏な生活を邪魔されそうになったチップとデールが色々と奮闘して、ミッキーとプルートを山小屋から追い出す話です。

『リスの山小屋合戦』では、ミッキーが暖炉に火をつけようとするのをチップ&デールが妨害するなど、ミッキー&プルートとチップ&デールのやり取りがありますが、実は話の最初から最後まで、ミッキーはチップ&デールの存在に一切気付きません。プルートはリスたちの存在に気付いて、ミッキーが出かけている間にリスたちと追いかけっこを展開する場面があるのですが、ミッキーは最後までリスたちの存在に気付きません。結局、ミッキーはわけがわからないまま、山小屋を出て行くことになります。

『プルートのクリスマスツリー』では、ミッキーとプルートがクリスマスツリーにするために伐った木にチップ&デールが住んでいたため、またまた一騒動起こります。プルートは早々にリスたちがいることに気付きますが、ミッキーは最初は気付きません。そして、物語の最後になって、ミッキーはようやくツリーの枝にチップ&デールがいることに気付くのです。しかし、ミッキーは2匹のリスを”チップ&デール”として認識するわけではなく、あくまで「リス」として認識します。そうだとしても、ミッキーとチップ&デールが、映画の中でようやく本格的に出会った瞬間です。

『プルートのクリスマスツリー』の最後の最後には、ミニーも登場しますが、チップ&デールとの絡みはありません。結局、映画の中では、ミニーとチップ&デールは、ほとんど直接的に絡んだことがないと言えます。

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2008年9月18日 (木)

一歴史学者の歩み

だいぶ前に読んだ、家永三郎『一歴史学者の歩み』(岩波現代文庫、2003年)の紹介。家永三郎氏は2002年に89歳で亡くなった歴史家ですが、一般的には教科書裁判で名前が知られている方ですね。その家永氏の自伝です。

岩波現代文庫版『一歴史学者の歩み』は、『一歴史学者の歩み 新版』(三省堂、1977年)を部分的に修正した、『家永三郎集』第16巻(岩波書店、1999年)所収の文章を底本にしたものだそうです。未発表原稿「私と天皇制・天皇」を付篇として収録し、さらに鹿野政直氏の解説が付いています。

家永三郎氏の生涯と、教科書裁判に至るまでの経緯が詳しく記されていて、興味深く読むことができました。また単に面白いだけではなく、家永氏自身が「あとがき」で述べるように、「考えようによっては、私の貧しい体験も、それはそれなりにやはり一つの歴史的事実であるし、私が生きてきた半世紀の歴史を知ろうとする方々に、何ほどかの資料を提供することにならないともかぎらない」という面での価値もあると思います。

ところで、家永氏は戦後まもなくの頃、天皇制や明治憲法を賛美するような文章を公にしていたにもかかわらず、後には天皇の戦争責任を論じるような著作を書いたりしているため、「変節」の謗りを受けることもしばしばあるようです。

鹿野政直氏の解説によれば、付篇として収録された「私と天皇制・天皇」は、「変節」との誹謗に反撃するため、自身の天皇観の変遷をきちんと書いておきたいという目的から書かれたらしいです。その観点で読んでいくと、確かに言い訳がましく見える部分もあります。

しかし、いずれにしても家永三郎氏は戦後を代表する歴史家の1人です。鹿野政直氏の言葉を借りれば、「二十世紀の日本の歴史学界で家永は、傑出した思想史家として、また日本史の全領域にわたる視野をもつ歴史家として不抜の位置を占めている」人物です。

それだけではなく、教科書裁判でも有名な家永三郎氏の自伝とあって、その内容は非常に面白く、貴重な証言も含まれています。そのため、大変興味深く読むことができました。個人的には教科書裁判の話もさることながら、筑波大学創立をめぐる話も面白かったです。

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2008年9月 7日 (日)

ガストンはなぜ人気者なのだろうか

ディズニー映画『美女と野獣』の悪役と言えば、ガストン。ベルに求婚しますが、しかしベルはガストンのことが大嫌いで、野獣を好きになります。そのため、ガストンは野獣を殺そうと画策しますが、いざこざの末に逆に高いところから転落して死んでしまいます(死んだんですよね?)。

しかし、私がどうしても解せないのは、ガストンがベルを除く町の人々に人気があるということ。どう見ても馬鹿で、ひたすら力自慢なだけの彼。何がそんなに素敵なのでしょうか。ベルやガストンが住んでいる町では、ベルが変わり者扱いでガストンが人気者。私から見れば、どう考えても逆であって然るべきです。

それにしてもガストンは、足が猛烈に臭く、卵を毎日60個も食べ、「強いぞガストン」と自ら歌う人です。どう考えてもガストンこそ変わり者だと思うのですが、彼は町のヒーローです。彼が野獣の城に乗り込むことを宣言すると、町の人々は反対することもなく彼に従うのです。

町の人々は、何故あんなにガストンのことが好きだったのでしょうか。私にとって、『美女と野獣』という映画の最大の謎です。もしかしたら、『美女と野獣』の舞台となった時代状況や、フランスのお国柄まで考慮すれば理解できるのかもしれませんが…。

しかし、私にとってはなぜ町の人気者になっているのか不思議なガストンですが、見ていて非常に面白いキャラクターであることは確かです。卵を毎日60個食べるだけでも、相当に面白い個性の持ち主です。だから、私はガストンのことがキャラクターとして大好きです。

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2008年8月28日 (木)

慶応元年の遠山三之助景之

財団法人・大倉精神文化研究所が発行している『大倉山論集』第52輯(2006年)に、岡崎寛徳氏の「慶応元年の遠山三之助景之」という論文が収録されています。「嘉永元年・安政二年の遠山左衛門尉景元」(『大倉山論集』第50輯、2004年)と「安政二・三年の遠山金四郎景纂・景彰」(『大倉山論集』第51輯、2005年)に続く論文です。

遠山三之助景之とは、時代劇『遠山の金さん』のモデルになった遠山左衛門尉景元の家を9代目として継いだ人物です。有名な景元は6代目です。9代目の景之は景元と同様、「金四郎」を名乗ったこともあるそうです。岡崎寛徳氏によれば、景元以降の遠山家については明らかでない部分が多いらしく、岡崎氏の研究もその部分に光を当てたものということになります。

岡崎氏の論文は、大倉精神文化研究所所蔵の「金沢甚衛氏旧蔵資料」中の「遠山日記三」を主な論拠史料として、慶応元年の遠山三之助景之の活動、遠山家の家族や親戚の動向、遠山家の家臣や領地などについて分析したもの。その結果として例えば、遠山三之助景之が小姓組番士として、慶応元年の将軍・徳川家茂の上洛に随従していたことなどが明らかにされています。

岡崎寛徳氏は「慶応元年の遠山三之助景之」ほか一連の論文で、遠山景元の家に関する事実を色々と明らかにされています。現在、遠山家5代の景晋以降が葬られた遠山家の墓所は、明治末年に移転しているそうですが、移転前と移転後では墓の配列が異なり、移転後には景元の墓が中央に配置されたそうです。その理由としては、明治末年の段階で景元が名町奉行として巷間に知れ渡っていたからではないかと、岡崎氏は推測しておられます。

なお、『大倉山論集』第53輯(2007年)には、岡崎寛徳「徒頭遠山金四郎景纂の役務」という論文が収録されています。景纂は9代目の景之よりも前の、7代目に相当する人物です。

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2008年8月24日 (日)

M78星雲光の国の色々な組織

一口にウルトラマンと言っても、その出自や出身地は様々。ウルトラマンガイアは、地球が授けた光の力ですし、ウルトラマンナイスはTOY一番星の出身で、ウルトラマンコスモスは宇宙のどこかの出身ということはわかっていますが、どこの星かまでは不明です。しかし、多くのウルトラマンがM78星雲光の国(ウルトラの星)出身であることは、ウルトラマン好きの方ならご存知でしょう。今回は、そんな光の国にある色々な組織を紹介してみたいと思います。

まずは、言わずと知れた宇宙警備隊。3万年前にエンペラ星人の襲撃を受けたことを契機に結成された組織で、全宇宙の平和と秩序を守ることを最大の任務としている組織です。初代隊長がウルトラの父で、現在の隊長はウルトラ兄弟の長男でもあるゾフィー。現在、ウルトラの父は大隊長です。有名なウルトラ兄弟はこの組織に所属していて、所属隊員は約100万人。色々な銀河系に支部を有しています。

それから、宇宙警備隊の中には一般の隊員たちとは別に、特別な任務をこなす部署もあるようです。その1つが、勇士司令部。宇宙警備隊の中でも特に優秀な人材が集められたエリート部隊で、大事件の際に出動するという設定です。この勇士司令部には、ウルトラマンネオスが所属しています。今のところ、映像作品で活躍した勇士司令部所属ウルトラマンはネオスだけです。また、古い書籍には、勇士司令部の長官はウルトラセブンの父親であるとの記述もあります。

また、宇宙保安庁という組織もあります。この組織は宇宙パトロール隊とも呼ばれ、宇宙警備隊各支部の警邏なども担当しているようです。この組織には、ウルトラセブン21(ツーワン)が所属しています。また、古い書籍には、初代ウルトラマンの父親が長官を務めていると書かれているものもあります。

宇宙警備隊には宇宙情報局というセクションもあります。情報収集を担当する部門のようです。ウルトラマンネオスが地球に派遣された際、勇士司令部・宇宙保安庁・宇宙情報局の間で次のようなやり取りがあったようです。宇宙情報局が地球のピンチを察知して、宇宙保安庁に出動を要請⇒宇宙保安庁はウルトラセブン21の地球派遣を決定したものの、セブン21の担当区域で大事件が発生したため、セブン21はすぐに地球に向かうことが困難になった⇒宇宙保安庁は勇士司令部に応援を求め、勇士司令部はウルトラマンネオスを地球に派遣することにした…というやり取りです。

宇宙警備隊のほかにも、光の国には様々な組織があります。例えば、ウルトラの母が隊長を務める銀十字軍です。要するに医療部隊です。現在ではウルトラの星の王女ユリアンも、この銀十字軍に所属しているようです。また、関連施設として、ウルトラの母が院長を務めるウルトラクリニック78というメディカルセンターもあります。

また、宇宙科学技術局という組織も重要です。科学者による組織です。かつて、ウルトラマンヒカリが所属していた組織で、ヒカリは長官への就任を打診されたこともあったようです。古い書籍には、ウルトラマンジャックの父親が長官を務めている旨、記述があります。ちなみに、ウルトラマンヒカリは科学者として、『命』の固形化技術を発見したとのこと。すなわち、ゾフィーがゼットンに敗れた初代ウルトラマンを救うために『命』を持ってくることができたのは、ヒカリの研究あってのことだというわけです。また、ヒカリが発見した『命』の固形化技術を実用化し、運用する上で、銀十字軍のウルトラの母も一役買っているようです。

ただ、ここで書いた設定も、映像作品の中で言及されたものはごくわずかで、今後の作品の設定によっては、上記の内容が「なかったこと」にされる可能性もあります。

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